透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「日本が飢える!」

2022-08-14 | A 読書日記


『日本が飢える! 世界食糧危機の真実』山下一仁(幻冬舎新書2022年)

 カバー裏面の内容紹介記事の後段に**軍事危機で海上交通路を破壊されたとき、国は国民にどうやって食料を供給するのか? 日本は有事において武力攻撃ではなく食料不足で壊滅する――。**とある。腹が減っては戦(いくさ)はできぬ、ということ。著者の山下氏は元農林水産省官僚。

本書の章立ては次の通り。

第1章 食料とは何か?
第2章 貿易から見える世界の食料事情
第3章 真実をゆがめられた日本の農業
第4章 “食料自給率”というまやかし
第5章 持続可能な日本の水田農業
第6章 食料危機を作る農政トライアングル
第7章 食料危機説の不都合な真実
第8章 日本が飢える―餓死者6000万人

最終第8章の最後の一文は次のように結ばれている。**戦前陸軍省が農林省の減反政策案を潰したように、主食の米を減産する減反は安全保障と相いれない。これまで減反で多くの水田を潰した。食料安全保障のためにも、米の減反をただちに廃止すべきである。**(236頁) これが著者の山下氏が言いたいことだろう。論拠となる様々なデータ(日本の農地面積の推移、農家戸数と農業従事者数の推移、作物別の国内生産量の推移等々)を示し、このことを論じている。

知らぬが仏的な内容は脳が理解しようとしないのか、字面を追うだけということもあった。だが、日本の食料事情について知っておくことは必要だと思う。日本の農業事情がテーマの類書もあるから、一読をおすすめしたい。

ロシアのウクライナ侵攻により、両国からの小麦の輸出量が減少して、小麦価格が高騰しているという。このようなことから食料遮断という最悪の事態が現実的なこととしてイメージできるだろうか。さらに対策を講じることが実行に移せるだろうか・・・。著者は**保身しか考えられない農林水産省職員や国会議員から減反廃止の提案が出てくることは期待できない。**(240頁)と手厳しい。


 


辰野町小野の蔵

2022-08-14 | A あれこれ


辰野町小野で見かけた蔵 撮影日2022.08.07

 学生の頃から民家を見て歩くのが好きだった。初期の中山道と伊那街道が通っていた小野には古い民家が多く残る集落があり、蔵もあちこちに残っている。歴史が地層のように重なる町、歴史の重層性は町の魅力に欠かせない要素だ。

先日辰野町の小野でこの蔵を見てカメラを向けた。妻壁の上部に押縁下見板張りの雨避けが設置されている。妻面の漆喰壁に雨がかからないようにするために設置されているものと思われる。役目は妻垂れ(過去ログ)と同じだろう。火の見櫓も好いけれど、民家も好い。 


 


新聞掲載記録

2022-08-12 | A 火の見櫓っておもしろい

 新聞掲載の記録

① 2012年  9月18日 タウン情報(現MGプレス):魅せられた2人の建築士が紹介  火の見やぐら
② 2014年  4月18日 信濃毎日新聞:われら「火の見ヤグラー」
③ 2019年  5月26日 中日新聞:奥深い魅力のとりこに 県内外の火の見やぐら巡り ブログで紹介
④ 2019年10月21日 MGプレス:「火の見ヤグラー」魅力まとめて本に
⑤ 2019年11月 * 旬 Syun! :魅せられた“火の見ヤグラー” の本刊行      (* 月1回発行)
⑥ 2019年11月16日 市民タイムス :火の見櫓の魅力1冊に
⑦ 2020年  8月13日 市民タイムス:スケッチ「火の見櫓のある風景」(市民の広場 私の作品)
⑧ 2020年  8月23日 中日新聞:合理性追求 構造美しく 
⑨ 2022年  4月21日 日本経済新聞:火の見櫓  孤高の姿撮る(文化面)
⑩ 2022年  8月10日 たつの新聞:地域の「火の見」の魅力学ぶ

8月7日の講座のことが地元紙に掲載されたので、リストに追加した。

※ スケッチ展の紹介記事などは省略している。


火の見櫓の魅力について、広報活動を続けていきたい。 


「匂宮」

2022-08-12 | G 源氏物語



 角田光代訳の『源氏物語』全3巻の下巻を読み始めた。

「匂宮 薫る中将、匂う宮」

**源氏の光君が亡くなったのちは、あの輝く光を継ぐような人は、大勢の子孫の中にもいないのであった。**(7頁) 光君亡き後、一人で主役をはれるような人物はいない、それだけ光君はすごい人だったということを示すという意図が紫式部にあったのかどうか、匂宮と薫という二人を主役として登場させる。匂宮は今の帝と明石の中宮の間の子、薫は女三の宮の子で実父は光君ではなく、柏木。この辺りの設定に紫式部の構想力の冴えが表れていると思う。

