(つづき)
3、仙台市の震災廃棄物処理の対応について(遠藤守也氏・仙台市環境局)
仙台市では、震災廃棄物処理を3カ所の焼却施設で自区内処理を原則とした。次年度の通常業務に充てていた予算をすべて災害廃棄物の処理に回すことを決め、補修が施設の復旧については年度内の補正予算で対応した。
対応にあたっては、排出量が膨大、津波被害で広範囲に散在、不明者捜索・遺留品捜索、がれきと土砂の混在(分別焼却の困難性)、塩害・津波堆積物・放射能など、これまでに経験したことのない処理が迫られる事態となった。阪神淡路大震災では都市機能が破壊されたが、東日本大震災においては仙台の都市機能は残ったことが唯一の救いだったかもしれない。
震災廃棄物は、仙台市の通常処理量の約8年分。一般廃棄物の実務、処理施設の整備、管理実績、産業廃棄物の指導実績を最大限に生かし、1年で撤去完了、3年で処理完了を目標とした。自区内処理原則に基づいて、自己完結型で地元業者への発注、リサイクル推進を徹底、既存施設に搬入できるように対応した。
市民の自己搬入用仮置き場を8カ所、計7ヘクタールを設置。それにあたり、搬入用仮置き場に向かう道路の2車線化の必要であり、関係機関の協力のもと道路啓開をおこなった。廃棄物処理の中で課題としたがってきたものの一つにハイブリットカーの処理がある。ハイブリットカーはバッテリーを積んでいるため、重機で挟むと感電死ししてしまうリスクがあるということである。また、家屋に関しては、損壊していてもカタチが残っていれば持ち主からの依頼がないと解体できないことが原則であり、作業が困難を極めた。
がれきが137万トンのうち、結果的に98万トン(72%)のリサイクル率を達成した(目標は50%)。木屑の処理の最中にメタン発酵で燃えた件数が3回ほどあったが、大事には至っていない。津波堆積物は、海岸防災林や堤防などに活用をはかった。金属くずは分別を徹底して、総額で20億円の収入となった。
今後の対応・課題としては、技術の継承(記録化、人材育成)、多様な災害への対応、連携強化(地域間連携、業界連携)が重要である。仙台沖地震を想定し、訓練を毎年おこなっていることで、対応も比較的スムーズであった。発災当時、廃棄物処理学会にも協力依頼をおこない、現地調査をおこなって方針を出したことが処理を迅速に進める要因となった。
4、南蒲生浄化センターの東日本大震災時の対応と復旧(南蒲生浄化センター・石川敬治)
仙台市の下水道は、明治32年に第1期工事、全国でも3番目に完成した。現在、下水道普及率が99・5%。管路延長4626キロ、処理施設23施設、ポンプ施設311施設、マンホール13万864カ所、調整池87カ所。田んぼのあぜ道まで下水管が入っている。東日本大震災では、管路延長102キロが破壊された。被害総額は726億円(災害査定決定額)。うち、蒲生処理施設は575億円であった。厳しい状況だったが、トイレの使用制限はおこなわないことを決め、下水をあふれさせない対応にとりくんだ。これまでも訓練を定期的におこなってきたことが力になった。南蒲生浄化センターは、仙台市の7割を受け入れる処理場であり、自然こう配で処理をしている。ポンプアップしないで放流することができ、全国的にも珍しい施設である。
震災時の対応について、災害対策本部は本当に冷たいと感じた。震災の翌日、ヘリコプターで救出されたが、全員無事だったと報告したら、「現地に戻って写真を撮って被害状況の報告を」と求められた。職場もなく、自分たちで調達しなければならずポンプ場の一角を借りて、10人しか入れない部屋に50人の職員が働くこととなった。職場、会議室、電話、車、図面もないところで復旧していくには重大な困難が予想できたが、下水道施設を使う74万人がバックにいると励まし合い復旧作業に当たった。汚水30万トンが逆流すれば、仙台駅東側に反乱し極めて深刻な事態になる。とにかくあふれさせないために、簡易処理をおこなった。風向きによってにおいはすごくて5キロ先からも苦情が来る。その現場で仕事をしていた職員の苦労は尋常ではない。水質汚濁法のBOD120から落とすのに40億円。BOD1落とすのに1億円くらいかかることもあり、財政的にも前途多難であった。人材確保も極めてむずかしく、四国や九州から人を確保。隣の多賀城市に光熱費や食料費は全額無料にして寄宿舎を建てて人を呼び込んだ。
避難する際に、「津波が来ます」ではなく、「早く逃げろー」と言った方がいい。危機感を伝えることが第一だと思う。今回、BCP作成中だったことも職員のなかの防災意識を向上させる上では大切だった。徹底的に議論することが大事。訓練を毎年やって常に検証する。そのためには、人材育成が必要。現場に居る人たちが判断しなければならない。現場に居る人が常にリーダーになれるようにしなければならない。年に一度は議論することが教訓である。
5、まとめ
その他にも、仙台市の宅地被害と復旧の問題、津波被災地保健師からの実態報告などがおこなわれた。
今回の分科会を通して、私が学ぶべきだと感じた点を順不同で記しておきたい。
第一は、一口に震災と言っても場所や条件によって大きくその印象は異なるということである。だからこそ、実際に想定される課題について現場の実情から検証していく必要がある。
第二は、常に検証し続けるということである。地域防災計画やBCPなどを策定したのちも、職員間で議論をしていくことがカギだと思う。誰でもその場のリーダーになることができるようなことが重要である。
第三は、日常の業務の中身を市民といかに共有できるかが震災時の対応にとっても重要だということである。今回、消防、廃棄物、下水道などの対策について公的責任を明確にしながら日常的に市民に知ってもらうとりくみが不可欠だと感じた。
今後、これらを参考にしながら町田市政に生かしていく決意である。
(おわり)
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