コメント
 
 
 
友利 (屯田兵)
2010-09-18 01:11:15
ボコボコで顔凄い腫れたもんね。ちなみに中島戦第一戦サパタの一点勝ちと言ってたのが三迫会長であとになって自分とこの友利が同じ目に逢うとはね

印象の残るKOシーンの一つだょね
対友利第二戦
みんなかわして左一撃!
 
 
 
因果は巡るですね (こーじ)
2010-09-18 23:24:43
>屯田兵様
 考えてみれば友利のウルスア戦勝利が三迫ジム最後の世界戦勝利ですし、サパタ1戦目がケチの付き始めですよね。

 2戦目は蔵前国技館に3千人の侘しい観客数の中での
試合でしたね。
 
 
 
やられたらやり返さないと… (吉法師)
2010-09-18 23:58:22
セラノには上原康恒が痛烈な一矢を報いてくれましたが、サパタ、ペドロサには、日本人選手は最後まで勝つことが出来なかったですね。

それ以前に存在した日本人キラーには、誰かが必ず一矢を報いてくれていました。あのパスカル・ペレスにでさえ、矢尾板貞夫がノンタイトル戦とは言え明確な判定勝ち、フラッシュ・エロルデには沼田義明が、世界戦での対アルゼンチン人連敗記録には小林弘が、リカルド・アルレドンドには柴田国明が、そしてサムエル・セラノには上原康恒が、という具合に。

さんざんカモにされた相手に仕返しが出来なかった、この’80年代前半を境に、日本人選手の世界戦での成績、特に挑戦での勝率が急激に落ちていった。日本のボクシングが短期的な低迷、長期的には緩やかに衰退に向かった事の象徴的な出来事だったように思います。

ちなみにサパタのJ・フライ級での長期政権に引導を渡したのが、韓国の鷹と異名をとった、あの偉大な張正九だった、それが韓国ボクシング界の黄金期の始まりだった事が、その後しばらく続いた日本ボクシング界の低迷期とは好対照だったと思います。
 
 
 
そうでしたね (こーじ)
2010-09-19 22:32:13
>吉法師様
 確かにサパタに勝ったのは張正九で、張に日本人選手は全く勝てなかったですね。

 やはり同じ選手から同じようにやられるという事は
人気低迷を招くという事かもしれません。

 百戦錬磨の中南米の曲者に対しバカ正直な‘これしかない’戦い方の日本人のボクシングは相性が悪いと思ってましたけど、矢尾板貞雄や小林弘など海外で実績のある選手は勝っているのですよね。
 それだけ内弁慶な日本の体質が炙り出されてきますよね。
 
 
 
イラリオ・サパタ 完成度の高いボクサー (わい)
2018-05-04 19:35:58
こんにちわ。
イラリオサパタで検索してきました。
サパタは強かったですね。
中島からベルトを奪い、リターンマッチでは一蹴。
その後
友利からもベルトを奪い、再び王者に。
一撃必殺のパンチは無かったようですが、それでも中島の顔をボコボコにしたように強打はあったようで。
試合運びが抜群に上手く、相手の攻撃をかわし、的確にパンチを打つ。
(ボクシングの基本ですが)
もし、具志堅さんとやっていたらら?
結果はどうなっていたかわかりませんが、いい試合になったのではないでしょうか。
 
 
 
いらっしゃいませ (こーじ)
2018-05-04 23:26:29
>わい様
 いらっしゃいませ、初めまして。
 サパタのボクシングは軟体動物のようで捉えづらかったみたいでしたし、特にアウトボクサーの友利正にとって相性が悪かったようです。

 中島にもう少し馬力があればと思いましたし、比嘉大吾ならば何とかなるのではと思います。

 具志堅と戦ったら何とか判定では勝てるとは思いますが倒せそうもないですね。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。