都議会議員になって、町田市以外でお話しさせていただく機会が増えました。
一方通行でなく、怒りも、希望も、共有と共感できる双方向の空間にしたいと心がけているのですが、終わるたびにいつも反省点がたくさんです。
共産党の大先輩である故・川上貫一元衆議院議員。1949年に大阪2区から衆議院議員に当選し、レッド・パージによって国会除名となりますが再び衆議院議員となります。
その川上さんが書いた本に『話のはなし』というのがありますが、「よく知っていることを、よく整理して、たくみをつけず、すなおに話すという、このほかによい話をする法はないであろう」など、人前で話をすることが多い私にとってはとても学ぶことが多い本です。
その中に、次のような一節があります。
講演も演説も、また座談一つにしても、そのよしあしは、技巧でもなければ、話術でもない。それは、その人の思想であり、識見であり、内容であり、つまりはその「人」なのである。どれほど苦心しても、自分以上の話はできるものではないし、いくら下手でもその話は、けっしてその人以下になるものではない。
人としてのありようが、そのまま話になるということです。
あれこれと言いたくなることがあるわけですが、川上さんは「話にのぞんで、なにもかも、みな言いたがるのは、知識や材料が、ありあまっているのではなく、倉庫がからっぽで、知識や材料が乏しいからである」と。深い知識があれば、論を立てて、軸のある話ができると解いています。
日々精進です。
(写真は、長島可純さん撮影。写真の無断転載、二次利用はご遠慮ください)
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