15才の時…近所の楽器店のショーウィンドウに飾ってあったアコギを買ってから、26才までギタリストとしてバンド活動していた僕ですが…ある日、それを諦めなければならない出来事がありました。
ちょっと重い話でしかも長文ですが、思い切って綴ります。
【左指3本の切断】
僕は20代後半に、仕事中の事故により左手の人差し指・中指・薬指を切断してしまいました。
その頃は超多忙で、仕事は樹脂切削のマシニング加工で独立(社内で間借りして外注として個人事業主)していて、趣味では念願のバスフィッシングのトーナメントプロの資格を得たところでした。怪我はそんなある日、3日間徹夜の後の出来事でした。自分の不注意で材料を切る時の昇降盤と呼ばれてる機械の高速回転している刃に一瞬触れてしまいました。自分の目の前で人差し指の爪がはがれ、先端が削れ、中指は第二関節から完全に切断して取れました。なんという脆さ…。
薬指もなんとか手にぷらんとくっついていて、どうなっているかわからないくらいぐちゃぐちゃでした。それをみた外科医が「切断したほうがいい」と言っていましたが、「薬指だけはなんとか繋いでください!」僕は絶叫してお願いし、無理に縫合してしもらったのです。
奇跡的に薬指はなんとか指の形に見えるまで回復しましたが思うように曲がりません。神経も切れているので感覚がありません。医者にも「薬指の関節はもう曲がらないよ」と言われました。
【ギターの音が聴けなくなった】
そうなるとギターはあきらめるほかありませんでした。怪我の後はギターの音色の入っている曲を聴くことはありませんでした。
音を聴くだけで喪失感が強くなり、左手が不自由でカッコ悪い現実を思いだし…じっと見つめ落ち込んで立ち直れなくなるんです。
「バンドをやっていた」という過去も誰かに話すことはもちろんできません。
その頃はピアノがメインの「坂本龍一」や、ジブリでおなじみの「久石譲」、ルパン音楽の「大野雄二」をよく聴いていました。
【バスフィシングが落ち込んだ僕を救ってくれた】
そんな状態ですのでより一層「バスフィッシング」に情熱を注ぎこんでいました。釣りはひとりになれる貴重な時間であり、次第にバスフィシングのトーナメントプロに憧れ、船舶免許を取得し、船も購入。毎週末は必ず何処かの湖にボートを浮かべて車中泊し練習。ついに憧れのトッププロと同じ舞台に立てるところまでいきました。
指は、キズが回復してもずっと突き指をしているような痛みがあり、寒い冬の釣りは本当につらかったのですが、皆が釣りをしない冬こそ練習に湖へ通いました。そんな中、10年続けていましたので好きだからできたんでしょうね。
ひとりでいるのが好きで始めた釣りなのに、いつの間にか仲間がたくさんできました。
【動き出した薬指】
幸いというか、手作業が多い加工のしごとをしていたのと、釣りでラインを結んだりしていたら指が動きだし、次第に薬指は曲がるようになりました。動かないと言った医者には「よく動かしてるからだな」と感心されました。適当ですね(笑)
余談ですが、
無くなった中指はいまだにまだ「有るような感覚」があり、何かを持つ時に空振りして物をよく落とします(苦笑)
【手放せなかったレスポール】
そしてケガをして10年ほど経ったある日・・・
10代から使っていてなんとなく手放せなかった相棒の「黒レスポール」を 押入れの奥から引っ張りだし、 久しぶりに弾いてみました。
「ん!?なんか弾けるぞ!」
昔みたいにソロは弾けませんが、なんとなくリフやコードが指先から溢れてきました。
かなり工夫をしましたが・・・無くなってしまった中指を他の指でカバーするとなんとかコードを押さえることができたのです!
