TULIP DIARY

届くといいな やさしい風に乗って

センター試験

2008年01月21日 | ひとりごと
太平洋側の各地で雪が降っているとニュースで言っていた。
大阪市内は雪は晩のうちに少し降ったみたいだが雨になっている。
昨日まで実施されていたセンター試験も雪の影響があった地域もあるとか。
毎年、センター試験のある日はなぜか寒い日が多いようだ。
受験生だった頃を思い出す。
あの日も寒い日で雪がちらついていた。
早めに受験会場に到着し、自分の受験番号の座席に座っていたら
ここ僕の席みたいですが・・・・・とやってきた人がいた。
「え、うそ!何度も確かめたからこの席が私の席だと思ったのに・・・・!」
そう、言われてもう一度確かめに行った。
もうあと数分で試験が始まろうとする時間になっていた。
その人の受験票をよく見てみると受験会場の学部が違っていた。
その人は一目散に自分の受験場所へと走っていった。
こんなこと、毎年、どこかで誰かが経験しているのだろうか。
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泣き虫ハァちゃん 

2008年01月20日 | 読書日記
泣き虫ハァちゃん 河合隼雄 著 新潮社
昨年亡くなられた河合隼雄さんの兵庫県の丹波篠山の
少年時代をイメージして書かれた自伝的小説。
郷愁を誘うたくさんの挿絵が昭和初期の懐かしい感じをうまく伝えていた。
ハァちゃんは感受性が強くてすぐ涙がでてしまう城山家の五男。
大好きな幼稚園の先生が辞められてもう会えないというときや
どんぐりころころのどんぐりのことを思うだけでも涙が出てくる。
男の子は涙をみせたらいけないという時代だった。
他の人が気が付かないような事柄にも気が付く優しさを持つが故の涙なのだ。
本当に悲しいときは男の子でも泣いてもいいとお母さんに諭される。
優しくて愛情深い兄や父母に囲まれ、ハァちゃんはたくましく成長していくのだ。
河合さんの書かれたたくさんの本も少年時代から培われた河合さんの優しさが
たくさん滲み出ていたのだと感じた。
この続きはもう読めないのが残念だ。
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パンダ通

2008年01月19日 | 読書日記
パンダ通 黒柳徹子 岩合光昭 著 朝日新書
パンダ博士と言われるくらいパンダが大好きな黒柳さんと
パンダの写真集や動物の写真集をたくさん出しておられる写真家の
岩合さんのパンダの話が一杯詰まった本。
おじさんからもらったパンダのぬいぐるみがきっかけで
パンダを求めて世界中のパンダに会いに行くという情熱の持ち主の黒柳さん。
上野動物園に中国からカンカンとランランが贈られたときにも
羽田空港まで迎えに行かれていたらしい。
あのときは新聞記事のトップになったほどで
日本中がパンダ一色だったのを覚えている。
短い足とたれさがったお尻、内股で歩く動作がなんとも言えないくらい
かわいいと黒柳さんは言う。
確かに日本中で上野動物園にしかパンダがいなかったときには
わざわざ東京まで行ってパンダを見るために長い列に長時間並んだものだ。
立ち止まらないで下さいとせかされながらも数秒だけやっとパンダと会えたときに
この世にこんなにかわいい動物がいたのか思ったものだ。
パンダのことなら何でも知っておられる黒柳さんもパンダには触らないそうだ。
触りたいとは思うけれど触っちゃいけないんじゃないかなあという感じを
持っておられるそうだ。
岩合さんもそんな黒柳さんのことをさすがとほめておられた。
触るというのは自分のものにするということだから
パンダのことを考えていないのじゃないかということだった。
パンダの未来まで心を悩ます黒柳さん、パンダにかける情熱は本物だった。
最後のほうにはお二人の対談集も載せられていて
岩合さんに黒柳さんの顔がパンダに似ていませんかと言われていた。
カラー刷りの岩合さんのパンダの写真も愛苦しい。
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鳥取砂丘

2008年01月18日 | 旅日記
久しぶりに鳥取砂丘に行った。
風が強く、雪が混ざった雨も降っており、
ビニール傘をさしていたけれど、吹き飛ばされそうになった。
時間がなかったので数分だけ散策した。
海まで行ってきた若者たちが靴に湿った砂が入ったのか
すごく冷たそうに靴を脱いでかわかしていた。
バス停のすぐ側に水森かおりの歌碑が建っていた。
鳥取砂丘という歌を歌っていたからだろう。
城崎温泉駅前にも細川たかしの歌碑があったなあ。
行きは鳥取駅からループバス麒麟獅子号で300円、
帰りは路線バスで360円だった。
鳥取駅の構内でお昼にきつねうどんを食べた。
店構えはそんなに立派ではない小さなお店だったのだが、
このおうどんが手打ちみたいでとてもおいしかった。

