TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

新花巻駅

2022年11月01日 | 旅日記

10月21日、花巻温泉の宿の送迎車で新花巻駅まで送っていただきました。新花巻駅には10時45分くらいに着きました。

セロ弾きのゴーシュのレリーフが見えていました。近づくとセンサーが感知して、宮沢賢治作詞作曲の星めぐりの歌やトロイメライのチェロ演奏が流れるそうです。

自動販売機が鹿踊り仕様でした。

SL銀河は土日は運転されていたようです。来年の3月には運転が終了するそうです。一度乗ってみたかったです。

新花巻駅構内にあった観光案内所を見学してみました。

大谷翔平選手や花巻市の紹介がされていた展示コーナーは見ごたえがありました。

送迎バスが思ったよりも早く駅に到着していただいたおかげで展示コーナーを見学することができてよよかったです。

新幹線でいただくお昼ごはんに弁当を買いました。この牛肉どまんなかの駅弁1種類だけ売られてました。駅弁は後3つだけ残っていただけだったのでお昼ごはんを買うことができてよかったです。バイキングでいつもより朝ご飯を食べ過ぎた感があるのでパンにしようと思ったけれど、パンは駅では売られてなかったですね。

駅弁フェアでよく売られている牛肉どまんなかはボリュームがありましたけれど、美味しかったです。新花巻駅から郡山駅に向かう途中、新幹線の車内でいただきました。郡山駅には午後1時5分ごろに着きました。

 

 

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コロナに翻弄された甲子園

2022年11月01日 | 読書日記

コロナに翻弄された甲子園 小山亘宏 著 双葉社

2020年、コロナで、全国高校野球選手権大会が中止になったことは記憶に新しい出来事でした。この本では野球名門校と呼ばれている8校の名監督さんたちに取材され、各校の野球部の生徒さんたちとこのコロナ禍をどう乗り越え、どのように歩んで来られたか、その思いや伝えたかったことをそれぞれの各校の実情を紹介しながらコロナ禍に翻弄された高校野球の今と未来が語られていた本だったと思います。

甲子園でプレイしたいというその純粋な思いがコロナという自分ではどうしようもないものに立ち塞がれてしまった生徒の皆さんは、目標を見失い、迷走していく生徒の皆さんも多かったと語られていました。そんな生徒の皆さんを目の当たりにした監督さんたちは、生徒の皆さんの悲しみややるせなさとどう向き合い、不安や葛藤をどうアドバイスしたのか、時には寄り添いつつ、コロナ禍での限られた練習方法を手探りしながら、前に進んで行かれた道のりが熱く語られていました。いつも身近で生徒たちを見守っていた監督さんたちがそれぞれの生徒に掛けて行く言葉はその時々に重みを増して、人間力と指導力に応えて乗り越えて行った球児の皆さんにも監督さんたちの思いが伝わって行き、球児の皆さんのひとつの立派な成長になって行く過程が力強く語られていました。

高校野球の監督の名将の皆さんがそれぞれ語られていた言葉から伝わってきたことは、各校の生徒の皆さんに野球だけを教えておられたわけではなく、野球抜きでも生き抜いて行けるような人間教育をしっかりされていたということでした。甲子園の大会の試合の後などにコメントする選手の皆さんの表現のしかたひとつ取ってみても、多くの人が傷つかないような言葉を選んでコメントされているのに感心したことが多々ありました。その人間教育の賜物である人間力が磨かれていたことがよくわかるのが試合後の球児の皆さんのコメントだったりします。野球を専門にプロ野球の世界で生きて行ける選手はたったひと握りでしかないことを知らしめ、他の世界でも活躍できるようにと、野球だけに捕らわれないで野球を通して生徒の皆さんの心や行いをも育てておられたということを再確認した本になりました。新聞の書評に掲載されていたのを読んで図書館で予約して読んだ本でした。

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保険の外交員の方と世間話をして思ったこと

2022年11月01日 | ひとりごと

昨日の午後、1年に1回訪問されないといけない決まりになっておられた保険の外交員の方が自宅まで来ていただき、入っている保険の確認などを行いました。昨年まで長い間、お世話になった外交員の方が先月にご家庭の事情でお辞めになられたそうで、その後任の方がお見えになられました。その方と世間話ををしました。昨日は、ハロウィンの日だったので、韓国で起きた群衆雪崩の話もしました。「1970年の万博開催当時に、歩く歩道で将棋倒しの事故がありましたよね。」と覚えていた事故の話をしたら、外交員の方は自分よりはいくつかお若い方だったので、ご存じなかったです。そうだったな。万博開催当時のことを覚えている方々は自分と同年代から年上の先輩の方々でないと記憶にもないことだったと今さらながら歳を重ねてしまっていた自分を思い知ったのでした。晩にインドで改修直後の吊り橋が崩落したというニュースを見ました。500人もの方々が吊り橋を渡られてたそうですが、その重さに耐えきれないで吊り橋が崩落してしまったのでしょうか。父が子供の頃、祖父に、花火見物を橋の上で見ていたたくさんの人々が橋が崩落してしまった事故で巻き添えに逢われたときの話をいつも覚えていて、橋は注意しないといけないといつも言われていたことを私に機会があるとよく話していました。インドの橋崩落事故のニュースを見て、吊り橋を渡れる重量の制限をされてなかったのだろうかと思いました。韓国で起きた群衆雪崩の事故をニュースで見ていたら、事故が起こった通路は、以前は一方通行や通行止めの配慮がされていたそうなので、韓国で起きた群衆雪崩の事故もインドで起きた吊り橋崩落の事故も事故が起こる前に多くの人々が集まることを想定した安全対策や橋を渡る人々の人数制限などの安全対策をもっとされていたら起こらない事故だったかもしれないのではないのだろうかと思いました。

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