つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ  県営プール 

2020-05-24 09:43:03 | エッセイ

エッセイ 県営プール  課題【平成。未来】 2010・6・25

随分前の話だが、広島市内を頻繁に走っていた路面電車は、100円だった。
運賃が安くて便利だったので、気軽に利用して繁華街に出かけた。
週に何日かは、県営プールの水泳教室にも通った。

広島市民球場の隣にある、古びた大きな建物のプールは、公式な大会も開く50mプールだった。
中心部が深く足が付かない。

よく大学生達が水球の練習等をしていた。
勿論、そんな深い所で初心者は泳げない。
普段はプールを横に区切ってロープを張り、22m位のコースになっていた。
端のコースは、赤い床が沈めてあり、生徒はそこを使う。
私は習い始めたばかりだったので、その22mも泳げなく、いつも水を飲んでいた。
水泳教室の日は気分が重くなるが、終わった時の爽快感が好きだった。
その日も、プールから上がって、クロークからお風呂屋さんにあるような籠を受け取り、混んだ脱衣所の隅で手早く着替え、簀の子がカタカタとなる通路を出た。
帰り、本通りのアーケード街を歩いていた。
 ある店の前で、大勢の人がテレビを見ている。
小渕さんが年号を発表している場面だった。
右手から出した、その「平成」の文字を見た時、「あれっ」と、少し感動した。
 私には男の子が二人いる。〇平、△平と二人とも「平」が付く名前である。
その「平」が嬉しかったのだ。
夕食の時、子供達に言った。
「〇ちゃんと△ちゃんの名前についている平の字が、平成って言う年号になって、昭和の代わりに使われるのよ」と。
今年、平成も22年になった。
あの時通った県営プールはもう無い。
コンクリートむき出しの薄暗い脱衣所、歩く度にカタカタとなる簀の子の音も遠い思い出になった。

 先生の講評………生活だけに即して、時代の境目を描く手法が堅実。
             末尾が抽象的表現過ぎる。

  つつじのつぶやき…水泳を習い始めたのは、平成が始まった頃なんですね。
                随分長くやっているのにちっとも上達しません。

コメント
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