次に、学校の話になります。
日本で学校といえば歴史の授業で「寺子屋」とか「学制発布」とかは習うかもしれませんが、学校についてどう言う場であるかは学ぶ機会はないように思います。スウェーデンでは、家族に続いて、子どもたちの日常生活の中から学ぶということが貫かれています。
ここでも、昔の学校の現状について従わない子どもは指示棒で叩けれていたこと、そのため「先生を怖い」と思っていたことなどが書かれています。
続いて、現在の学校(民主的な学校と表現されています)について書かれています。
民主的な学校
昔と今の学校では、似ているところもあります。たとえば、読み、書き、計算が大切であることは、昔も今も変わりません。
ただし、今の学校では、生徒の意見を聞き、彼らと話し合い、彼らにかかわる決定に影響を与えるのが先生や職員の仕事となっています。この点は、昔とは違う大切なことです。
このような「聞いてもらう権利」は、学習指導要領に定められています。つまり、すべての生徒は、生活に関する規則について話し合い、決定することなどができるのです。
学校における決定に影響を与えることができるというのは、大切なことです。そこで生徒たちは、民主制の機能の仕方を理解するのです。学級会では、民主制の練習をすることができます。そこでは、すべての生徒が自分の意見を表明する権利(表現の自由)をもっています。民主制はまた、もっとも多く票を得た提案が勝利し(多数決)、それを受け入れる仕組みとなっています。(69〜70ページ)
この後に交わされる大学生の感想が「衝撃」を物語っています。
- 教室で普段していることを政治にリンクさせたことはなかったね。
- 子どももでも大人と変わらず一人ひとりがちゃんと意見をもち、それを述べる権利があるということを強調しているように感じるね。学校も、子どもにとっては立派な「社会」なんだということが認識させられる。
- 教科書全体を通して「権利」って言葉が多くて、子どもも大人と同じように考えて行動できるようになる教え方だなーと思った。
- 本当に「子ども扱い」していないよね。自分と社会がどのようにつながっているかを意識できるようになっている。
■権利の主体としての子ども
日本の学校においては、高校であっても「校則は校長が決定する」ということが当然視されています。もちろん、生徒が意見を表明し、それを学校運営に生かそうと努力をされている学校もあります。「『聞いてもらう権利』は、学習指導要領に定められています」とあるように、にスウェーデンとの決定的な違いは、子どもを権利の主体として見ているかにあると思います。
日本の裁判所では、「学校長は、その設置目的を達成するために必要な事項を校則等により一方的に制定し、これによって在籍する生徒を規律する包括的機能を有し、生徒は(略)入学に際し、当該学校の規律に服することが義務づけられる」(東京都教育委員会「規範意識の育成に向けて ~都立高校生活指導指針を理解するために~」より引用)と言っているのです。
ちなみに、引用した冊子には「生徒の内面的な自覚を促し、校則を自分のものとして捉え、自主的に守るように指導します」「校則は、あらかじめ生徒・保護者に周知」などと書かれていますが、あくまでも決めたことに従ってもらうもので、ここには生徒の意見を聞くという視点は欠落しています。
スウェーデンでは、校則などにとどまらず、「学校における決定に影響を与えることができる」ということですから、ここには大きな乖離があることは明らかです。
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