コメント
 
 
 
功罪半ばではありましたが (吉法師)
2012-10-13 19:19:31
お久しぶりです。仕事の配置が変わったりで、長い事Rom専状態でしたが、またお邪魔させて頂こうと思います。

そうですねえ、もうあれから10年経ったんですね。あの時の解説陣の中で、沼田義明さんが「何と解説すれば良いのやら…」と困惑を隠せずに喋っていたのが、なんとも気の毒に思えたものです。
あの後は数回、深夜枠での放送があったのみで、その後はテレ朝からボクシング番組はフェードアウト。
世界戦の1時間放送やら、実力不足の世界戦乱造など“罪”の部分も多々ありましたが、一方ではピピノ・クエバスを日本で見られたのはこの局での放映があったからだし、ジャッカル丸山vs関博之(2)の伝説に残る激闘を放映したのもこの局の“エキサイトボクシング”だし、小熊正二vs触沢公男の、大番狂わせの触沢KO勝ち~ミゲール・カントへの挑戦までの神がかり的な快進撃をすべて放映した、など“功”の部分も少なからずあったのが、この局のボクシング番組でした。
’90年代半ばまでは、この局のボクシング番組のマッチメークを取り仕切っていたのは、極東プロモーション(沼田義明さんの所属・極東ジムのプロモーション部門)の河原木氏というマッチメーカーでしたが、氏がご高齢となって一線を退いて以降は、昔日の面影を急速に失ってしまったのは、残念の一言でしたね。
 
 
 
お元気でしたか! (こーじ)
2012-10-13 21:14:28
>吉法師様
 いやぁ~、またコメント戴けて嬉しいです。

 そうですよね、TV朝日は河原木氏がマッチメーカーになってましたから氏が一線を退いたという話の後に
こういう事態になったのが印象的でした。

 小熊-触沢もエキサイトボクシングでしたか。
 ジャッカル丸山-関博之は私もリアルタイムで見てましたよ。

 しかも個人的にですが大橋秀行が張正九2戦の再起戦でロミー・セミザをボディでKOしたのを生観戦し、パンチが決まったシーンをモニターで見ようとしたら しっかりTVに映って田舎の知人達に知られた事もありました。

 
 
 
 
吉野弘幸もテレ朝でしたよね (ある)
2012-10-14 01:08:12
保住vsジョッピーから10年・・・早いですね。
最後のシーンはボクシング・ファンからすると不愉快の一言で、「勝者ジョッピーにも失礼に当たる!」と大いに憤慨したものでした。

ウィキペディアによると・・・

テレ朝の「エキサイト・ボクシング」は、極東プロモーション代表だった河原木宗勝さんが窓口としてマッチメイクに当たり、深夜番組「トゥナイト」の放送枠を定期的にヨネクラジムやワタナベジムに斡旋。

世界王者は、ヨネクラジムの川島郭志、花形ジムの星野敬太郎が同枠で育ったが、続く世界王者の誕生ならず。

河原木氏の死去が大きかったようですね・・・。
それを契機にボクシング中継は縮小され、2003年の興行を最後に番組は打ち切り。

もし今でも同枠が存在していたら、内山高志の防衛戦はテレ朝で放送されてたのかな・・・なんて思ってしまいます。
 
 
 
そういえば (こーじ)
2012-10-14 23:51:20
>ある様
 そういえば90年代では松本好ニ-平仲信敏戦の結果も映像付きでニュースステーションのスポーツコーナーでOAしてましたから、あの頃がTV朝日ボクシング全盛だったのでしょうかね。

 徳山も2試合ばかりTV朝日でOAしてますが、柳光戦と1つ前の試合でしたからワタナベルートでしょうか。

 それを考えると内山も確かにTV朝日だったかもしれませんね。
 
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