GXR用の新しいファームウェアが公開され、既存のユーザー特にGR LENS A12 50mmが歓喜して盛り上がっているところ、
GR LENS A12 28mmが発売された。
あちこちから試写レポートが多数上がってきているが、腕もある方たちなのだろう。すばらしい作品が多い。
これらの画像を見て、画像、画質でけちをつけるようなアンチは見受けられないが、撮像素子が一体になっていることの
デメリットだけをあげつらう人があいかわらずいる。多くは次の2点に集約される。
1.コストの高い撮像素子を複数所有することになるから、もったいない。
2.撮像素子に限らず電子部品の技術は進歩しており、すぐに陳腐化する。
レンズ交換型を所有している人の多くは、3~4本のレンズを所有しているそうだ。あくまで平均。
本体の撮像素子に設定してあるローパスフィルター(以下、LPF)は、各メーカーの設定する条件下に最適化されている。
このLPFはFAVIONを除く、画素が規則正しく並べられたCCDやCMOSの撮像素子で、パターン模様の撮影時に出る虹状のモアレや
色が画素をまたがっている時に出る偽色(色収差)を軽減させるものだ。
細かい説明は抜きに要約すると、光を分散させることで、これらの効果を出している。
せっかく集光した光を分散させるのだから、この効果とトレードオフで解像度が落ちていくことになる。
そこでレンズ交換型のはらむ問題は、わかりやすい比較で広角と望遠では撮像素子にあてる光線の角度が違うということ。
中心部は同じにしても、周辺部に差が出る。望遠系はほぼまっすぐあたるのに対し、広角は角度をつけてあたる。
となると、先ほど挙げたLPFの効果がレンズごとに異なる可能性がある。
あるレンズでは95%くらいの性能が出せるけど、レンズを交換すると85%くらいになることがあるわけだ。この振れ具合は謎だが。
これって、せっかくのレンズの性能が永遠に100%発揮されないことを意味する。
そもそも3~4本のレンズのためにBODYを新調するなんて、もったいなくないのかな。
4本のレンズのために10万のBODYを購入したら、1本当たり2.5万円の投資だけど、撮像素子より安いのかな。
逆に撮像素子を無駄に高く買っているんじゃないだろうか。
撮像素子がもったいないのと、性能が100%発揮されないもったいなさ、前者は支払った分は働くけど、後者は支払った分きちんと働かないことになる。
電子部品は陳腐化することは、紛れも無い事実で目を背けようが無い将来。
陳腐化したものだけを交換するレンズ交換型の方が、精神衛生上、あっている。
でも、みんなは撮影した画像をどう鑑賞しているのだろうか。
紙出力であればA4で600万画素あれば、写真集やグラビアのクォリティは十分出る。
フルハイビジョンテレビやモニターなら、200万画素程度だ。
メーカーの画素数競争で天井知らずに増えていくが、画素数はオーバークォリティと言える。
集光能力、ダイナミックレンジ、階調は進化していくだろう。
RAWならともかく、JPEGにする時点でダイナミックレンジ、階調は圧縮時に情報を落とされている。
陳腐化は紛れも無い事実で未来だが、この陳腐化を実感できるのは本当に目の肥えた人だろう。
あとは私も含めプラシーボじゃないのかな。
逆にレンズというアナログ資産は永遠に思っているのかもしれないが、光学技術も進歩している。
同じ性能ならより小さく軽く、同じ大きさならより収差の少ない優れた光学性能が出せるようになる。
そしてなによりも、フランジバックの存在はどうなのだろうか。
ここは光学ファインダーのための空間なので、1/30か1/60は遅れて確認している電子ビューファインダーと一線を画する点である。
しかし、この空間により広角は無駄に大きくなる。GR LENS A12 28mmや、LEICA X1、近々発売されるであろうFUJI Finepix X100の厚さを見れば、
一眼のフランジバック内にすべて収まることがわかる。
撮影者とのインターフェイスと、被写体とのインターフェイスで切り分け、それぞれのために最適化したユニット交換型。
進歩する電子部品の塊と、変化の少ないアナログの塊で切り分け、「撮影する」ことより「資産」として最適化を考えたようなレンズ交換型。
少なくとも、一眼は光学ファインダーが残る。タイムラグの面で多くは「瞬間」の撮影が多い望遠系に重要な役割を果たしているのだろう。
「空間」の撮影が多い広角系には、絶対ではない。
この面ではレンズ交換型の中でも、一眼とミラーレスは立ち位置が異なる。(ミラーレスはポジションが明確に無いような気もするが)
価値観はたくさんあるので、どれが良いか決めるのはそれぞれだ。
価値観の多様性は大事。
