年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

嘉永4年問屋制度再興の名残

2016年01月15日 | 築地市場にて

 

 

大江戸商い白書-数量分析が解き明かす商人の真実 山室恭子著から

 

築地市場の移転問題で様々な制度が歴史の積み重ねで来ている事を感じる。

 制度が老朽化している。生鮮食品が消費者に直接届いている。それも安価に。

 

  中国の量販店が通信販売に押されているという。アフリカでは有線の電話が発達する前に携帯が普及した。無人ヘリでの宅配も日本やアメリカよりアフリカで発達する気がする。交通網が整備されなくても宅配は可能である。決済手段も無線処理できる。過去の歴史の名残の規制を時代に合わせ変化させねば世界に後れる。コンピュ-タ処理の発達で日常会話が通訳要らずになりそうだ。恐ろしい時代に入った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自販機の商品よりガソリンが安くなって

2016年01月14日 | 宅老のグチ

 

いきつけのガソリンスタンドの1Lの価格が106円となっている。このところの円高原油安で地域によっては100円以下のところもあるだろう。自販機の飲み物より安い。日本ではまだ高燃費の車が売れているようだがガソリン安で通常のガソリン車との価格差をうめる事は出来ないだろう。

 中国の為替安誘導も人件費の上昇と年金等の制度の確立で昔ほど漬物の中国製造の魅力がなくなった。これからは日本に戻るか他の国を探すか経営者は判断を迫られる。

 日本に戻っても人手不足は2020年まで続くだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新と言う言葉に抵抗がある

2016年01月13日 | 宅老のグチ

 

 

近年よく使われる維新という言葉に抵抗がある。幕末のテロで多くの人達が理不尽な理由で殺された。またテロということを恐れ議論,言論、思考方法が制約された。特に敗者となった人達が明治になって言論の場を新聞に求めた。福神漬の歴史から消えた人の行為から政治弾圧やテロの恐怖に勝つことは難しい。多くの人は隠れて家族に意志が伝わる事しかないように思える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊洲移転まで300日

2016年01月12日 | 築地市場にて

 

築地市場の青果部のせり台の後ろに設置されている移転までのカウントダウン表示板が300日となった。築地での仕事は296日ほどになる。ボチボチ移転のための打ち合わせが始まっている。とにかく豊洲見学まで業務をこなして時間を作るしかない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅の開花2016

2016年01月11日 | 築地市場にて

 

昨年は梅の開花が大幅に遅れたが今年は早そうでまだミツバチ不在の心配が出る。二年連続で豊作だったので原料的には十分ある。ただ豊作と不作の差が激しくなっている。

 紀州の梅まつりは2月から始まるが今年は他の観光地のイベントが少ない2月に満開となりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

普通の観光地にあって築地市場にないもの

2016年01月10日 | 築地市場にて

 

今日の築地市場に旅行用カ-トを引いて歩いている人がコインロッカ-を探していた。駅にはありそうだが築地市場にはないだろう。場外の観光客用施設にはあるかもしれないが旅行者には不便な築地市場だろう。本日は休みで場内の飲食店は全て休み。勿論吉野家も築地市場内は休み。

引っ越し前の見納めツア-で1月からそれなりに混んでいる。秋にはどうなるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月は休みが多く

2016年01月09日 | 築地市場にて

 

今月の11日は休市で開市日は20日しかない。また明日は休み。それなりに疲労感がある。

 今は森山栄之助の評伝を読み始めた。2回か3回目でやはり忘れられた幕末通詞であった。開国ということで全ての努力が消されている。明治以後の史観で評価するにはいけないような気がする。

 長崎通詞の系統が明治の築地に来て、築地活字を創った。そして石川島の造船所を再建した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い晴れ

2016年01月08日 | 築地市場にて

 

昨年暮れの連休からずっと晴れていた東京の天気が13日に雨になりそうだ。まだ先の予報だが雪になるかもしれない。初積雪となるかも。老朽化した築地市場の雪景色は見納めとなるかも知れない。

 好天続きで青果の相場が軟調のような気がする。暖冬の冬は雪が多いという。今週が終われば年始の挨拶客が減り、静かな1月となる。豊洲はどうなるかわからないが築地より設計が良いので混乱は少なそうだ。雨でも雪でも地震でも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バタバタしなくとも

2016年01月07日 | 築地市場にて

 

