愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛の芭蕉布の可能性と楮布

2012年01月21日 | 衣食住
芭蕉布といえば奄美、沖縄が有名ですが、愛媛にも芭蕉で繊維をとっていたという報告事例があります。

『講座日本の民俗4衣食住』有精堂、1979年、78頁に全国県別の植物繊維の表が掲載されていて、そこに愛媛は楮や芭蕉が紹介されています。この表では芭蕉は愛媛が北限であとは宮崎以南。ただ、この表が作られる典拠がわからないままだったのですが、1964年に刊行された『愛媛県民俗資料調査報告書』の中の南予地方・佐田岬半島での報告に芭蕉の記述があることを最近見つけました。

ただし、芭蕉「布」があったかはわかりません。単に繊維をとっていただけで糸としていただけかもしれません。実際の現物資料は確認されていません。(もしあれば指定文化財の候補になると思います。)

芭蕉布について、私自身、今まで愛媛県内の現地確認をしていませんし、大分、熊本以北の他県の状況も調べていないのですが、上記の表を淡い根拠に勝手ながら愛媛(南予地方)が芭蕉布北限の地であるという、ちょっとした仮説を立てているわけです。

何せ、愛媛県南予地方には芭蕉がいたるところに自生しています。自生というのは正確ではないかもしれません。かつて人間の手で植えられたものでしょう。用途は今では盆の精霊棚に敷くことだったりしますが、芭蕉から繊維をとっていたことも可能性としてはあるはずです。

しかし、大正時代生まれの方に聞き取りしてもわからないでしょう。やはり明治それも明治30年代以前生まれでないと難しいと思います。年齢でいえば大正元年生まれで今年100歳。既にこのことを調べるには遅すぎたのかもしれませんが、最期の悪あがきのつもりで調べてみようと思っています。

あと、「木綿以前」の関連でいえば、楮(コウゾ)の布については現物資料が残っています。「タフ(太布)」と呼ばれ、これは新宮村で明治時代に織られたとされるもので、愛媛県歴史文化博物館でも保管しています。楮布は旧宇摩郡山間部に多く、伊予三島市金砂町でも明治時代までは盛んに織られていて、昭和21年まで細々と織られていたとのこと。昭和21年でしたら、実際に織ったことはなくても実際に見聞きしたり、布が残っている可能性もあります。あと伊予三島市富郷町の明治時代生まれの老婦人が楮布を織った経験があったということです。このことも『愛媛県民俗資料調査報告書』に紹介されています。

このように木綿以前の繊維について、少しアプローチしておかないと、数年後には手遅れになる。そんな危機感を持っています。(ただし、既に手遅れの可能性は大。)


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