物置代わりにしていた古い家を解体するために物を整理していたら、1970年代半ば過ぎ、学生時代に購入した駅弁の「掛紙」が二十数種類出てきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
当時は駅弁の写真を撮ってもいないので、駅弁そのものの内容はほとんど思い出せませんが、掛紙を見ていると何故そこで駅弁を買ったのかという記憶が蘇ってきました。
「いわて 牛の肉めし」一ノ関駅で現在も駅弁の製造・販売している斎藤松月堂の駅弁です。
1970年代半ばの物と思われます。7月1日の日付から、夏休みに入り名古屋からの帰省途中に購入したものと思われます。
今もある牛丼チェーン店の牛丼が「◯◯屋のゴム丼」と揶揄されながらも人気があった頃、学生には牛肉はまだまだ口にすることが出来ない時代でした。
1970年代半ばの物と思われます。7月1日の日付から、夏休みに入り名古屋からの帰省途中に購入したものと思われます。
今もある牛丼チェーン店の牛丼が「◯◯屋のゴム丼」と揶揄されながらも人気があった頃、学生には牛肉はまだまだ口にすることが出来ない時代でした。
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こちらは、東北新幹線開業に向けた国鉄と東北六県合同のキャンペーン「北へ向かって」のロゴが印刷されていますから、1977年(昭和51年)10月以降の2月3日に購入したものです。2月3日の日付から、春休みに入り名古屋からの帰省途中に購入したものと思われます。
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何故かこの「いわて 牛の肉めし」の掛紙だけが、会社名が「斎藤」ではなく「斉藤」になっています。
「いわて 牛の肉めし」は、現在販売されていません。
「いわて 牛の肉めし」は、現在販売されていません。
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