旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

仙山線経由左沢線と峠駅の旅 5 左沢線上り普通 山形行 332D

2020-10-29 17:11:42 | 左沢線の旅
 左沢駅の駅名標は、「ラ・フランス」の形をしています。


 2002年(平成14年)に供用を開始した駅舎は、円柱の上に円錐が乗っているような部分の大江町交流ステーションとの合築で、平屋部分が駅舎です。


左沢線上り 普通 山形行 332D
 滞在時間7分。折り返し列車で山形駅に向かいます。

 駅に向かっているお客様を待って、1分ほど遅れての発車です。

左沢 アテラザワ             10:11発
 駅を出るとすぐに最上川が近くに見えます。
 この辺りは最上川の舟運が盛んな頃には船着き場があったそうです。
 1936年(昭和11年)。NHK仙台放送局が「最上川を下る」という番組を製作するに当たって、当時は「最上川独自の舟唄」と呼べるものは存在しておらず、難所越えの時の「掛け声」程度しか見つからなかったそうです。
 そのため、これらを元にして作られてのが現在の「最上川舟唄」で、左沢在住の渡辺国俊が編詞、後藤岩太郎が編曲したことから、左沢が「最上川舟唄発祥の地」とされています。その記念碑もこの辺りに建っているとのことです。
 なお、「ホフマンの船歌」「ボルガの舟歌」と並び『世界三大舟歌』の一つと言われています。

 楯山トンネル、鏡山トンネルと続けて抜けると、柴橋駅に着きます。

柴橋 シバハシ         10:14着 10:15発
 単式ホーム1面1線は2両分しかないので4・6両でも運転されている列車が来たときは前2両の扉のみが開く、ドアカットが行われます。


 日東ベスト高松工場の煙突が見えてくると羽前高松駅です


羽前高松 ウゼンタカマツ    10:18着 10:19発
 1974年(昭和49年)までは、羽前高松駅と西村山郡西川町の間沢駅11.4kmを結んでいた山形交通三山線の接続駅でした。ホーム脇に見える石碑の所に山形交通の駅舎が有ったようです。


西寒河江 ニシサガエ      10:22着 10:22発
 単式ホーム1面1線の無人駅で、ホームの入口脇に待合所があるだけです。 
 山形県道23号が跨いでいるので、道路が屋根代わりとなっています。


寒河江 サガエ         10:24着 10:25発
 島式ホーム1面2線を持つ橋上駅舎です。また、左沢線営業所があり車両留置用の側線や検修庫も設置されているので、左沢線の車両や乗務員はここを拠点にしています。


南寒河江 ミナミサガエ     10:28着 10:28発
 1951年(昭和26年)12月25日、気動車投入を機に東金井・羽前金沢・西寒河江・柴橋の各駅と同時に既存駅の中間に開業した駅です。これによって左沢線の途中駅は倍増しました。


 334mの最上川橋梁は、山形鉄道フラワー長井線の最上川橋梁と同じく、東海道本線木曽川橋梁として使用されていたものを移設したもので、「日本最古の現役鉄橋」です。


 最上川を境に中山町長崎に入ります。この地区には里芋を鍋で煮て食べるときに鍋をかけたという言い伝えのある「鍋掛の松」が1917年(大正6年)まで残っていたそうです。その鍋は、近くの小塩地区の名産だった里芋「小塩芋」と、舟運で積んできた棒鱈、最上川でとれた雑魚を一緒に煮た物で、舟運に携わった船頭達が鍋をしたのではないかと言われています。
 「鍋掛の松」は、芋煮のルーツをあらわす伝承遺跡として復元されているそうですから、『山形の芋煮発祥の地』とも言えます。


羽前長崎 ウゼンナガサキ    10:31着 10:32発
 かつては島式ホーム1面2線を持つ駅ででしたが、2004年(平成16年)に駅西側住民の要望により単式ホーム1面1線とした上で西口を開設し、この際に東側駅舎内にあった窓口も西側に移転しています。
 

羽前金沢 ウゼンカネザワ    10:34着 10:34発
羽前山辺 ウゼンヤマベ     10:38着 10:38発

 今日は土曜日。車内は山形市内に出掛ける乗客で、徐々に混んできました。


 最後の1枚です。
 前回も気になったのですが、天体望遠鏡のあるお宅。


東金井 ヒガシカナイ      10:42着 10:42発
北山形 キタヤマガタ      10:46着 10:47発


山形 ヤマガタ         10:51着         
 つづく


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