年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

世間の高齢者の常識から外れつつある今を感じる

2025年02月25日 | 宅老のグチ
平均と言う言葉のマジックで日本人は惑わされていると感じる。バブル崩壊後の人口の数字で、政府と与野党の将来の人口ピラミッドの絵が願望であると知っていて、これを報道する新聞が御用新聞化していて、何故だろうと思っていた。今はその理由は次の様に考えると良いと思う。
1 悲観的な将来を描くと、将来の見込みの立たない人物が節約するか、逆に乱雑な消費に向かうしかないと予想される。
2 平均的な富裕層は多くは存在せず、その富の税負担が少ない。このことは節税できる知識は富裕層しか必要としないし、さらに節税に手を出して巨大になると、税を管理する組織がその節税策をつぶしに入る。自分のバブル期の築地来ていた不動産融資による投資案内があって、それに乗って給与の高く、高額な所得税負担を不動産投資の金利負担の赤字で、節税していた。ところが税制が変わり、不動産所得の赤字は給与所得と分離され、高額となった不動産投資は暴落で大損害となり、日本の長期にわたって不動産価格が低迷した。日本を研究していた中国が比較的うまく不動産投資を制御していたが、コロナと過剰不動産融資、地方政府の競争で制御不能となって行った。この時に次の産業を育成する必要があるのに、アメリカ・日本の中国懸念で警戒され、パクリ産業に行く先が消えている。
 
 最近図書館で借りた高齢者本で納得いく本があった。91歳の評論家樋口さんと医師で高齢者の健康本の和田秀樹さんの本で健康寿命の説明が納得いくものだった。厚生労働省の平均健康寿命の数字と平均寿命の差が多くのこれから高齢者になる人を悩ませる。リタイア時の2000万円問題もここから来ていると思われる。平均寿命はこれは公式な統計から導き出させる。この公式性と平均健康寿命は共通の計算できないものと最近知った。この健康と言うのが介護の状態をどう思っているかで決まる。かなり主観性があって、実際自分の母が、毎年来ていた介護のケ-スワ-カ―との面談日に介護の度数をあげないように無理したような行動をしていた。和田先生の解説では介護保険料の分析で介護が困難になるのは死の前の2から3年前であるという。この差の知識を広めないのは投資誘導を狙っている世界である。
 介護度数が要介護3になると特養の施設に申し込むことが出来、順番待ちとなる。何か保育園のポイント制度のようなもので、介護人がいなく、介護の困難度によって入所が決まる様でこのような仕組みだったとは知らなかった。生活保護・介護制度の知識は普通人にはなじみがない。多くの自己破産と付き合ったが無理して返済するより、親族から融資を受けず、自己破産後に親族から支援してもらった方が立ち上がりが早い。人生は長い。この知識があれば自殺はする必要がない。ミスのない人生はごくまれである。
 多くの富裕層は高齢者の介護問題でべらぼうに高い介護施設の情報を得ていて、対策を立てているがそこには人生観の問題が残っていて、宝くじのような一時の高収入の人が付き合えない世界がある。
 ここに日本人が西行や松尾芭蕉に惹かれるのだろう。
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