その日から「リハビリ」としてちょいちょいと弾くことにしました。
もちろんその時は人前では弾くことは考えてもみませんでした。
【高知の仲間たちとの出会い】
その後、結婚を機に高知に移住し、>「Flat Five Jazz Quartet」のライヴを観ました。
衝撃でした。JAZZというかっこいいジャンル、僕と同じ年齢・・・しっかり仕事を持ちながら数十年も定期的にライブをし、同じメンバーで続けているというスタイル。
自分たちが楽しむだけではなくお客さんを笑顔にするMCや音楽は、僕がやりたかったバンドスタイルのすべてが「Flat Five Jazz Quartet」に詰まっていたのです。
僕は自分でやっていたバンドを26才できっぱり辞めたときのことを思い出しました。
そのバンドはメジャー志向で、オリジナル曲を演奏し、僕が曲を書いたものもありました。
有名な音楽プロダクションにも在籍していたこともありましたが、メジャーへの壁は分厚く、僕のテクニックも含めて「このバンドでは無理だ」と感じていました。
メンバーに「スタンダードな曲をやって技術を高めて、誰もが知っている曲で自分もお客さんも楽しめるバンドにして趣味としてやっていかないか」と提案したところ猛反対されました。
「このバンドではメジャーは無理だ」の一言も言えず(言ったかもしれませんが)自ら作ったバンドを脱退しました。
反発された理由には、僕が「メジャーになろう!」ということで引っ張ってきたメンバーもいたからでした。
だから僕の言葉を信じてすべてを投げ捨ててバンドに取り組もうとしていたメンバーにとって僕の提案は裏切り行為ということになってしまったのです・・・。
このこともあり、ギターを弾くこと、音楽への情熱がぷつんと切れてしまったのです。それ以降はドラムで2回ほどヘルプでライブをしただけです。
あまりに狭い世界で音楽をしていて他に仲間もいないこともあり、音楽とは疎遠になっていきました。
考えすぎかもしれませんが、「仲間を裏切った罰」が左手の指の切断だったのかもしれません…。
【高知で僕の音楽が溢れだした】
高知に移住してからというもの、「Flat Five Jazz Quartet」の仲間たちとの交流、そしてJAZZシンガーの妻のおかげでミュージシャンの仲間も増えました。高知で仕事を持ちながらもCDを発売しライブ活動をしているプロ、アマチュアながら定期的に演奏しているプロ級ミュージシャンの方々から刺激をいただき、ますます音楽への情熱が戻ってきました。
2013年の「Flat Five Jazz Quartet」の忘年会に寄せてもらった時のこと。
2次会は朝倉駅前の「オセロ」というバーで演奏をするということでひょいひょいついていきました。
いつものようにすばらしい演奏に酔いしれました。
「毎年恒例で演奏会をやっているのかな」と思っていましたが、実はサプライズとして「僕にギターを弾かせる」企画だったそうです(涙)
「くまちゃん、ギター弾いてみなよ~」とギタリストのYUJIさんからギターを渡され、酔った勢いもあり思い切って人前でギターを弾いてみました。
「flatfivejazzquartet」との初共演です!…はっきりいってギターソロ、リズムについていけずダメダメでしたが(笑)ただただメンバーと妻の気持ちがうれしくて、より一層ステージデビューをしたいなと思いました。「おまんを絶対ステージに立たせたい!」
みんなからの言葉が泣きそうにうれしかった・・・いや、泣いていたかも・・・酔っていたのでその辺は曖昧(笑)
しかし、気持ちと指の動きは別物で、なかなか思うように弾けません。
妻と僕が好きな曲をかき集めてなんとかぽつぽつ練習していましたが人前で演奏するレベルには到底及ばず、
もんもんとしなからもあっという間に日々が過ぎていきました…。
【クラウドマーケットで再スタート】
そんな時、HAPPAさんに「いま何の曲を練習しているの?私がベース弾くからAlmazでギター弾いてみたら」とお誘いがありました。
ようやくステージで披露するチャンスがやってきました。
たった2曲でしたが・・・できうる限りの指の動きで「Almaz」を崩さないように1か月間猛練習しました。
最初にAlmazのメンバーの妻ことMAYA、HAPPAさん、パーカッションのやまゆうさんと合わせたとき、高校生のときにバンドを始めた頃のワクワク感がよみがえりました。3人の演奏の上手さに感動して「このメンバーでギターをまた弾けるということはなんと幸せなんだろう」と目がうるうるしてしまいした。そんな思いを巡らせていると指がいうことを聞かず間違えます…なんとか演奏に集中し、メンバーのおかげでアレンジも固まり、あとは僕がしっかり弾けるかどうかにかかっていました。
そして先日2014年12月7日、妻との約束「いつかふたりでステージに立とう」という夢が実現しました。
7年前、約束した日に購入した「Godin」をついにステージで使用する日が来たのです。
「Qraud Market Vol,6」でPM1:10からの出演の「Almaz」
高知で活躍しているミュージシャンの方々の中で、ひょっこりと演奏してきました。
曲はJAZZナンバー「Alfie」と、高校生の時に大好きだった佐野元春さんの「バルセロナの夜」を自分でギターアレンジしました。
つたないギター演奏でしたが、メンバーと温かいお客さんと仲間のおかげで楽しく演奏することができました。
再スタート…今はギターを弾くのが楽しくて仕方ありません。
いままでのすべての出来事に感謝!
