透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

― 火の見櫓 広くて深い世界

2019-12-08 | A 火の見櫓っておもしろい

■ ふたつの火の見櫓講座、今月(12月)1日のココブラ信州と7日のサイエンスカフェ(池田町のカフェ 風のいろ)を予定通り行うことができました。参加していただいた皆さん、ありがとうございました。企画・準備していただたたスタッフの皆さん、お世話になりました。

私が撮りためた火の見櫓の写真をご覧いただきながら話を聞いていただいた皆さんが火の見櫓に興味を持っていただき、「火の見櫓 みんなちがって みんないい」と思うようになっていただけたら幸せです。


大町市美麻の火の見櫓 撮影日20100504 

後方に写っているそば屋「ヨコテ家」からこの木造の火の見櫓を見たのが出口のない火の見櫓の世界に入り込むきっかけでした。


 


「脳には妙なクセがある」

2019-12-08 | A 読書日記



 『脳には妙なクセがある』池谷裕二/新潮文庫 5日、朝カフェで読み終えた。

本書を読んで中公新書ではなくて新潮文庫、といことに納得(と書いてもこの記事の閲覧者は「?」だと思うが)。

様々な実験によって得られた脳に関する知見をいくつも読み物としてまとめている。例えば幽体離脱。このオカルト的な現象も脳の右側頭頂葉の「角回」という部位を刺激すると起きることが実験によって確認されているという。

角回をウィキペディアで調べると、幽体離脱についても触れていて次のような説明がある。**身体が実際に存在する位置と意識が知覚している身体の位置との不一致によるものと考えられる。** 


興味深い内容で「へ~、そうなのか」の連続だった。


 


― 東筑摩郡麻績村の火の見櫓

2019-12-06 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)東筑摩郡麻績村下田 3脚〇〇型 撮影日191205

 麻績(おみ)村を通る国道403号沿いに立つ火の見櫓。印象が柔らかく女性的なのは構成部材が鋼管だからか。





梯子は見張り台の床止まりだが、手すりを屋根下まで伸ばしてある。この手すりのカーブも印象をより柔らかくしているのかもしれない。



ブレースのリングがやけに大きい。よく見るとブレースをリングに溶接止めしている。



脚部 この場合アーチ状の部材はあっても無くても構造上それほど変わらないような気がする。脚元だけ塗装補修してある。



半鐘に貼ってあるラベル 以前この火の見櫓を見た時はこのラベルには気がついていなかった。


 


ブックレビュー 1911

2019-12-03 | A ブックレビュー



 11月に読んだ6冊の本。小説を読んでいないな~。

『昆虫はすごい』丸山宗利/光文社新書:昆虫たちの驚きの繁殖戦略、これはもうヒトよりスゴイかも、いや、スゴイ。

『「わかる」とはどういうことか ―認識の脳科学』山鳥 重/ちくま新書:**ヒトの認識のメカニズムを、きわめて平明に解き明かす刺激的な試み。**とカバー折り返しにはあるが・・・。

『茶 利休と今をつなぐ』千 宗屋/新潮新書:覗き見る奥深き茶の世界 爲三郎記念館(名古屋)で買い求めた新書。

『芥川賞の謎を解く 全選評完全読破』鵜飼哲夫/文春新書:芥川賞選考会では何が起きているのか、著者の講演会を聴き、会場で買い求めた。

『地名崩壊』今尾恵介/角川新書:地名や駅名をきっちり調べ上げてある。このくらい徹底していると、すごいな、と思う。地名は文化。それが次第に改変されていく。これは由々しき問題。

『マナベの「標語」100』真鍋恒博/彰国社:大学生の基礎修養、研究生活心得帖。先日、自著『あ、火の見櫓!』と交換していただいた。

読了本6冊のうち5冊が新書。出版社が重ならなかったにもかかわらず、中公新書が無かった。


早師走。今年の読み納め本は何になるだろう・・・。

 


記憶装置としての火の見櫓(改稿再掲)

2019-12-03 | A 火の見櫓っておもしろい

火の見櫓はいろんな情報を記憶している



 櫓の踊り場に2m四方ほどの大きさの小屋を据えた火の見櫓。その小屋から上は見慣れた火の見櫓の姿ですが、下は火の見櫓というより、大きな送電鉄塔を思わせる姿です。小屋までは梯子ではなく、階段が設置されています。

穂高神社の近くに立つこの火の見櫓は、元々黒部ダムの建設工事(昭和31年着工、38年竣工)で、高瀬川骨材採取製造場(ここで採取した石を砕いてコンクリートの骨材にしていました)に監視塔として立っていたことが安曇野のヤグラ―のぶさんの取材で明らかになりました。

ダムが完成して不要になった監視塔を穂高町(現在の安曇野市穂高)が払い下げを受け、昭和42年に火の見櫓として移築して現在に至っています(この経緯についてはのぶさんが、当時の関係者にヒアリングをして自身のブログで記事にしています→こちら)。

何年か前、この火の見櫓の周辺をウォーキングするという企画がありました。で、この火の見櫓の小屋まで登ることができるということだったので、参加したのですが、残念ながら最終的に許可が下りなかったようで、当日は登ることはできませんでした。

*****

既に取り壊されてしまった古い建築の例えばタイル張りの外壁のごく一部が残されていれば、その「現物」を調べることでタイルのサイズや色、表面性状(テクスチャー)、成分、目地の幅や形状など、様々な情報を引き出すことができます。このことはタイル張りの壁片が建設当時の建築技術(タイルの焼成技術、職人の技・・・)を記憶している、と言い換えることもできます