この帖は光君亡き後の主役の二人の紹介と二人の周辺の状況説明に大半が割かれている。

薫は自分の出生の秘密を薄々感じていて、**おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめも果ても知らぬわが身ぞ(わからない、いったいだれに訊いたらいいのか。どのようにしてこの世に生まれたのかも、この先どうなっていくのかもわからない我が身だ)**(11頁)と詠んだりする。なぜ母は若くして出家してしまったのだろう・・・。**「(前略)何か思いも寄らない間違いがあって、世の中が嫌になるようなことがあったのだろう(後略)」と考える。 

薫は絶えずいい香りがする体質の持ち主。薫に対抗心を燃やす匂宮はあらゆるすぐれた香を薫(た)きしめて、調合している。ふたりは対照的で、匂宮は「陽」でプレイボーイ、若き日の光君を、薫は「陰」で内省的と言えばいいのか、晩年の光君を思わせる。

この先二人の物語はどのように展開していくのだろう・・・。  


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋                          



旧小野村役場庁舎

2022-08-12 | A あれこれ


旧小野村役場庁舎(登録有形文化財) 撮影日2022.08.07


 登録有形文化財の旧小野村役場庁舎を見学した(2022.08.07)。以下、当日建物内で配布された案内リーフレット、資料を参考に記事を書く。

現在「明倫館」と呼ばれているこの建物は旧小野村役場庁舎で、明治36年(1903年)に建設が始まり、明治38年に竣工している。木造2階建て、入母屋の屋根は現在瓦棒葺きだが、建設当初は木板葺だったとリーフレットに記されている。木板は杮(こけら)板のことだろう。外壁は1,2階とも腰壁が下見板張りで上部の壁は漆喰仕上げ。玄関の屋根は妻面に大きな館銘板が設置されていて分からないが、洋小屋組になっている。長野県内で明治期に建てられた役場庁舎の多くは和洋混在させた様式。この様式で現存するのはこの建物だけとのことだ。


1階の事務室の様子 ラチス梁は後年補強で設置されたものだという。


2階の議場の様子 床は畳敷きで座卓が設置されている。このような簡素な設えでも用をなすということだ。


 


講座で取り上げた火の見櫓

2022-08-12 | A 火の見櫓っておもしろい


火の見櫓のある風景 (再)過去ログ 上伊那郡辰野町小野 4柱44型 撮影日2022.08.07

 今月(8月)7日に辰野町の小野で火の見櫓の講演では会場近くに立っているこの火の見櫓も取り上げた。



注目点は4角形(方形)の屋根の支え方。この火の見櫓の場合、4本の柱の上端を水平部材で繋ぎ、そこに直に屋根を設置していない。屋根はで示した丸鋼の束(4本)を介して間接的に櫓と接合されている。全形だけでなく細部を観察しても気が付くことがあるということで紹介した。屋根と櫓の接合法は注目ポイントのひとつ。

この火の見櫓は以前屋根の一部が欠損していたが修理されている。会場にこの屋根を修理したという方がおられた。修理の様子など教えていただきたかった・・・。






鉄塔写真展「縷々電々」

2022-08-10 | A あれこれ

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 鉄塔写真家・ふじのえみこさんの作品展が大町市で開催されていることを知り、在廊日の昨日(9日)出かけてきた。火の見櫓も鉄塔の一種でありから、ふじのさんとは鉄塔仲間、ということになる。会場の「ホッと一息・・・森の休息」の細長~いスペースに展示されている写真には主題の鉄塔をかなり遠くに置き、手前に建物や花などを大きく配した作品が何点かあった。そう、北斎の富嶽三十六景の「尾州不二見原」のように。



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自筆のプロフィールに「鉄塔と自然」と「鉄塔と人々の暮らし」という写真のテーマが記されている。鉄塔を人と人の心をつなぐものと捉える彼女の感性が撮影した作品は単なる「鉄塔のある風景」ではない。

ただ単に火の見櫓を分析的に捉えるのではなく、人々の暮らしとの関わりを表現したいと作品を一通り見て強く思った。


(再)大町市平 撮影日2022.08.09

このような「火の見櫓のある風景」は記録写真としては有用だと思うが、「火の見櫓と人々の暮らし」ということになると、このような単なる風景写真を越えなければ・・・。


ふじのえみこ 「鉄塔写真展 縷々電々」
会場:大町市「ホッと一息・・・森の休息」
会期:8月28日まで(月曜休み)


薬師の湯の黒部ダムカレー

2022-08-10 | F ダムカレー

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薬師の湯の黒部ダムカレー 竣工検査日2022.08.09

大町温泉郷 湯けむり屋敷 薬師の湯の黒部ダムカレー諸元 

・ダム型式:アーチ式ライスダム
・堤体長:約18cm(実測値)
・堤体高:約4cm(実測値)
・堤体幅:約6cm(実測値)
・堤体重量:200~250g(推測値 昼食に適量)
・総貯ルー量:約200cc(黒部ダムカレーカードに記載されている数値) 
・ダム湖に浮かぶ遊覧船・ガルベ2艘:ゆで卵(前回、2018年4月に食べた時は温泉卵だった)
・ダム下流:ポテトサラダ、ミニトマト、キャベツのせん切り、キュウリ(前回とは下流の様子が変わっていた)
・敷地:円形の白い皿 直径25cm(測定誤差あり。前回の測定値は24cm) 
・ダム湖の深さ:1cm弱(目測値)
・施工費:800円(税込み)
・施工者:おばちゃん二人
・施工時間:約5分
・検査時間:約12分(測定及び試食時間)


上空からダムの全景写真を撮っていて、ふと火の見櫓の型について思った。 4柱の櫓で4〇型(4角形の屋根に円形の見張り台という組合せ)はあるけれど、〇4型ってあったかな・・・、と。自宅に帰って調べると、屋根が円形で見張り台が4角形という〇4型は見つかっていないことが分かった。もし見つかれば非常にレア、ということになる。


「雲隠」

2022-08-08 | G 源氏物語

「雲隠」の帖(巻)には本文がない。このことについて、存在した本文が散逸してしまった、帖名(巻名)が後世に付け加えられた、作者の紫式部が敢えて本文を書かなかったという説があり、研究者の間でも見解が分かれているようだ。

ここにわたしなりの見解を記しておきたい。

紫式部は意図的に本文を書かなったのだと思う。平安の才女は実に巧妙な手法をここで採ったのだ。「雲隠」に本文があるとすれば、光君の出家と死が描かれていることは明らか。紫式部はその様を敢えて描かずに読者の想像にゆだねたのだろう。だとすれば読者であるわたしも光君の最後を思い描かなくてはならないが、まだそれをここに記すに至らない。この長大な物語を読み終えた時、思うことがあれば書きたい。紫式部は何年も描き続けてきた主人公の最期を書くにしのびなかったのではないか、とも思う。この帖に本文が無いのは紫式部の借別の情の故か。否、冷静で強い才女のなせる技であろう・・・。


ようやく中巻読了! 


「幻」

2022-08-08 | G 源氏物語

360

「幻 光君、悲しみに沈む」

■ 味わい深い帖。たいして読解力もないわたしが味わい深い帖などと書くのもいかがなものかと思う。だが、紫の上を失った光君が悲しみに暮れ、来し方を振り返り、内省する様は私にこのような感想を抱かせる。

**この世ははかなくてつらいものだということを教えるべく、仏などがお決めになった身の上なのだろう。それをあえて知らぬふりで生き長らえて、こうして今もう先の見えてきた晩年に、手ひどい結末を見せられたのだから、私の宿世(すくせ)のほども、自分の心の限界も、すっかり見届けることができて気も楽になった。(後略)**(598頁) 光君は達観の境地。

**植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほてに来ゐる鶯**(600頁)

**大空をかよふ幻夢だに見えこぬ魂の行方たづねよ(雁のように大空を行き交う幻術士(まぼろし)よ、夢にさえあらわれない亡き人のたましいの行方をさがしてくれないか)**(611頁)

一周忌が過ぎ、光君は手紙の数々を破り捨てさせ、紫の上の手紙もみな焼かせてしまう。

光君は幼い時に母親・桐壺更衣を亡くした。そして母親によく似た継母・藤壺を思慕する。紫の上は藤壺の姪だから、やはり藤壺、そして実母に似ていたのだろう。既に書いたが、光君はずっと母親探しを続けていたのだ。だから紫の上を亡くした時、光君は母親を亡くして感じる喪失感に暮れたのだろう・・・。


