ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

3月20日礼拝メッセージ

2022年03月21日 | 説教要旨

聖書 マルコによる福音書8勝27~33節
題  「あなたはメシアです」

イエス様はフィリポ・カイザリヤというところに向かう途中で、お弟子さんたちに「人々は私のことを何者だと言っているか」と聞かれました。弟子たちは、「洗礼者ヨハネと言う人もいるし、エリヤと言う人もいるし、預言者の一人と言う人もいます」と答えました。洗礼者ヨハネもエリヤも預言者でしたから、人々はイエス様のことを預言者だと思っていたということです。預言者とは神の言葉を語る人ですが、あくまでも人間です。

イエス様は「あなたがたは私を何者と言うのか」と聞き返しました。そうするとペトロが「あなたはメシアです」と答えました。メシアはキリストということであって、そこには神の子であるという意味が含まれています。イエス様は神の子キリストであるということです。これはキリスト教会が二千年間大切にしてきたことです。「あなたこそキリストです」という信仰告白の言葉の上に、教会は立っているのです。

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2月27日礼拝メッセージ

2022年03月07日 | 説教要旨

聖書 ルカによる福音書5章17~26節
題  「その人たちの信仰を見て」

イエス様はガリラヤで、教えを説いたり病気の人たちを癒しておられました。イエス様がおられるところには多くの人たちが集まっていました。ある家で教えていた時もたくさんの人たちが集まっていました。

そこに歩けない中風の人を床に乗せたまま担いだ男の人たちが来ました。イエス様のところに連れて行きたいのですが、人が多くて連れて行けませんでした。それでこの人たちは屋根に上りイエス様の真上の瓦をはがして中風の人をつりおろしたのです。

イエス様はつりおろした人たちの信仰を見て、しかし中風の人を癒すのではなく、中風の人に「あなたの罪は赦された」と言ったのです。

これは中風の人がイエス様を信じる信仰を持ったことを意味します。しかし見ていた律法学者やファリサイ派の人々は「神のほかに罪を赦せる人はいない。この男は神を冒涜している」と考え出したのです。イエス様は中風の人に「床を担いで家に帰りなさい」と言ったのです。

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2月27日礼拝メッセージ

2022年02月27日 | 説教要旨

聖書 ルカによる福音書5章1~11節
題  「人間をとる漁師に」

ゲネサレト湖というのはガリラヤ湖の別名です。漁師のシモン(ペトロ)とヨハネとヤコブが一晩中ゲネサレト湖で漁をしていましたが、一匹も魚がとれませんでした。漁師たちが網を洗っているところにイエス様がやってきました。

ペトロの舟にイエス様が乗って来て、岸から少し漕ぎ出すように頼みました。そこで岸に向って語りだしたのです。ペトロもそれを聞いていましたが、イエス様の教えを受けいれたものと思われます。イエス様が「沖に漕ぎ出して網を下し漁をしなさい」と言われると、一晩中の漁でも取れなかったのにもかかわらず実行します。そうすると二そうの舟がいっぱいになるほどに魚がとれました。

イエス様に従うことによって「やり直す」ことが出来たのです。このあとペトロは、イエス様に「人間をとる漁師になる」と言われます。それはペトロがイエス様の昇天後にわたり、福音の宣教者となることを意味しています。

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2月20日礼拝メッセージ

2022年02月22日 | 説教要旨

聖書 ヨハネによる福音書12章35~36節前半
題  「光のうちに歩む」

CSの先月のテーマは「新しい命」でした。新しい命というのは、人間の命に神様がさらに付け加えて下さる命です。それはイエス様が十字架で死なれたことによって与えられました。

イエス様は十字架で死なれたことによって愛を示されました。ですから、「わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい」というイエス様のいましめに従うことが、新しい命に生きるということです。新しい命に生きるということは、光のうちに歩むということと同じ意味です。

イエス様は「わたしは世の光である」と言われました。つまり、イエス様のうちに歩むことが光のうちに歩むということです。イエス様は「光は今しばらくあなたがたの間にある」と言われました。これはイエス様が間もなく十字架に架かるという予告です。光のうちに歩むということは、十字架に架かられて命を捨て私たちに命を加えてくださったイエス様と歩むことです。

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2月13日礼拝説教要旨

2022年02月14日 | 説教要旨

聖書 ルカによる福音書4章16~30節
題  「良きおとずれ」

イエス様はガリラヤのカファルナウムで病気の人をいやしたりした後、故郷のナザレで安息日(土曜日)に会堂に入られました。そこでイザヤ書61章1~2節を朗読されました。それは「貧しい人に良きおとずれを告げ知らせる」というものでした。

イエス様はそこを朗読された後、「この聖書の言葉は今日実現した」と語られました。それは、イエス様によって実現したということです。イエス様は貧しい人たちと共におられた方なのです。

ナザレの人たちは最初はイエス様の語る言葉を喜んで聞いていましたが、カファルナウムでのことを言い出すとイエス様に予告されます。自分たちの住むところからヒーローが出てほしいと思っているからでしょう。自分たちの土地に対する利を求めるのです。

イエス様は、エリヤのサレプタのやもめの話とエリシャがシリア人ナアマンの話をして、良きおとずれはすべての地域の人に伝わることを説かれたのです。


ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト オランダ 「ナザレの会堂で教えるキリスト」  1658

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