会社の引越しは経験豊富な事例があるが市場の強大な市場の引越しを短時間の日数で行うことを考えることを考えたくない。まして東京都という行政が間に入っているので自由な時間で引越しできると思えない。後から考えるとよく引越しできたと感じるだろう。

 蛍光灯が消えたので電気会社の人に直してもらう。高さがあるので。そこで雑談。まだ移転の工事依頼がないという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5日夜のニュ-ス

2016年01月06日 | 築地市場にて

 

築地市場の最後の初せりニュ-スは予定のあらすじで終わる。(最後)と付いて。今日から新年の行事が始まる。80年の歴史が終わり、新しい事に向かうという感じの放送だった。場外の人達も新しい事態(観光地化)に対応するよう変化している。

 食べ物だから消えるのも早いが、需要が消えたわけでもない。静かな6日が始まる。正月用に借りた本を返す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わってしまえば

2016年01月05日 | 築地市場にて

 

築地の正月休みが終わる。暮れの在庫が消えるまで当分暇だろう。初せりのニュ-スも仕込み話題で終わりの始まりの年となる。

 波除神社の参拝客の列も長く感じる。築地市場周辺の工事も終わりに向かって進んでいるようで内装をしているようだ。トンネル工事も首都高速部分を掘削していて意外と早く新大橋通りの工事が終わりそうだ。工事渋滞もなくなり静かな築地となる。ガソリンタ-レ-も随分少なくなって、あの爆音が消えるのも寂しい。マグロの値段も1400万円止まり。

築地4丁目交差点のところにあったサイゼリアがひっそりと年末に店を閉めた。開店する海鮮系レストランと閉める店も続く。変化の激しい都市となりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年明けのバタバタ 最後の初セリ

2016年01月04日 | 築地市場にて

 

自分だけが年明けバタバタと思っていたが株の世界はもっとバタバタだった。図書館の期限切れメ-ルが来ている。まだ次の借り出す本が見つからない。そろそろ嫌韓本が借り出しやすくなったのだろうか。キムチ本資料として読む必要が出てきたようだ。どうやら昨年末の日韓合意がかえってひどい道を選んだようだ。動くゴ-ルは傍から見るとおかしく感じるだろう。隣国の問題は歴史が絡むだけ結論はでない。

明日は築地市場の最後の初セリ。夕刊の記事が見える。NHKの夜のニュ-スでもあるだろう。最後の初セリ。マグロはどんな価格になるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年早々のトラブル

2016年01月03日 | 築地市場にて

初荷の事故で大忙し。小さなトラブルが大きな不手際となった。量目表示ミスから始まった。今年も大変な一年となりそうだ。

明日から銀行が始まる。ミスは許されない。夕方6時で終了の見込み立たず。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夢

2016年01月02日 | 宅老のグチ

 

被疑者の逃亡

今の時代でも犯罪者や被疑者が逃亡すると大騒ぎとなる。その拘留事由に関わらず。写真などない江戸時代で逃亡した高野長英を逃がした町奉行の関係者のメンツはどの様な気分だったかは想像できる。それは拘留事由が冤罪であってもメンツは別の問題となる。

 佃島の監獄を明治17年3月の大潮によって浅くなった隅田川を渡り脱獄した自由民権家高田事件被告人赤井景韶の時も明治政府の権力者たちはテロを恐れ大捜索したと言われる。

 IHIの社史によると隅田川浚渫工事がこの逃亡事件の後から始まっている。この浚渫工事の土砂で月島勝鬨の土地が生まれたという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1873年1月1日より

2016年01月01日 | 築地市場にて

 

日本で太陽暦採用から143年となる。暦の計算をした内田弥太郎の名前も今では忘れられている。土地の計算を坪単位で今でも使っているがこのもとの枡とか尺の実物は上野の博物館にある。内田弥太郎が収集したものを基準としているようだ。

 高野長英が嘉永3年10月末に南町奉行の配下の者によって惨殺されたが当時の町のうわさ話を収集していた『藤岡屋日記』でもどうして長英を匿った内田弥太郎が咎めを受けなかったか不思議に思われていた。

 長い間福神漬の資料を収集していると関流和算家の同時の第一人者であって浦賀で下曽根金三郎の配下として嘉永3年頃働いていた内田を処分することを阻止する動きがあったと想像できる。

 日本独自の和算の発達が黒船来航以後西洋の文明に驚くほど早く対応できた原因の一つである。それには内田の処分がなかったこともあるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする