愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

久万高原町の牛鬼淵

2015年08月25日 | 口頭伝承
美川村教育委員会編『美川の民話と伝説』(平成7年8月発行、154頁)に、牛鬼淵に関する伝説が紹介されている。美川村は合併して現在は久万高原町となっている。久万高原町には旧面河村にも牛鬼淵伝説があるが、ここでは旧美川村の事例を記しておく。

そもそも牛鬼淵伝説は、宇和島市の高光地区、西予市の旧城川町、大洲市の旧河辺村などに類似する話が伝えられており、その点は以前『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』第4号掲載の拙稿「牛鬼論」にて紹介したことがある。愛媛県山間部に広く見られるもので、その伝説地は神社祭礼の練り物である「牛鬼」の分布と重なる部分もあるが、牛鬼淵伝説の方が山間部に広く分布しており、しかも祭礼の牛鬼の起源伝承と牛鬼淵伝説が直接関わっている事例は確認できず、同じ「牛鬼」でも祭礼の練り物牛鬼と、淵の伝説、伝承の関係性はシンプルに解説できるものではない。拙稿の「牛鬼論」で紹介できなかった牛鬼淵伝説の事例をもう少し集積して、その上で祭礼の牛鬼との関係を考えてみたいと思っているところである。

美川村の牛鬼淵伝説は、以下のとおりである。

「大川木地の奥に牛鬼淵(うしおにぶち)という淵があり、牛鬼様をまつってある。むかし、豊久(ほうきゅう)の或る家のはずれに牛を埋めたところ、その牛が真夜中に泣きながら淵まで通ったという。」

「堂山の奥御殿の牛鬼淵という淵がある。むかし、お庄屋さんの牛が死んだとき、お庄屋さんが牛の鼻木を抜かずに埋めたので、丑三ツ刻に毎夜、村の中を鳴いて通るようになった。そこで、お庄屋さんはこれはうちの牛だと分かり、淵に行って、牛鬼さんとしてまつったところ、牛は出なくなったという。(豊久)」

この2つの事例とも、美川村大川の豊久での話である。いまだ現地の「牛鬼様」うかがったことはないが、大川には何度もお邪魔した事がある。ここ数年、足を運んでいないが、この『美川の民話と伝説』を読みながら、久しぶりに行ってみたくなった。











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