1桐壺 2帚木 3空蝉 4夕顔 5若紫 6末摘花 7紅葉賀 8花宴 9葵 10賢木 
11花散里 12須磨 13明石 14澪標 15蓬生 16関屋 17絵合 18松風 19薄雲 20朝顔 
21少女 22玉鬘 23初音 24胡蝶 25蛍 26常夏 27篝火 28野分 29行幸 30藤袴
31真木柱 32梅枝 33藤裏葉 34若菜上 35若菜下 36柏木 37横笛 38鈴虫 39夕霧 40御法
41幻 42匂宮 43紅梅 44竹河 45橋姫 46椎本 47総角 48早蕨 49宿木 50東屋
51浮舟 52蜻蛉 53手習 54夢浮橋 


177、178枚目 夏季講座にて

2022-08-08 | C 名刺 今日の1枚

 昨日(7日)の午後、予定通り「第26回 小野宿問屋夏季講座」が開催された。火の見櫓の魅力について語る機会は今までにもあり、今回が11回目(下記リスト参照)。

30数名の方に聞いていただいた。参加者の中には紹介した火の見櫓の屋根を修理したという方(屋根の修理についてお訊きしたかった・・・)や「たつのの火の見」という本を出版された方もおられた。辰野町の図書館でその本を2回閲覧している。

会場でお二人と名刺交換させていただいた。

177枚目
Nさん、上記の本を出版された方。以前電話でNさんに本について問い合わせたことがあった。残念ながら残部なしとのことだった。

178枚目
たつの新聞社のT記者。講演の取材で来場。


火の見櫓講座の記録

①2011.09.03 週末のミニミニ講座  @松本市梓川 カフェバロ
②2014.02.16 安曇野まちなかカレッジ  @安曇野市穂高 安曇野市商工会穂高支所
③2014.07.04 週末のミニミニ講座(アップグレード版)@松本市梓川 カフェバロ
④2014.12.07   信州大学のゼミ生有志主催による講座@松本市北深志 「となりの、」
⑤2015.10.21   建築士会安曇野支部主催研修会  @安曇野市豊科 豊科交流学習センター「きぼう」
⑥2019.12.01 ココブラ信州  @安曇野市穂高 碌山公園研成ホール
⑦2019.12.07 サイエンスカフェ  @北安曇郡池田町 カフェ風のいろ
⑧2020.10.15 火の見櫓講座  @安曇野市豊科 BWCL
⑨2020.11.03 火の見櫓講座  @安曇野市豊科 カフェギャラリーお茶の間
⑩2020.11.20 朝日村社会福祉協議会主催 高齢者ふれあい学習  @朝日村マルチメディアセンター
⑪2022.08.07 小野宿問屋夏季講座  @小野農民研修センター

(コロナ禍で2つの講座が中止になっている)


 


火の見櫓の型には地域性がある

2022-08-07 | A 火の見櫓っておもしろい

 「信濃の国」ほど県民によく知られている県歌は他県にはないと聞く。「信濃の国」は6番まであるが、1番の後半は 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃(ひよく)の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき という歌詞だ。長野県はこの四つの平に対応するように、中信 南信 東信 北信という四つの地域に分けられている。

火の見櫓の型(タイプ)には地域性がある。長野県内各地の火の見櫓を見て来て、印象としてそう感じていた。この数日間、上記四つの地域ごとに火の見櫓をタイプ分けする作業を続けていた。ようやくざっとまとめることができた。火の見櫓の型にビックリするほどはっきり地域性が出たので紹介したい。

中信地域 

中信地域で最も多い3柱66型(松本市今井)

3柱(柱が3本で平面形が3角形の櫓)が全体の約8割を占めている(397/499)。その中でも①のような3柱66型(平面形が3角形の櫓、6角形の屋根、6角形の見張り台)が全体の4割近くを占めていることが分かった(190/499)。


南信地域

南信地域で最も多い4柱44型(辰野町)

4柱(柱が4本で平面形が4角形の櫓)が全体の約7割5分を占めている(350/468)。その中でも②のような4柱44型(4角形の櫓、4角形の屋根、4角形の見張り台)が全体の7割近くを占めていることが分かった(311/468)。ちなみに中信地域で最も多い3柱66型は全体の1割にも満たない(36/468)。中信地域と南信地域は塩尻峠と善知鳥(うとう)峠で隔てられているとは言え、なぜこれほど顕著な違いがあるのかわからない。


東信地域

東信地域で最も多い4柱4〇型(上田市真田町)

4柱(柱が4本で平面形が4角形の櫓)が全体の約8割5分を占めている(281/329)。その中でも③のような4柱4〇型(4角形の櫓、4角形の屋根、円形(〇形)の見張り台)が全体の6割6分を占めていることが分かった(218/329)。南信地域も4角形の櫓、4角形の屋根という型が多いが、見張り台が違う。東信は円(〇と表記)形、南信は4角形が圧倒的に多い。なぜ?


