フラッシュバック
地区の共同墓地は小高い丘の上にあり、昔は土葬の風習があった。祖父は私が小学校二年くらいの時に亡くなったが、その時が私が見た、最初で最後の土葬であった。
おぼろげに覚えているのは、丸い棺桶と白い三角頭巾だった。子ども心に、幽霊みたいな恰好でふざけているのかと思った。棺は丸太で作られた輿(こし)のようなものに、乗せられて墓地まで運ばれていった。
輿の後ろから晒(さらし)が結びつけられ、綱のようになっていた。参列者はその晒の綱を握って、輿の後から墓地に向かった。チーン、チーンという鈴の物悲し気な音がずっとしていた。
その後の記億が無いのだが、鮮明に覚えているのは墓穴だった。墓地にはいつの間にか墓穴が掘られていた。大きくて深くて底の方に水が溜まっていた。誰が掘ったのだろうかと思った。それが、私が覚えている祖父の葬式のすべてだった。
それから時代は平成になる。あれは父が亡くなって間もない頃だった。祖父は六十歳、父は六十五歳だった。似たところのない親子だったが、早世するところはそっくりだった。
亡くなったのは近所のご隠居さんで、大往生だった。訃報はすぐに地区民に伝えられた。
「確か家(うち)が穴掘り当番だったはずだ」
知らせを聞いた母の第一声だった。
今では葬儀屋さんに任せる仕事も、まだ地区の人たちが担当していた。その頃私はすべての地区の仕事を半ば強制的にさせられ始めたころだった。
「穴掘り当番だって。この時代にまだそんなことやっているのか、ここの人たちは!」あきれると同時に祖父の墓穴がフラッシュバックしてきた。
「無理、無理。絶対無理!あんな深い穴、私には掘れない」と、絶叫してしまった。
誰がそんなことするか、昔からのしきたりだ。故人宅に行ってお茶でも飲んでいればそれでいいのだといわれ、安堵したものだ。
今でも穴掘り当番のことは時々思い出す。父の急逝に沈みがちだった母が、少しだけ元気を取り戻した出来事でもあるからだ。
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