エッセイ 治伯父さん 課題【隠す・さらす】 2012・10・26
欣治伯父さんは、お母さんの実家の跡取りだが、道楽者で家をつぶした。
何でも新しもの好きで、まだ自転車が珍しい頃から乗り回し、夜になるとお洒落をして、横笛を吹きながら歩いていたと言う。
子供だった母は、伯父さんの留守に自転車の稽古をして、早い内から乗れたそうだ。
鉄砲撃ちもした伯父さんのことを、皆は、肘を上げて打つ構えをしながら、「ドンは」と言っていた。
大きな茅葺の家だったというが、私が覚えているのは、土台の石だけだった。
伯父さんは屋敷外れの、木小屋だった小さな家に住んでいた。
たまに姪の私と会っても、金歯が光る、日に焼けた顔で、「〇〇か?」としか言わなかった。
新緑の頃、まだ屋敷周りの茶畑は売られていなかったのか、伯母さん達がお茶摘みに来た。
私も手伝いをした。
「しゃねーな」とか、「ほんとうに」とか話している。
又迷惑を掛けられたらしかった。
伯父さんの家の障子が細めに開いた。
「今度はどんな人だろうか」と伯母さんが言った。
伯父さんは何人目かの女の人と暮らしていた。
昼時、弁当にしようと、小さな庭に回ると箒の跡がきれいについている。
声をかけて縁側に座ると、「どうぞ」と、女の人がお盆にのせて汁椀を出した。
静かそうな人だった。
午後、伯母さんたちは「隠れるような暮ら方をしている」。
「案外いい人みたいだね」。
「だけどお汁は塩味だった、多分味噌が無いんだろう」等と、伯父さんの甲斐性なしを嘆いていた。
後に、私の結婚式に来てくれたが、金歯が欠けて、なんだか随分小さな体になって、「いよっ」と言った。
それが最後に会った欣治伯父さんの姿だった。
先生の講評‥‥人物の描き方が細にして生き生きとしユーモアがある、うまい。
のどかな田舎の風景と共に目に浮かばせる筆力だ。
つつじのつぶやき‥‥欣二伯父さんは長男です。
前回の「霧島つつじ」に出てくる伯父さんは二男、
もうみんな、彼方に逝かれました。
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