好きになったから結婚するのだろうが、これは気の迷いでもある。一時的に盛り上がるからである。血圧も高くなるんだろう。脳も錯乱してしまう。
ボキの前には、嫌いな(イヤな)人間なんてぇもんがいない。だって、会いたくない人とは会わないからである。アワナイのだから、会わないのである。会っていないのだから、嫌いな人間がボキの目の前にはいないという寸法になる。だから実にありがたいのだ。毎日が楽しいからである。楽に生きていけるのだ。悩む必要もなんにもない。だって物理的に目の前にいないからである。
イヤな奴というのはどうしてもいるが、そんなもん相手にしないことだ。目の前から追っ払うことである。
そんな奴と会っていて、人生が暗くなってしまったらオシマイである。自分もイヤな奴になってしまうからだ。イヤな奴よりもっとイヤな奴になってしまったら、こんなくだらんことはない。それに腹が立つということもない。相手にしていないからだ。こっちが。くだらん奴とは、関わりたくもないからである。したがって、世の中のくだらんことで一喜一憂することもない。所詮、庶民のボキである。今日の太陽のように、明るく、日向ぼっこでもしているときが、シアワセであるからだ。
楽しく生きるに限るではないか。楽しいという字は、楽という漢字を含む。これは「ラク」とも読む。そうなのである。楽しければ、「ラク」なのである。ちなみに、ボキのデスクトップパソコンで「ラク」と打鍵すると、「楽」と出てくるから間違いない(^_^)。
一生に一度だけ会うという人もいるだろう。10年に一回とか、半年に一回とか、一年に一回とか、一ヶ月に一回とかいろいろいる。それなりに対処していけば良し。その程度のことなのだ。
しかしである。
結婚が一番問題である。
そもそも結婚というのは、一番アワナイ人間同士がするからである。まさか、近親結婚をするわけにはいかない。アッテいるかアワナイかという問題では、他人同士である男女が結婚をして一緒に生活するのだ。当然お互いに理解できるまで時間がかかる。思想信条、宗教、これまでの生育歴も違っている。性格も違う。とうてい似ていないもの同士が結婚するのである。
人類史から言っても、近親結婚を避けてきたのが人類である。そのためにも、女性は古来元いた集団を離脱して別の集団に所属するようになっていると言う。いわば贈りものとして結婚が機能していたというのだ。レヴィー・ストロースが言ったような気がする。
好きになったから結婚するのだろうが、これは気の迷いでもある。一時的に盛り上がるからである。血圧も高くなるんだろう。脳も錯乱してしまう。だから、一番相手にして欲しくないことを男女問わずやってしまうのだ。ごろごろしている旦那が許せない主婦には、ごろごろばかりしている旦那が相手になる。だらしない男には、きちんとした女が女房になる。料理も掃除もなんもできない男には、パーフェクトにできる女が女房になる。こりゃ全部ボキにあてはまっている。
わははっははっはははっはははっははっははは。
結婚式をしているときが、一番のシアワセであろう。後はだんだんと正常になってくる。目が覚めてくる。あああああ、愚かなことをしてしまったとなる。
しかしである。
これからが重要である。それは「結婚というのは修行の場」であるからだ。どんな問題が起きても、ドントコイ!であるからだ。なにが起きてもドントコイである。対応力が身につく。忍耐力も身につく。そして絶対に暴力をふるってはいけない。
夫婦といえども所詮は他人。他人は変えられないからである。そもそも人間を変えることなんてできるわけもない。
評価というのも怪しいもんである。低評価だった生徒だって、社会に出たら大成功しているからだ。数値で表せるほど、人間は単純ではないからだ。ましてや、夫婦関係なんて言うまでもない。
夫婦関係のみならず、すべての人間関係というのは「相手に期待しない」「相手を変えようとしない」のが、コツである。これは、仕事の人間関係でも同じことである。トラブらないためにも、日頃からボキも実践していることだ。だから、五つもの副業をこなしながら、全部円満にやることができるのである。
ありがたいもんである。
合掌。
ち~~~~~~~~~~ん。
ヾ(*´∀`*)ノ