明治19(1886)年9月24日、愛媛県内は台風が襲来し、豪雨となっていた。現在の大洲市長浜町須沢(当時、櫛生村)において大規模な「地すべり」が発生する。須沢川の谷に面した山腹が一気に崩壊してしまう。この付近は三波川帯。急傾斜地の崩落は他地域よりも少ないが、地すべりが発生しやすい地質。大洲市、八幡浜市域の災害の地域的特徴とえいる。この地すべりによって、死者39人、家屋の埋没72戸、田畑の流失7.6haという大きな被害となった。その3年後、明治22年に犠牲者の慰霊のための地蔵菩薩と、災害の経緯を刻んだ石碑が建立された。今年2019年、地図記号に「自然災害伝承碑」が新たに加えられたが、愛媛県内では唯一の登録となっている(9月17日現在)。愛媛に自然災害伝承碑は他にも数多く存在する。これらが早く登録されんことを願う。
明治19(1886)年9月24日、愛媛県内は台風が襲来し、豪雨となっていた。現在の大洲市長浜町須沢(当時、櫛生村)において大規模な「地すべり」が発生する。須沢川の谷に面した山腹が一気に崩壊してしまう。この付近は三波川帯。急傾斜地の崩落は他地域よりも少ないが、地すべりが発生しやすい地質。大洲市、八幡浜市域の災害の地域的特徴とえいる。この地すべりによって、死者39人、家屋の埋没72戸、田畑の流失7.6haという大きな被害となった。その3年後、明治22年に犠牲者の慰霊のための地蔵菩薩と、災害の経緯を刻んだ石碑が建立された。今年2019年、地図記号に「自然災害伝承碑」が新たに加えられたが、愛媛県内では唯一の登録となっている(9月17日現在)。愛媛に自然災害伝承碑は他にも数多く存在する。これらが早く登録されんことを願う。