つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ 黒髪

2022-03-31 15:44:59 | 楽しい仲間


                                   先生の講評・・・粋な二つのお寺訪問記。
                                             参詣にまつわる自分のエピソードはないのか。

                                   つつじのつぶやき・・・目黒川の桜がニュースになりますが、西運さんが架けた太鼓橋もあります。
                                                 行人坂の大円寺も、是非お参りしてほしいと思っています。

    
                         エッセイ 西運とお鯉さん 課題【髪・毛・かつら】  2020.6.12  

              目黒駅前の大きな交差点を渡り、少し行くと、行人坂という急な坂道がある。
              下った所にホテル雅叙園、その先にお花見の名所目黒川、途中に大円寺という寺がある。    
              江戸三大大火の一つ、明和九年の火事はここが火元と言われ、境内には犠牲者を供養する多くの石仏がある。
              大円寺には「八百屋お七」のお地蔵さんや、恋人西運の姿が彫られた碑もある。

              その昔、雅叙園の近くに、明王院と言う寺が在ったが、大円寺に統合され、お地蔵さんや碑も移された。
              八百屋お七は寺小姓に恋をし、もう一度会いたいと自宅に火をつけ、鈴ヶ森で火あぶりの刑になった。
              その時の小姓が「西運」という僧になり、菩提を弔うため全国を行脚した後、明王院に入った。

              西運は又、明王院から浅草観音迄往復十里、二十七年かけて「一万日行」も成し遂げた。
              「行(ぎょう)」に行く前、水垢離をしたという井戸が、雅叙園の入口にある。
              木枯らしが吹きすさぶ中を、鐘をを叩き、念仏を唱えながら日参する西運の姿を刻んだ碑が大円寺にある。
              雪道や雨の日も草鞋履きで歩くのは冷えるだろう。
              そんな姿は多くの江戸の人達の心を打ったのではないだろうか。
              浄財も多く集まり、これを基金に寺前の行人坂を石畳に直し、目黒川に石の太鼓橋をかけた。
              多分好男子だったのではと、ひそかに思う。

              その西運が浄財で架けた太鼓橋を渡って、「五百羅漢寺」に行った。 
              元禄時代に彫られた、五百体以上の群像。個性のある像に身近な人を重ねてお顔を拝見する。
              羅漢様は、お釈迦さまの説法を実際に聴き、教えの通りに修行して煩悩を払い聖者になった出家者だそうだ。

              五百羅漢寺は明治維新の後没落して、一時期は無住職となり、荒れ果てていた。
              昭和に入って、「お鯉さん」が出家し、妙照尼となり寄付を募って建て直した。
              お鯉さんとは、新橋の美人芸者で、後に、総理大臣桂太郎の愛妾になり、官邸にも住んでいた。
              壁に掛かった写真の写真のお鯉さんは、きりりとした美貌だ。
              

              遠い昔、激しい生き方をした西運、お鯉さんの女伊達、二つのお寺に伝わるお坊さんの話。

              西運の架けた目黒川の太鼓橋を、きっとお鯉さんも渡ったのだろうと思った。
   
コメント
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