先生の講評・・・粋な二つのお寺訪問記。
参詣にまつわる自分のエピソードはないのか。
つつじのつぶやき・・・目黒川の桜がニュースになりますが、西運さんが架けた太鼓橋もあります。
行人坂の大円寺も、是非お参りしてほしいと思っています。
エッセイ 西運とお鯉さん 課題【髪・毛・かつら】 2020.6.12
目黒駅前の大きな交差点を渡り、少し行くと、行人坂という急な坂道がある。
下った所にホテル雅叙園、その先にお花見の名所目黒川、途中に大円寺という寺がある。
江戸三大大火の一つ、明和九年の火事はここが火元と言われ、境内には犠牲者を供養する多くの石仏がある。
大円寺には「八百屋お七」のお地蔵さんや、恋人西運の姿が彫られた碑もある。
その昔、雅叙園の近くに、明王院と言う寺が在ったが、大円寺に統合され、お地蔵さんや碑も移された。
八百屋お七は寺小姓に恋をし、もう一度会いたいと自宅に火をつけ、鈴ヶ森で火あぶりの刑になった。
その時の小姓が「西運」という僧になり、菩提を弔うため全国を行脚した後、明王院に入った。
西運は又、明王院から浅草観音迄往復十里、二十七年かけて「一万日行」も成し遂げた。
「行(ぎょう)」に行く前、水垢離をしたという井戸が、雅叙園の入口にある。
木枯らしが吹きすさぶ中を、鐘をを叩き、念仏を唱えながら日参する西運の姿を刻んだ碑が大円寺にある。
雪道や雨の日も草鞋履きで歩くのは冷えるだろう。
そんな姿は多くの江戸の人達の心を打ったのではないだろうか。
浄財も多く集まり、これを基金に寺前の行人坂を石畳に直し、目黒川に石の太鼓橋をかけた。
多分好男子だったのではと、ひそかに思う。
その西運が浄財で架けた太鼓橋を渡って、「五百羅漢寺」に行った。
元禄時代に彫られた、五百体以上の群像。個性のある像に身近な人を重ねてお顔を拝見する。
羅漢様は、お釈迦さまの説法を実際に聴き、教えの通りに修行して煩悩を払い聖者になった出家者だそうだ。
五百羅漢寺は明治維新の後没落して、一時期は無住職となり、荒れ果てていた。
昭和に入って、「お鯉さん」が出家し、妙照尼となり寄付を募って建て直した。
お鯉さんとは、新橋の美人芸者で、後に、総理大臣桂太郎の愛妾になり、官邸にも住んでいた。
壁に掛かった写真の写真のお鯉さんは、きりりとした美貌だ。
遠い昔、激しい生き方をした西運、お鯉さんの女伊達、二つのお寺に伝わるお坊さんの話。
西運の架けた目黒川の太鼓橋を、きっとお鯉さんも渡ったのだろうと思った。