仲間に感謝!
妻には大感謝!
高知は僕にとって何もかも再スタートを切ることができるフィールドだと確信しています。
これからも牛歩づつ、テクニックを磨き
ギターを弾き続けていきます。
どこかで聴いていただければ幸いです。
今ピアノを習っている息子(6才)とのライブでの共演・・・次の夢です。
長文最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ちょっと重い話でしかも長文ですが、思い切って綴ります。
【左指3本の切断】
僕は20代後半に、仕事中の事故により左手の人差し指・中指・薬指を切断してしまいました。
その頃は超多忙で、仕事は樹脂切削のマシニング加工で独立(社内で間借りして外注として個人事業主)していて、趣味では念願のバスフィッシングのトーナメントプロの資格を得たところでした。怪我はそんなある日、3日間徹夜の後の出来事でした。自分の不注意で材料を切る時の昇降盤と呼ばれてる機械の高速回転している刃に一瞬触れてしまいました。自分の目の前で人差し指の爪がはがれ、先端が削れ、中指は第二関節から完全に切断して取れました。なんという脆さ…。
薬指もなんとか手にぷらんとくっついていて、どうなっているかわからないくらいぐちゃぐちゃでした。それをみた外科医が「切断したほうがいい」と言っていましたが、「薬指だけはなんとか繋いでください!」僕は絶叫してお願いし、無理に縫合してしもらったのです。
奇跡的に薬指はなんとか指の形に見えるまで回復しましたが思うように曲がりません。神経も切れているので感覚がありません。医者にも「薬指の関節はもう曲がらないよ」と言われました。
【ギターの音が聴けなくなった】
そうなるとギターはあきらめるほかありませんでした。怪我の後はギターの音色の入っている曲を聴くことはありませんでした。
音を聴くだけで喪失感が強くなり、左手が不自由でカッコ悪い現実を思いだし…じっと見つめ落ち込んで立ち直れなくなるんです。
「バンドをやっていた」という過去も誰かに話すことはもちろんできません。
その頃はピアノがメインの「坂本龍一」や、ジブリでおなじみの「久石譲」、ルパン音楽の「大野雄二」をよく聴いていました。
【バスフィシングが落ち込んだ僕を救ってくれた】
そんな状態ですのでより一層「バスフィッシング」に情熱を注ぎこんでいました。釣りはひとりになれる貴重な時間であり、次第にバスフィシングのトーナメントプロに憧れ、船舶免許を取得し、船も購入。毎週末は必ず何処かの湖にボートを浮かべて車中泊し練習。ついに憧れのトッププロと同じ舞台に立てるところまでいきました。
指は、キズが回復してもずっと突き指をしているような痛みがあり、寒い冬の釣りは本当につらかったのですが、皆が釣りをしない冬こそ練習に湖へ通いました。そんな中、10年続けていましたので好きだからできたんでしょうね。
ひとりでいるのが好きで始めた釣りなのに、いつの間にか仲間がたくさんできました。
【動き出した薬指】
幸いというか、手作業が多い加工のしごとをしていたのと、釣りでラインを結んだりしていたら指が動きだし、次第に薬指は曲がるようになりました。動かないと言った医者には「よく動かしてるからだな」と感心されました。適当ですね(笑)
余談ですが、
無くなった中指はいまだにまだ「有るような感覚」があり、何かを持つ時に空振りして物をよく落とします(苦笑)
【手放せなかったレスポール】
そしてケガをして10年ほど経ったある日・・・
10代から使っていてなんとなく手放せなかった相棒の「黒レスポール」を 押入れの奥から引っ張りだし、 久しぶりに弾いてみました。
「ん!?なんか弾けるぞ!」
昔みたいにソロは弾けませんが、なんとなくリフやコードが指先から溢れてきました。
かなり工夫をしましたが・・・無くなってしまった中指を他の指でカバーするとなんとかコードを押さえることができたのです!