北信地域

北信地域で最も多い4柱8〇型(山ノ内町)

4柱(柱が4本で平面形が4角形の櫓)が全体の約6割を占めている(214/362)。その中でも④のような4柱8〇型(4角形の櫓、8角形の屋根、円(〇)形の見張り台)が全体の3割強(1/3)を占めていることが分かった(124/362)。次に多いのが4柱4〇型で、この二つの型で全体の5割を占めている(182/362)。東信と北信を併せて東北信とエリア分けすることもあるが、両地域の火の見櫓の型にも顕著な違いがみられる。東信は4柱4〇型、北信は4柱8〇型で、櫓と見張り台の形は同じだが屋根の形が違う。ちなみに4柱4〇型は東信では全体のおよそ6割6分(218/329)だが北信は1割6分(58/362)とずいぶん低い比率だ。

いままで東信や北信は4柱の火の見櫓が多いこと、円形の見張り台が多いことは印象として分かっていたが、屋根の形について、このような違いがあることは把握できていなかった。


とりあえず火の見櫓の型(タイプ)の傾向を地域別に捉えた。今後、櫓の逓減の仕方(東北信の火の見櫓は直線的に逓減しているという印象がある)やプロポーション、脚の形状(東北信は単材の脚が多く、トラス脚はごく少ないのではないか)、踊り場の型(東北信では私がカンガルーポケットと呼ぶ櫓の1面だけにバルコニーのように設置したタイプが多い。東京タワーの展望台のように張り出したものは中信に多いのではないか)、などについても地域ごとの傾向を把握したいと思う。


※ 火の見櫓を観察して見張り台が4角形か、8角形か判断に迷うことがある。
下の写真⑤と⑥の場合、幾何学的に割り切って左の見張り台も8角形とすることもあるとは思う。算数の問題で床面の形を問われた時、4角形と回答すれば不正解になるだろう。どちらも8角形が正解だ。

⑤  

私は床の形を単純に幾何学的に判断していない。床の構法、即ち床の部材の構成方法(構成システム)に注目して判断する。⑥の場合、隣り合う2辺の部分の床面構成が同じだが、⑤の場合は違う。このことからふたつの床面をともに8角形とは判断しない。⑥は8角形、⑤は隅切りをした4角形。隅切りは角を落とした状態を指すことば。ちなみに手すりまで考慮して立体的に形状を捉えれば⑥は8角柱、⑤は面取りした4角柱。

幾何学的な形で判断すると割り切れば迷うことはなく明快だが、上記のような判断の仕方では迷うことがある。曖昧さを残した判断ともいえる。悩ましい・・・。


※ 東京までの距離を問われた時、246.25kmなどとは答えないだろう。約250kmと答えると思う。目的によって求められる精度が違うことを理解しておく必要がある。円周の長さは直径×円周率で求めることができるが、目的によっては円周率を3とすれは足りるし、3.141592653589(ぼくはここまでしか覚えていない)くらい必要なこともあるだろう(具体的にどんな場合に必要になるのか浮かばないが)。

火の見櫓の型の傾向を把握するのに、火の見櫓の全数の正確さはあまり意味を持たない。今回の記事ではどのくらいの数の火の見櫓をチェックして得られた結果なのかを明らかにしておくために数字を示した。

※ 地域別に火の見櫓の型の傾向を把握するために、松本市在住の堀川雅敏さんが長野県内全域で撮影された火の見櫓の全形写真を資料として使わせていただいた。堀川さんは2004年2月から2005年4月にかけて長野県内全市町村を隈なく廻られ、1,870基の火の見櫓を見つけて写真撮影をされた(過去ログ)。その全数の火の見櫓の全形写真だけ整理したデータをCDでいただいている。私のデータを使わなかった理由は全形写真の他にも各部の写真なども収めて整理しているために、今回の目的のためのデータを検索し、確認するには時間がかかり効率が悪いことなど。堀川さんから今回の作業でデータを使わせていただくこと、結果をブログで紹介させていただくことについて了承していただいている。