GR LENS A12 28mmが発売された。
あちこちから試写レポートが多数上がってきているが、腕もある方たちなのだろう。すばらしい作品が多い。
これらの画像を見て、画像、画質でけちをつけるようなアンチは見受けられないが、撮像素子が一体になっていることの
デメリットだけをあげつらう人があいかわらずいる。多くは次の2点に集約される。
1.コストの高い撮像素子を複数所有することになるから、もったいない。
2.撮像素子に限らず電子部品の技術は進歩しており、すぐに陳腐化する。
レンズ交換型を所有している人の多くは、3~4本のレンズを所有しているそうだ。あくまで平均。
本体の撮像素子に設定してあるローパスフィルター(以下、LPF)は、各メーカーの設定する条件下に最適化されている。
このLPFはFAVIONを除く、画素が規則正しく並べられたCCDやCMOSの撮像素子で、パターン模様の撮影時に出る虹状のモアレや
色が画素をまたがっている時に出る偽色(色収差)を軽減させるものだ。
細かい説明は抜きに要約すると、光を分散させることで、これらの効果を出している。
せっかく集光した光を分散させるのだから、この効果とトレードオフで解像度が落ちていくことになる。
そこでレンズ交換型のはらむ問題は、わかりやすい比較で広角と望遠では撮像素子にあてる光線の角度が違うということ。
中心部は同じにしても、周辺部に差が出る。望遠系はほぼまっすぐあたるのに対し、広角は角度をつけてあたる。
となると、先ほど挙げたLPFの効果がレンズごとに異なる可能性がある。
あるレンズでは95%くらいの性能が出せるけど、レンズを交換すると85%くらいになることがあるわけだ。この振れ具合は謎だが。
これって、せっかくのレンズの性能が永遠に100%発揮されないことを意味する。
そもそも3~4本のレンズのためにBODYを新調するなんて、もったいなくないのかな。
4本のレンズのために10万のBODYを購入したら、1本当たり2.5万円の投資だけど、撮像素子より安いのかな。
逆に撮像素子を無駄に高く買っているんじゃないだろうか。
撮像素子がもったいないのと、性能が100%発揮されないもったいなさ、前者は支払った分は働くけど、後者は支払った分きちんと働かないことになる。
電子部品は陳腐化することは、紛れも無い事実で目を背けようが無い将来。
陳腐化したものだけを交換するレンズ交換型の方が、精神衛生上、あっている。
でも、みんなは撮影した画像をどう鑑賞しているのだろうか。
紙出力であればA4で600万画素あれば、写真集やグラビアのクォリティは十分出る。
フルハイビジョンテレビやモニターなら、200万画素程度だ。
メーカーの画素数競争で天井知らずに増えていくが、画素数はオーバークォリティと言える。
集光能力、ダイナミックレンジ、階調は進化していくだろう。
RAWならともかく、JPEGにする時点でダイナミックレンジ、階調は圧縮時に情報を落とされている。
陳腐化は紛れも無い事実で未来だが、この陳腐化を実感できるのは本当に目の肥えた人だろう。
あとは私も含めプラシーボじゃないのかな。
逆にレンズというアナログ資産は永遠に思っているのかもしれないが、光学技術も進歩している。
同じ性能ならより小さく軽く、同じ大きさならより収差の少ない優れた光学性能が出せるようになる。
そしてなによりも、フランジバックの存在はどうなのだろうか。
ここは光学ファインダーのための空間なので、1/30か1/60は遅れて確認している電子ビューファインダーと一線を画する点である。
しかし、この空間により広角は無駄に大きくなる。GR LENS A12 28mmや、LEICA X1、近々発売されるであろうFUJI Finepix X100の厚さを見れば、
一眼のフランジバック内にすべて収まることがわかる。
撮影者とのインターフェイスと、被写体とのインターフェイスで切り分け、それぞれのために最適化したユニット交換型。
進歩する電子部品の塊と、変化の少ないアナログの塊で切り分け、「撮影する」ことより「資産」として最適化を考えたようなレンズ交換型。
少なくとも、一眼は光学ファインダーが残る。タイムラグの面で多くは「瞬間」の撮影が多い望遠系に重要な役割を果たしているのだろう。
「空間」の撮影が多い広角系には、絶対ではない。
この面ではレンズ交換型の中でも、一眼とミラーレスは立ち位置が異なる。(ミラーレスはポジションが明確に無いような気もするが)
価値観はたくさんあるので、どれが良いか決めるのはそれぞれだ。
価値観の多様性は大事。
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