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おひとりさまの老後

2008年01月18日 | 読書日記
おひとりさまの老後 上野千鶴子 著 法研
いつもの上野さん風の力強さで老後一人になってもこわくないと断言していた。
老後の女性の生き方について、老後の女性のシングルライフについて語られていた。
老後の住まいの選び方、だれとどのように付き合って孤独をまぎらわすか、
お金の捻出方法、どんなふうに終わるかなどを詳しく説明してある。
参考になることも多く、考えることも多かったけれど
現役時代に相当がんばっていないとこの本に書かれているようには・・・・・
遠い理想であるようにも取れた。庶民向けには書かれてない本だった。
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城崎温泉

2008年01月17日 | 旅日記
城崎温泉に行った。
今回は、駅から歩くこと、約30分。ときわ別館に泊まる。
手入れの行き届いた中庭が見える2階の部屋だった。
城崎に来たらやっぱり一回は外湯巡りということで
みぞれまじりの雨の中を傘をさし、下駄を履いて、
二つだけ入ろうということで
チェックアウトまでは旅館からもらえる無料の券をもって
旅館より比較的近い、御所の湯へ直行した。
連休の午後3時以降は宿泊のお客さんや日帰りツアーのお客さんなどで大混雑で
寒い外で7,8分くらい待たないと中に入れてもらえなかった。
旅館の丹前が薄かったので立っている間に風邪を引いた。
コートを着てきたらよかったと後悔する。
中の脱衣場や内湯も露天風呂も一杯ですごい人だった。
地元の人はこの時間帯がいちばん混むのを知っておられるのか
ほとんどが観光客のようだった。
旅館まで帰る間に冷えてしまったので鴻の湯にまた外で並んでから入った。
露天風呂はひとつだけあるのだが、小さいところに20人以上入っておられた。
外湯から戻って旅館のお風呂に入る。
外湯は混みすぎていたのでせわしかったが、
旅館の内風呂はきれいで立派なお風呂で、
ちょうどいい湯加減のお湯でゆったり浸かり、ようやく温泉気分が味わえた。
6時より、部屋で蟹スキをいただく。
蟹刺しがついていてこれは本当においしかった。
蟹スキの蟹も食べきれないほど付いていた。
うどんやお餅までついていて最後におじやをして食べた。
ときわ別館には初めて宿泊させてもらったが
最初、ホームーページでどんな旅館なのかを予約する前に見た。
他の旅館のホームーページよりよくあるお問い合わせとかに書かれていることが
すごく細かく結構厳しいことが書かれていたので
きっちりされた人が経営されているのではないかという感じがした。
実際宿泊してみて気が付いたことが少しある。
室内のテレビの上に夜10時以降はテレビのボリュームを下げて下さいと書いてあった。
当然のことなのだが、気が付く人はだいたいテレビのボリュームを晩遅くは
小さくして遠慮するものだ。
晩遅くまでテレビを大音響でかけたり、扉を思いっきり閉めたりとうるさい人が
隣室にいると落ち着かないし晩遅くに起こされたりする場合がある。
わざわざテレビの音に気をつけろと書いていても
気が付かない人は気がつかないのだろうが、
旅館として客の行動に注意書きを置くことも勇気ある行動のひとつになるのだろう。
早朝にお風呂に行くとフロントの傍にいつも旅館の人が立っておられて
ごゆっくりしてくださいませと通るたびに声をかけられる。
フロントの中に旅館の方がおられるのは多いけれど、
廊下にずっと立っておられる旅館はあまり経験がない。
細かいことをホームページにたくさん書いてあったけれど、
宿泊客の安全と皆様が気持ちよくくつろげるようにと
宿泊されている間はできるだけのお世話をしますという
旅館の心意気があってこそ細かくなったのだろうかとも思った。
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倉吉の白壁土蔵の街

2008年01月16日 | 旅日記
羽合温泉のホテルのチェックインが3時なので
それまで倉吉の打吹地区にある白壁土蔵の街を散策した。
青春18切符で早朝大阪を出て上郡より智頭急行、
因美線、山陰本線を乗り継いで倉吉に11時59分に着いた。
智頭急行はJRでないので上郡より智頭までは1260円の運賃のところを
1日フリー券で1000円だった。ちょっと得した気分だった。
姫路から上郡までの列車は大変混んでいたがそれ以外の列車はどれもすいていて
鈍行を乗り継ぎながらゆっくり旅を楽しんだ。
赤瓦に白い漆喰壁が建ち並ぶ倉吉の白壁土蔵の街の雰囲気は
岐阜県の飛騨古川に少し似た雰囲気の落ち着いた街だ。
お昼ごはんを食べようとうろちょろしていたら、
無料の休憩所だけなのかと思っていた休憩所の横に
定食500円、ラーメン、おそばもあると小さな看板があるのに気が付いた。
お昼の間だけ、営業しているところで家族それぞれが違ったものを注文し、
定食、ラーメン、おそばをいただく。
定食はおでんやかれい、ほうれん草のおひたし、目玉焼き、おつゆなどがついており、これで500円だった。食べた本人はおいしいと言っていた。
私はラーメンをいただいた。
ラーメンにも目玉焼きがのっていて白菜やにんじんなどの野菜が
たくさん入っていておいしかった。
おそばも同じような野菜がたくさん入っていた。これで400円だった。
腹ごしらえをしてから変わった概観の大蓮寺や赤瓦周辺をうろつく。
玉川には鯉も泳いでいた。冷たい雨が降っていて寒かった。
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望湖楼