このような情報は、写真や文章からはなかなか引き出すことができません。「間接的な情報」からタイル張りの壁面を忠実に再現することは難しいのです。同じものを再現するためにはどうしても現物が必要です。

古い建物の保存には人びとの遠い過去の記憶に符合する風景を残したいという素朴ともいえる欲求に応えるという意味があり、それに加えて技術の確実な伝承という意義もあるのです。

20年ごとに行われている伊勢神宮の式年遷宮ですが、戦国時代には120年以上も行われなかったということです。この長い空白の時代に神殿の姿・形も技術も継承されなくて、今に正確に伝わっていないのではないか、というあまり信じたくない説があります。冷静に考えれば、この説には説得力があることが分かります。

火の見櫓に話題を戻します。

江戸の前期、具体的には明暦の大火(1657年)によって都市防災という概念が生まれ、そのころ火の見櫓の歴史が始まったのですが、ここにきてその長い歴史が終わろうとしています。火の見櫓の後継としてホース乾燥タワーや防災無線柱が建てられ、火の見櫓が次第に姿を消しているのです。

「時代の流れ」だから仕方がないとあきらめてはいるものの、やはり寂しいです。穂高の火の見櫓は黒部ダムの建設という昭和の巨大プロジェクトに関わり、その後火の見櫓として穂高の街を見守り続けています。

この火の見櫓は近代産業遺産でもあり、地域の安全遺産でもあります。また、昭和30年代の櫓構造の技術を今に伝えてもいるのです。このままの姿でずっと立ち続けて欲しいと願っています。

火の見櫓を取り壊すこと、それは街の記憶装置の喪失に他なりません。


 20140125 初掲の記事に加筆しました。

 


火の見櫓 座学とまちあるき

2019-12-02 | A あれこれ




撮影日191201


「ココブラ」報告

 火の見櫓の座学とまちあるきが昨日(1日)予定通り行われた。今日は雨降りだったから、昨日で良かった。 

朝9時半からの講座では90分間、パワーポイントを使いながら火の見櫓についてあれこれ話した。用意したパワーポイントのカット数はおよそ100。

その後、火の見櫓を2基見て歩いた。

写真①(のぶさん提供)の火の見櫓は黒四ダム建設時に砕石プラントの監視塔として使われていたもの(『あ、火の見櫓!』154~156頁 参照)。穂高に移設された経緯、貴重な昭和の遺産であることなどを説明した。

参加していただいた皆さんにはアンケートをお願いしていたが、回答を読むと概ね好評だったようで、ほっとした。


・「縄文時代の住居は土葺きだった」という直接火の見櫓とは関係のない資料(日本の歴史01/講談社「縄文の生活誌」)と「火の見櫓観察  のポイント」をまとめた資料を用意し、事務局から参加者に配布していただいた。

・参加者のKさんは俳句が趣味だそうで、半鐘を聞いて決死や秋出水 という投稿句がMGプレスに入選作として掲載されていた。

・茅野から参加のSさんとは5年ぶりの再会、鉄塔大好きFさんとは3年ぶりの再会だった。



 次は7日、カフェ 風のいろのサイエンスカフェ「あ、火の見櫓! ―火の見櫓はおもしろい―」



海か山か

2019-12-02 | D 切手



 今日(2日)届いた封書に貼ってあった切手、こういうスタンプってありなんだ。これだと当日の消印有効ということであっても判断できないが・・・。

描かれているのは海か山か、それとも何か別のもの?


 


「マナベの「標語」100」を読んだ。

2019-12-02 | A 読書日記

   

 『マナベの「標語」100』真鍋恒博/彰国社を読んだ。著者は私の大学時代の恩師。先日、私の本と交換していただいた(過去ログ)。

この本の内容は「研究生活心得帖」と括ることができるだろう。

今はどうなっているのか分からないが、私が学生のときは4年生になると卒業論文を書くために指導教官の研究室に所属して、少しイメージは違うがクラブの部室のように研究室に入り浸ることになっていた。私は本の著者、真鍋先生の指導のもと、卒業論文、修士論文をまとめた。

先生の指導は研究の進め方はもちろん、会議の仕方や書類作成のルール、文章の書き方、データのまとめ方、研究発表の方法、更に日常生活にまで及び、私が所属していた初期の段階から、これらの内容を「標語」として簡潔にまとめていた。**しつこく言えばカドが立つ 「標語」で諭せば話が早い**(本書の帯の文からの引用)というわけだ。

この本には研究室に蓄積された標語が100項目に整理されて掲載されている。

以下に標語をいくつか例示する。

・作業場所では飲み食いするな(002)
・写真は撮ったらすぐ整理(013)
・整理は置き場所決めること(016)
・無駄な会議は時間の浪費(022)
・点とナカグロ区別せよ(058)
・分類は網羅的・排他的に(081)
・分類軸はT字型(085)
・目次は中身の分類表(091)

この中では「分類軸はT字型」の意味するところが分かりにくいだろう。

これは研究論文では研究対象の総体・全体像を把握して概要を論じてから、具体例を取り上げて詳細に論述せよ、という教えだ。この全体像を広くということは  と可視的にイメージされ、具体例を深くということは  とイメージされるので、両者合わせてT字型となるというわけだ。

私の本「あ、火の見櫓!」も研究室時代に身につけたノウハウを活かして書いたつもりだ。このことについて具体的には示さないが総論から各論へ、全体像から部分へという構成を意識して書いた。

研究室の後輩のK君がこの本を読み始めて上記のような構成になっていることに気がつき、「体系的」だと評してくれた。先生からもメールでお褒めのことばをいただいた。その結びに**続編に期待しますぞ。**とあった。

時々『マナベの「標語」100』を読み返すことにする。