コメント
すべて~はミュンヘンへ続く道~
(
柴田真紀
)
2006-09-08 23:45:57
見てましたよ~。
主題歌のカセットテープ持ってますぜ。フルで歌えます。
ブルガリア戦は、LPレコード(CDでも、DVDでもないところがミソ)持ってます。
森田さんの「一人時間差」は、たまたま足を怪我したときに編み出した、なんてのも、スポ根物(この言い方からして古い)みたいだなーと。
あのときのメンバーも早世されていますね。やはり苦労が多かったのでしょうか。
私も興奮しました!
(
中野区民Y
)
2006-09-09 08:15:34
当時、アニメもオリンピックも大興奮で見てました。
アニメの主題歌のレコード買いましたよ。
B面の曲もいいんですよねぇーーたしか出だしは・・
♪なにか~に燃えるのが、若~い命~
なにか~に賭けるのが、一度の青春さぁ~・・でしたよね!?
あのチームは凄いチームでしたね。
あっ、すいません(^_^;)
(
中野区民Y
)
2006-09-09 08:19:08
その曲はA面でしたね(汗)
B面の出だしは・・♪一度だけなら、青春の日は~
でしたっけ?
書き込み御礼&レス
(
こーじ
)
2006-09-09 20:10:09
>柴田真紀様
南さん亡くなりましたね、そうとうなエネルギーを使ったのでしょう。主題歌特集CDがあってテープに録音してましたがどこにいったのか?
ブルガリア戦のレコードLPあったんですね。今では
お宝です。
>中野区民様
8年かけて作ったチームですから柳本ジャパンなどと
比べてもらったら困るのです。
やはり世界一になるという覚悟を持ったチームには凄みがありまして負けたけどよくやったは厳禁です。
まだ語りたくて・・
(
中野区民Y
)
2006-09-09 20:36:38
当時よくアクロバットのような練習の映像がテレビでながれましたね。
亡くなったお子さんが作った筆箱でしたか・・
表彰台の一位のところに日の丸がありました。
金メダルを取ったあと、宿舎で何人かの選手がうなだれてる写真が雑誌に載っていましたが、燃え尽き症候群になっていたようですね。
次のモントリオールオリンピックでは全日本女子がバレーで金メダルを取りましたね。
背番号12の一番下っぱが横山樹里(この字でしたか)でした。当時ファンでして、最初のアイドルアスリートだったのではないでしょうか!?
次のモスクワでは当然主将のはずでしたが
・・・
書き込み御礼&レス
(
こーじ
)
2006-09-09 23:40:44
>中野区民様
何度もありがとうございます。
松平さんの考えは180台の人間を190台にするのは無理だが190台の人間を訓練によって180台の動きに近づける事ができるというのが持論でそれで斎藤体操と言われるアクロバットのようなトレーニングで敏捷性をつけようとしていたようです。
当時世界の平均身長は180台後半で日本は大古、森田、
横田の3人が190台と大型でした。
モントリオールの山田重雄監督も松平的発想で特に
白井貴子や横山樹里も大きかったので高さで負ける事は、なかったです。ただモスクワは「高い選手より機敏に動けてレシーブの上手い小型選手」を好む小島体制でしたから
厳しかったでしょう、実際81年のW杯ではアメリカ、中国に競り負け2位に終ってますから。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
主題歌のカセットテープ持ってますぜ。フルで歌えます。
ブルガリア戦は、LPレコード(CDでも、DVDでもないところがミソ)持ってます。
森田さんの「一人時間差」は、たまたま足を怪我したときに編み出した、なんてのも、スポ根物(この言い方からして古い)みたいだなーと。
あのときのメンバーも早世されていますね。やはり苦労が多かったのでしょうか。
アニメの主題歌のレコード買いましたよ。
B面の曲もいいんですよねぇーーたしか出だしは・・
♪なにか~に燃えるのが、若~い命~
なにか~に賭けるのが、一度の青春さぁ~・・でしたよね!?
あのチームは凄いチームでしたね。
B面の出だしは・・♪一度だけなら、青春の日は~
でしたっけ?
南さん亡くなりましたね、そうとうなエネルギーを使ったのでしょう。主題歌特集CDがあってテープに録音してましたがどこにいったのか?
ブルガリア戦のレコードLPあったんですね。今では
お宝です。
>中野区民様
8年かけて作ったチームですから柳本ジャパンなどと
比べてもらったら困るのです。
やはり世界一になるという覚悟を持ったチームには凄みがありまして負けたけどよくやったは厳禁です。
亡くなったお子さんが作った筆箱でしたか・・
表彰台の一位のところに日の丸がありました。
金メダルを取ったあと、宿舎で何人かの選手がうなだれてる写真が雑誌に載っていましたが、燃え尽き症候群になっていたようですね。
次のモントリオールオリンピックでは全日本女子がバレーで金メダルを取りましたね。
背番号12の一番下っぱが横山樹里(この字でしたか)でした。当時ファンでして、最初のアイドルアスリートだったのではないでしょうか!?
次のモスクワでは当然主将のはずでしたが
・・・
何度もありがとうございます。
松平さんの考えは180台の人間を190台にするのは無理だが190台の人間を訓練によって180台の動きに近づける事ができるというのが持論でそれで斎藤体操と言われるアクロバットのようなトレーニングで敏捷性をつけようとしていたようです。
当時世界の平均身長は180台後半で日本は大古、森田、
横田の3人が190台と大型でした。
モントリオールの山田重雄監督も松平的発想で特に
白井貴子や横山樹里も大きかったので高さで負ける事は、なかったです。ただモスクワは「高い選手より機敏に動けてレシーブの上手い小型選手」を好む小島体制でしたから
厳しかったでしょう、実際81年のW杯ではアメリカ、中国に競り負け2位に終ってますから。