先般注文しておいた『瀬戸田町史民俗編』が今日、郵送されてきた。平成10年に刊行されたものだが、この広島県瀬戸田町は芸予諸島で愛媛の上浦町や岩城村に接する位置にある。愛媛に隣接する地域の自治体史の中では民俗編が特に充実しているということを耳にし、購入した次第。
私が興味のあった民俗事象の一つは「巳正月」である。「巳正月」は愛媛全域・西讃・徳島県山間部・高知県の愛媛・徳島に隣接する地域に濃厚に分布している行事である。この巳正月の分布については、ここ数年、興味を持って調査してきたのであるが、広島県における巳正月の分布が少し気になっていた。瀬戸田町や因島市には巳正月があるが、三原市、尾道市などの本土側になると巳正月は見られないのである。真宗の影響もあるのだろうか。さて、『瀬戸田町史』の「巳正月」の記述は6頁にわたるが、「人の一生」の項目では次のように記されている。「十二月の巳午の日は巳午(ミイマ)といって、死者の正月といわれている。宗派によって異なるが、死者の出た家は正月を迎える前に亡き人とともに、その年の最終の食事をして、忌明け、新春に入るとされていた。巳午には、寺で巳午行事が行われるために、供え物として餅を搗き、二升の重餅を持参していた。港では、寺で巳午行事が終わった後、供え餅の上段を墓前で焼き、餅を引っ張り、ちぎり合って分ける式が行われる。また、家で搗いた餅を香典の中身に応じて分配していたので、配る餅数が異なっていた。沢では、供え餅の上段を持ち帰り、近親者と食べた。巳午の餅を食べると長生きするといわれていた。墓に左縄の注連縄を張る慣習が残されていたところもある。」
芸予諸島で巳正月の話を聞き取りすると、一つの傾向が見えてくる。それは行事日の問題である。この瀬戸田では巳午の日に行うとされるが、巳午の日に行うのは上浦など、芸予諸島でも広島に近い島でのことで、それが今治に近い大島(宮窪、吉海)では辰巳の日に行うというのである。辰巳に行う地域は愛媛県東予地方に広がっており、大島はその影響であろうか。東予の影響の薄い芸予諸島北部になると巳午となるという地域分布が見られるのである。また、愛媛の中予、南予では主に巳午で行う。西讃でも巳午で行うことが多い。この現象からは、東予地方に辰巳の巳正月が、そしてその周辺地域に巳午があるという巳正月の行事日のおおまかな分布が見えてくる。
以上は行事日に限ったことであるが、『瀬戸田町史』の巳正月の報告にある行事内容から様々な側面からの比較できるので、非常にありがたいものであった。愛媛の側から見て、この町史は巳正月だけでなく、製塩、祭礼、初祈祷、大師信仰などまだまだ比較してみたい材料が数多く、素晴らしい町史が入手できたと思っている。
2000年08月31日