
新型コロナ禍で遠くに行けない多くの人が、
玉川上水の遊歩道を歩いています。
今年は「きんらん」の、黄色い花がとても目立ちます。
しばらく前は、
カタクリの花もしっかり
皆の目を慰めてくれているようでした。
お花が咲いたのに、何時まで新型コロナ?
3月21日、上水の遊歩道を歩いて中央公園に行きました。
グランドや広場にたくさんの人が・・・・・、みんな元気です。
私達はそれを見ていて、元気になりました。
駅前の喫茶店でアイスクリームを食べて
元気に帰ってきました。
JR立川駅通路に、箱根駅伝予選会に向けて
出場チームの旗が立っています。
何時もは10月半ばの昭和記念公園のコスモスの花の盛りの頃。
今年は年号が変わる、国家的行事によるため
1週間遅れの
10月26日(土)9:35スタート
陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街~昭和記念公園
いよいよ駅伝の季節です。
エッセイ 百日紅 課題【絶つ・結ぶ】 2010.9.10
家の前を掃く箒の音に目が覚めた。時計を見るとまだ5時前だ。
起き上がってそっと見ると、お向かいの奥さんが、此方に向かって、百日紅の花びらを掃きとばしている、見てはいけないものを見てしまった。
近くの家に大きな百日紅があり、夏になると真っ赤な花をつけ、涼しい木蔭をつくる。
暑くて気だるいような日でも、その花の下は、子供達の大切な遊び場だった。
家を建て替えた時、私は、迷わずに植えた。
次の夏、白っぽい木肌に可愛いい花をつけた。
だが、お転婆娘のようなピンクの花に手を焼きだした。
一日中花びらが落ちる。
特に、雨が降った後や、風が吹いた後は遠くにまで飛んでいき、「わが家の娘です」と言うことが直ぐに分かる。
秋に、思い切り枝を落とすと、危機を感じるのか、次の年、長い枝を伸ばして大きな花房をつける。
咲き始めはそそと、少しの花びらを落とすが、その内に思いっ切りやんちゃを始める。
「今年は百日紅を切る」と、夫に宣言した。
「可愛そうだよ、俺が掃除をするから」と言っていたが、3日坊主で終わった。
「家もね、何年も花をつけないので、もう切ろうと相談していたら、その年から咲き出したの、木は分かるのよ」と友人は言った。
私の中にも迷いがあるから、夫や、友人達に話して、反応を見ているのかもしれない。
でも、一日中箒を手放さないお向かいの奥さんの事を思うと、やっぱり切った方がいい、花が終わったら切ろう。
掃除はきらいじゃないけど、迷惑がられるのは嫌だ。
今年の夏はとても暑い。
植木の根元が乾いてポコポコしている。
朝夕、根元を確かめながら水遣りをしているが、秋になったら切られてしまう百日紅に、たっぷりと水をあげたほうがいいのか、生命力を抑えてあげた方がいいのか迷っている。
先生の講評・・・ 青の部分 植木に託した人の心の機微が鮮明。
・
月曜日、「午前10時の映画」を観てきました。
今週は「風と共に去りぬ」全部でした。
10時から午後2時まで途中7分間の休憩が入り、4時間ぶっとおしです。
観に行くのにかなり勇気が入りましたが、大丈夫でした。
お茶、サンドウイッチ、ひざ掛け、下着を1枚多くして万全に。
100均で売っているスリッパがあるともっと良かった。
先日BSで放映していたのを録画をして観ていたのですが、何か物足りなかったので・・・。
今度は原作をもう一度読みたいと思っています。
女性が持っている感情がぜ~んぶ「わかる」何度見ても面白いですね。
エッセイ 渋谷の雑居ビル 課題【昭和】2010/2/1
独身時代に勤めていた商事会社は、渋谷の古い雑居ビルの二階、突き当たりにあった。
そのビルには、会計事務所や、何かを登記する事務所、昼間でも青白い蛍光灯をつけて図面を書いている事務所などが入っていた。
日本映画監督協会の看板もあり、テレビで見た映画監督を、時々廊下で見かけた。
会社は、朝、配送や集金の人達が伝票を持って出かけ、一足遅れて営業の人達も出払うと、日中は、事務員四、五人と社長で業務をしていた。
当時社長は四十代の中頃だった。
日焼けした顔で、ぶっきらぼうな話し方をする、特攻隊の生き残りだった。
渋谷という地の利と人柄なのか、社長の友達がよく訪ねてきていた。
部屋の隅の大ぶりの応接セットのソファーに、お互いがふんぞり返って、「馬鹿言うな」とか「よせやい」とか、学生同士の会話みたいに話をしていた。
その中に、背の高いイトウさんという友達がいた。
週に何日か、日中出かけてきて、社員のように机に座って、書類や、郵便物を整理していた。
その人宛に、何とか経済という沢山の郵便物が届いていたが、会社の所在地を住所にしているらしかった。
社長は「イトウは学生の頃、すごく頭が良かった」、「あいつは、今、総会屋だよ」と言っていたが、何をするのかよく分からなかった。
時々、「お嬢さんたちに」とお菓子を持ってきてくれる。
そんな時は、応接セットのテーブルにお茶を運んで、皆でご馳走になった。
西日の当たるテーブルを囲んで、あの頃は、どんな話をしていたのだろうか。
私が入社して五年程たった頃、戦後の高度成長と言われる波に乗って、渋谷駅をはさんだ反対方向に、小さな自社ビルを建てて、引っ越しした。
古い友人の話だと、あの雑居ビルは、タイルがはがれるのを防止するネットをかぶって、まだ建っているという。
つつじのつぶやき・・・・・毎年4月、梅が丘に5~6人で集まっています、昨日は5人でした。
美登利寿司、羽根木公園、世田谷珈琲毎回お決まりのコース。
昨日から、鶯の微かな声がしていました。
今朝はっきりと「ホーホケキョ」。
春です。
秋に植えた玄関脇の鉢、寒い冬を乗り切り花を咲かせています。
もうしばらく楽しみます。
もう10年以上前、狭山の大きな畑に咲いていた福寿草。
株を分けてもらって、我が家の小さな庭にきました。
暑い頃はすっかり葉っぱがなくなります。
もう終わりかとぞんざいに扱われていた株から、
今朝、凛々しい少年のような顔を見せてくれました。
パソコンが壊れ、設定などに四苦八苦していました。
エッセイ集の諸々も終わり、やっと日常が戻ってきました。
ご無沙汰だったブログに写真をと思っていたら、またまた
カメラの取り込み、サイズの調整等の設定をしなければアップ出来ないことに。
又パソコンの前から離れられません。