その日から「リハビリ」としてちょいちょいと弾くことにしました。
もちろんその時は人前では弾くことは考えてもみませんでした。
【高知の仲間たちとの出会い】
その後、結婚を機に高知に移住し、>「Flat Five Jazz Quartet」のライヴを観ました。
衝撃でした。JAZZというかっこいいジャンル、僕と同じ年齢・・・しっかり仕事を持ちながら数十年も定期的にライブをし、同じメンバーで続けているというスタイル。
自分たちが楽しむだけではなくお客さんを笑顔にするMCや音楽は、僕がやりたかったバンドスタイルのすべてが「Flat Five Jazz Quartet」に詰まっていたのです。
僕は自分でやっていたバンドを26才できっぱり辞めたときのことを思い出しました。
そのバンドはメジャー志向で、オリジナル曲を演奏し、僕が曲を書いたものもありました。
有名な音楽プロダクションにも在籍していたこともありましたが、メジャーへの壁は分厚く、僕のテクニックも含めて「このバンドでは無理だ」と感じていました。
メンバーに「スタンダードな曲をやって技術を高めて、誰もが知っている曲で自分もお客さんも楽しめるバンドにして趣味としてやっていかないか」と提案したところ猛反対されました。
「このバンドではメジャーは無理だ」の一言も言えず(言ったかもしれませんが)自ら作ったバンドを脱退しました。
反発された理由には、僕が「メジャーになろう!」ということで引っ張ってきたメンバーもいたからでした。
だから僕の言葉を信じてすべてを投げ捨ててバンドに取り組もうとしていたメンバーにとって僕の提案は裏切り行為ということになってしまったのです・・・。
このこともあり、ギターを弾くこと、音楽への情熱がぷつんと切れてしまったのです。それ以降はドラムで2回ほどヘルプでライブをしただけです。
あまりに狭い世界で音楽をしていて他に仲間もいないこともあり、音楽とは疎遠になっていきました。
考えすぎかもしれませんが、「仲間を裏切った罰」が左手の指の切断だったのかもしれません…。
【高知で僕の音楽が溢れだした】
高知に移住してからというもの、「Flat Five Jazz Quartet」の仲間たちとの交流、そしてJAZZシンガーの妻のおかげでミュージシャンの仲間も増えました。高知で仕事を持ちながらもCDを発売しライブ活動をしているプロ、アマチュアながら定期的に演奏しているプロ級ミュージシャンの方々から刺激をいただき、ますます音楽への情熱が戻ってきました。
2013年の「Flat Five Jazz Quartet」の忘年会に寄せてもらった時のこと。
2次会は朝倉駅前の「オセロ」というバーで演奏をするということでひょいひょいついていきました。
いつものようにすばらしい演奏に酔いしれました。
「毎年恒例で演奏会をやっているのかな」と思っていましたが、実はサプライズとして「僕にギターを弾かせる」企画だったそうです(涙)
「くまちゃん、ギター弾いてみなよ~」とギタリストのYUJIさんからギターを渡され、酔った勢いもあり思い切って人前でギターを弾いてみました。
「flatfivejazzquartet」との初共演です!…はっきりいってギターソロ、リズムについていけずダメダメでしたが(笑)ただただメンバーと妻の気持ちがうれしくて、より一層ステージデビューをしたいなと思いました。「おまんを絶対ステージに立たせたい!」
みんなからの言葉が泣きそうにうれしかった・・・いや、泣いていたかも・・・酔っていたのでその辺は曖昧(笑)
しかし、気持ちと指の動きは別物で、なかなか思うように弾けません。
妻と僕が好きな曲をかき集めてなんとかぽつぽつ練習していましたが人前で演奏するレベルには到底及ばず、
もんもんとしなからもあっという間に日々が過ぎていきました…。
