「丘の上の賢人」を読んで「ふるさと」の意味が掘り下げられていた下りがありました。
そのくだりは、130ページに、主に掲載されていました。このページには、
のぞみとおかえりの会話の中で「ふるさとって、おかえりさんにとってなんですか?生まれた場所のこと?」何気なくのぞみさんが訊いた。(中略)「『おかえり』と言ってくれる人がいるところ、かな」そう答えてから、自分の言ったことに、自分でどきっとしてしまった。そうだ。生まれた場所、実家があるところ、それもふるさとに違いない。けれど、おかえり、のひと言を言ってくれる誰かが待っている場所。それこそが、ほんとうのふるさとと言えるんじゃないか。だとしたら、私のふるさとは、礼文島だけじゃない。
と書かれています。
「ふるさと」は生まれ育った場所をイメージされるのが普遍的なのでしょうが、その場所でなくても、おかえりと温かく迎えてくれる誰かが待ってくれている場所がその人にとったら「ふるさと」であることもあるのだろうなあと思いました。「いってらっしゃい。」「おかえりなさい。」仕事に行き戻ってきた時、旅に出かけて帰ってきたときなど、この言葉はよく耳にします。それは、家族でなくてもいいし、その人にとっての大切な人であってもいいけれど、愛がこもった温かくて優しい言葉だったことに気が付きました。その人にとってこの言葉を投げ掛けてくれる人がいる場所が心の拠り所であり、生まれ育った場所である「ふるさと」と同じくらい大切な「ふるさと」でもあるということをこの小説の中のめぐみと純也の繋がり方から理解できました。
あとがきに瀧井朝世さんが書かれていた「旅をしてお気に入りの場所を見つければ見つけるほど、人はふるさとを増やして行く」と書かれていたのを読むとなるほどそうだよねと思いました。「深く馴染みのある場所だけがふるさとではないのだ。何度も訪れたい場所。懐かしい場所。恋しい場所。それらは、みんな、ある種のふるさとだ。」とも書かれていたのを読むとさらに納得できました。
おかえりは生まれ育った礼文島にひと肌上げてからしか帰れないとずっと思ってきたけれど、「丘の上の賢人」の中でクライアントの依頼を遂行して、生まれ故郷に帰れる日は近いのかなと思いました。礼文島に帰るときの続編がもし刊行されたらまた読んでみたいなあと思いました。
自分の場合、生まれた場所は今はもうない天王寺区上本町にあった病院だったそうで、当時住んでいた天王寺区にあった住まいや公園、商店街、神社、お風呂屋さん、駅、坂道の風景が今も思い出に残る第一の「ふるさと」なのかもしれません。子供の頃、日生球場の側に一時あった祖父宅や何度も連れて行ってもらった大阪城公園や母方の故郷の滋賀県日野町で駆け回っていた頃の景色も第二の「ふるさと」のひとつだったような気がします。私が何回も足を運ぶ場所、もう一度行きたいと思う場所は、家族や誰かと繋がっていたときの思い出がたくさん詰まった大切な場所でもありました。いつもおかえりと言って待ってくれていた大切な人々がいたからこその心の拠り所でもあった「ふるさと」がもっと輝いて見えていたということなのかもしれません。旅を重ねて行くと、いつのまにか何度も訪れていた場所が自分にとって、家族や大切な人々との繋がりがあったふるさとは違った意味での心の拠り所のひとつであるふるさとが増えていたのかあと思いました。
おかえりと迎えてくれる誰かがいるということはその人にとってなんとなくしあわせというのを通り超えたこの上ないしあわせな心の拠り所でもあるのでしょう。私自身はそのようなこの上ないしあわせを感じることはもうないかと想像しますが、なんとなくあわせという小さなしあわせが自分には似合っていたと思ってこれから穏やかに過ごして行けたらいいなあと思っています。