つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
のんびりと過ごしています。
日々の暮らしを、少しずつ書いています。

エッセイ:古い記憶・ラジオ

2010-09-23 14:26:54 | エッセイ

 今日も暮れゆく 異国の丘に
 
友よつらかろ せつーなかろー

私は親の言う事を、よく聞かない子だった。
「夕方は暗くならないうちに帰ってきなさい」という言いつけを守らないこと
もその一つで、何度も締め出しをされた。
ラジオから流れてくる
「今日も暮ゆくー」の歌と、魚の焼ける匂いの夕方の
光景を思い出す。

 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ
 
帰る日も来る 春も来る

この歌は、戦争に負けて、ソ連に連行された旧日本兵が、寒いシベリアの
収容所で過酷な生活の中、生きる希望を歌い継いだ「異国の丘」という曲
だ。
古い記憶をたどると、満州、引揚げ船、舞鶴港、興安丸、尋ね人などが、
いつもラジオから流れていた。

もう一つ、「岸壁の母」と言う曲もあった。
実話を元に、帰らぬ一人息子を待って、中国からの引揚げ船のニュース
が入ると、岸壁に立ちつくす母を歌った歌だ。

詞の中に「シベリアは寒かろう」の一節がある。当時、日本には、戦争に往
ったまま帰らぬ息子を思い、心が張り裂けそうな気持ちで、日夜過ごしてい
た母たちが大勢いたのだろう。

最近知った事だが、その息子は、お母さんが亡くなった後も、中国で生き
ていたそうである。ソ連軍の捕虜となってシベリアに抑留、のちに満州に移
され、中国共産党八路軍に従軍した。その後レントゲン技師助手として
に居住。妻子をもうけていたと、フリー百科事典『ウィキペディア』に載っ
ていた。
なんとせつない話だろうか。

  課題【ロシア】より 
  先生の講評  
          シベリアにまつわる歌2題、筆者の幼年時代と
          ウィキペディアが今を想起させる。

         
   

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3 コメント

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つつじ先輩こんばんは! (アイビー)
2010-09-29 01:05:09
岸壁の母は何度もテレビの歌番組で聞いたので知っていますが、今日も暮れ行く・・・のほうは聞いたことがある・・・くらいです。

お母さんの思いが届いたのですね、きっと!生きていたことは知りませんでした。

つつじさんが先輩なのはわかっていましたがいつもタメ口ですみませんでした。

反省します。これからもよろしくお願いします。良い季節になりましたね
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同じ齢になりたい (つつじ)
2010-10-04 09:03:46
アイビーさん
「今日も暮いく異国の丘に~」を知ってるつつじです。
お姉ちゃんには違いないですが、お友達はみんな同じと齢だと思っていますので、どうぞよろしく!
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異国の丘 (かりん)
2010-10-11 10:19:57
懐かしい歌、久しく思い出しもしなかった歌、これには私にも思い出が、小学六年生の最後の学芸会に内容はすっかり忘れてしまいましたが、私は白いエプロンをかけたお母さん役でした。バックにこの異国の丘が流れていましたので多分戦争にまつわるお話だったのでしょう。その前の夜明日は学芸会だからと父が散髪をしてくれることになりました。おかっぱ頭の時代です。前髪を揃え、左横からぐるりと一周したはさみは右側に来た時には左よりぐっと上に刃先があり、見事に左右段差あり、私は泣きながらお風呂に入っていた母のところへ行きただ泣くばかり。翌日の講堂のステージには上手から出るので刈りあがった短い方が客席に見えたはず。私は…なんとか役目を果たしたが、どんな内容だったのか記憶から飛んでいるのです。ただ、異国の丘の歌はその時のことを思い出させます。後にあの時はどうしようかと思ったと父が言い、母がまたどうしようかと思ったといっていました。
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