【クラウドマーケットで再スタート】
そんな時、HAPPAさんに「いま何の曲を練習しているの?私がベース弾くからAlmazでギター弾いてみたら」とお誘いがありました。
ようやくステージで披露するチャンスがやってきました。
たった2曲でしたが・・・できうる限りの指の動きで「Almaz」を崩さないように1か月間猛練習しました。
最初にAlmazのメンバーの妻ことMAYA、HAPPAさん、パーカッションのやまゆうさんと合わせたとき、高校生のときにバンドを始めた頃のワクワク感がよみがえりました。3人の演奏の上手さに感動して「このメンバーでギターをまた弾けるということはなんと幸せなんだろう」と目がうるうるしてしまいした。そんな思いを巡らせていると指がいうことを聞かず間違えます…なんとか演奏に集中し、メンバーのおかげでアレンジも固まり、あとは僕がしっかり弾けるかどうかにかかっていました。
そして先日2014年12月7日、妻との約束「いつかふたりでステージに立とう」という夢が実現しました。
7年前、約束した日に購入した「Godin」をついにステージで使用する日が来たのです。
「Qraud Market Vol,6」でPM1:10からの出演の「Almaz」
高知で活躍しているミュージシャンの方々の中で、ひょっこりと演奏してきました。
曲はJAZZナンバー「Alfie」と、高校生の時に大好きだった佐野元春さんの「バルセロナの夜」を自分でギターアレンジしました。
つたないギター演奏でしたが、メンバーと温かいお客さんと仲間のおかげで楽しく演奏することができました。
再スタート…今はギターを弾くのが楽しくて仕方ありません。
いままでのすべての出来事に感謝!
仲間に感謝!
妻には大感謝!
高知は僕にとって何もかも再スタートを切ることができるフィールドだと確信しています。
これからも牛歩づつ、テクニックを磨き
ギターを弾き続けていきます。
どこかで聴いていただければ幸いです。
今ピアノを習っている息子(6才)とのライブでの共演・・・次の夢です。
長文最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
お互い、ギターは続けていきましょう。僕は人前で弾くのはちょっと厳しいです。あの緊張感を楽しめないのです、恐怖しかないのです (笑)
人前で演奏できるのって、本当にすごいことだと思いますし、そんな方々を心から尊敬し応援していきたいです。
あやたかさんの演奏が聴ける機会あれば動画などでUPしたなどご報告いただければ幸いです。
そんな日を楽しみにしています(#^.^#)
相方が、カズーや鉄琴など小道具を用意して頑張ってくれたのに私のギターがヨロヨロでどうにもこうにも(>_<)
でも来年も隣で歌ってくれるみたいだから嬉しいし感謝です。
いつか素晴らしい相棒の歌と寄り添えるようなギターを弾けたらと思ってます。
指の具合はどうですか?
僕は寒くなったら左手の血行が悪くなって切断部分に神経痛が出ます。
障害とも上手く付き合っていかないといけませんね。
もう少し上手く演奏できるようになったら、自分へのプレゼントとして欲しかった335を!とそれをモチベーションのひとつにしてます(笑)
私は長崎在住で釣りも好きなので(水曜どうでしょうも・笑)、他のブログも楽しく読ませていただいてます。
今年は貴方のブログに出会えてまたギターが楽しくなりました。
いい縁に感謝です。
寒くなったので体調には気をつけてよいお年をお迎えください。
女性ジャズシンガーとギターのユニットとは!なんと素敵なんでしょう♪よほどの腕前だと思います。お互いに出せる音に喜びを感じながら楽しみましょう。
あやたかさんにコメントいただいたのをきっかけに再スタートします。ありがとうございました!