2008年01月15日 | 旅日記
連休を利用して山陰の羽合温泉にあるホテル望湖楼に行った。
望湖楼はできた当時の20数年前の元日に宿泊したことがあるので今回は2回目。
着いてすぐに東郷湖の水上に浮かぶ露天風呂に浸かりに行った。
お風呂の近くに「たまごのお風呂」と書いたお湯に
フロントでもらえる卵に部屋の番号をマジックで書いて
20分ほどつけておくとお風呂に入って出た頃には
温泉卵ができてるということでつけておいた。
20分もつけておかなかったのと湯村の荒湯とか別府とかによくあるような100度くらいのお湯じゃなさそうなので卵は半熟だった。
その露天風呂まで行くには写真のように橋を渡っていかないといけないのだが
鉄の階段を何段か昇って降りないといけない。
風が強く、雨が降っていたので傘をさして下駄に履き替えて階段やその橋を
歩かないといけないし、湖上に浮いているわけなので波や風により揺れる。
階段を傘をさしながら下駄で降りるというのは大変こわかった。
あくる日の朝は時折雪が降っていて橋の歩くところが木なので
橋の上にうっすら積もった雪で欄干をもっていないとすべりそうになるくらいだった。
湖上露天風呂は朝晩で男女が入れ替わるが最初の日は女性は「浮舟」という
大きいほうの露天風呂だった。
この日は風が強い寒い日だったが、ホテルの反対側の露天風呂の窓は全開で
湯船と湖面がほぼ水平に見えるお風呂だった。
対岸の中国庭園の燕趙園や東郷温泉がよく見える眺めがいいい温泉だった。
20数年前に来たときはぬるかったが今回は熱めでよく温まるのだが
それにもかかわらず大変寒い日だったので温まったと思っても
橋を渡っている間にすぐ冷めた。
帰りに館内にある大浴場「天女の湯」に浸かった。
ここには大きな硯のお風呂があってゆったりできた。
夕食は部屋食で蟹が一人一杯つく蟹づくしの会席料理だった。
蟹のてんぷら、蟹のお造り、茶碗蒸、蟹寿司、など
食べきれないほどのたくさんのお料理だった。
サービスでお酒やジュースが一人一本付いていた。





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城崎温泉駅の下駄

2008年01月14日 | 旅日記
城崎温泉の駅前には下駄がたくさん置いてある。
各旅館の下駄だ。
外湯巡りはこの下駄でまわるのが城崎らしいのであろうが
冬場は雪が降るので慣れない者には下駄は歩きにくい。
外湯に行くときには日中は道のまんなかをひっきりなしに車が通るので
側溝を気をつけながら下駄を履き、傘をさして歩かないといけないのだ。
旅館にチェックインしたときに靴は玄関横の下駄箱にしまわれることが多いので
自分の靴で行けないこともないのだろうが下駄がいつも玄関に用意されている。
外湯から出て帰るときも外湯の入り口でいつも仕事をされている方々は
丹前を見ただけですばやくどこの旅館かわかるプロの方々なので
玄関先できれいに整理整頓された旅館の下駄をすばやく出してもらえる。
日頃、下駄を履くことが少なくなったので
旅行したときぐらいは下駄を履いて下駄のよさを発見するのもいいものだ。
旅館の長靴をはいて外湯めぐりをしていた子供連れのお母さんを見かけた。
長靴かあ、雪が降っていてこけたら大変だもんなあ。
そんな気遣いができる旅館もあるのだなあと思った。
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母べえ

2008年01月12日 | 読書日記
母べえ 野上照代 著
1月下旬に公開される映画「母べえ」の原作本。
昭和十年代。早朝、いつものように平穏に暮らしていた野上家に不幸が襲う。
突然検束の目に遭い、父が検挙されてしまう。
当時小学校の三年生であった著者は
家の戸を叩く音にガバッとふとんをけ上げた父の足の白さが目にやきついたと
上手な挿絵でそのときのリアルさをなまなましく表現している。
ところどころの挿絵は本当にそのときの様子がよくわかるように書かれていると思った。
残された母べえと著者の照べえ、姉の初べえ、父の妹のエミちゃんが
留置場にとらわれた父との面会や手紙を通して
家族の愛情を守り続けようと懸命にがんばるけなげな姿が描かれていた。

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