年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福の神巡り 谷中編

2024年01月27日 | 福神漬
元日の大震動で不安の新年の始まり。未完成の原稿を見ていたら、二回に分けた谷中七福神巡りをしていた記事が残っていた。1月10日が一応七福神巡りの期間と知った。その期間後に七福神巡りの残りを巡ったが悲惨だった。閉じられている扉の外で参拝。
谷中の七福神詣でから、少し福の神を追加したコ-スの設定を考える。。
JR田端駅から谷中七福神巡りが始めるのが通常のコースで田端の東覚寺から始まる。そこで御朱印帳を購入し、各寺で参拝の印の判を記す。青雲寺・修住院までの前半3寺でコ-ス設定を変える。
修住院の参拝後に、通常は谷中商店街に向かうのだが、修住院の墓地の所に富士見坂というのがあって、十数年前には登り切った坂の途中から雪に覆われた富士山が見えた。その光景の変遷が台東区の掲示で知ることが出来る。その景色を壊したのが不忍通りに立つマンションという。
 富士見坂を上ると,突き当りの塀が福神漬の顕彰碑がある、浄光寺である。江戸時代は雪見寺と言っていた。隣接の諏訪神社は筑波山まで見える展望の地であった。
 福神漬顕彰碑を見たのち、残りの寺を回る。朝倉彫塑館の屋根の上の彫刻を見つつ、長安寺へ行く。なぜかこの寺の印象が薄い。次に谷中墓地内の外れにある天王寺へ行く。ここは毘沙門天。その後に大黒天の護国寺で普通は不忍池の弁天堂へ行くのだが、寛永寺根本中堂の境内にある秋田の出身の了翁禅師の碑を見る。この人の来歴は上野の地の文化の人でもある。
 日本の図書館の始まりというべき、不忍池に了翁の作った図書館のような一般人でも仏教書を読めるところがあった。ただ地盤が弱く何度も地震と火災で倒壊し、別の地に移った。了翁禅師も福神漬伝説にある創製者となる。
 新年は福から始まるが異例の元日で何が動いているのだろうか。
コメント
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