コメント
公立工業同士の対戦が昭和を感じさせますね~
(
なにわのヒバゴン
)
2008-12-24 23:51:23
こーじ さん
岡崎工はその2年前の選抜が初陣で、初戦で浪商を下してますね。宇部工は後にも先にも76年春の一度きり。両校はそれ以降出場がないので、工業という校名からも同じイメージで記憶のなかでおぼろ気に残っています
76年夏は久々に宇部商が出てきて同校のミラクルの象徴、記念すべき初ホーマーも記します。OBである玉国監督が甲子園初采配、やがて全国的な名将にのし上がっていくんですよね
75年夏と76年春が愛知×山口でスコアは1‐0というのも面白いですし、ロースコアの決着に時代背景が浮かびますね
01年に春夏続けて仙台育英×宜野座がありましたが、ともに7‐1のスコアでした。夏に宜野座がリベンジしたのには感動を覚えたものです‥☆
スコアの皮肉
(
こーじ
)
2008-12-26 00:33:37
>なにわのヒバゴン様
宜野座と仙台育英は同じスコアで勝ち負けをタイに
してますね。
岡崎工は三河地区で、徳川家康に因んだ実況が印象深いですよ。
反対に宇部工は、これ以降は泣かず飛ばずでした。
愛知ー山口は宇部商ー東邦や豊田大谷ー宇部商(サヨナラボークの試合)にあるように意外にロースコアになりやすいですよ。
よく実況内容まで記憶してらっしゃいますね。もう33年近いというのに~!凄すぎです
(
なにわのヒバゴン
)
2008-12-26 06:15:50
こーじ さん
その岡崎工や刈谷、愛知高校(夏の出場経験もありました)。激戦の愛知ですが、春は新鋭校も出ていましたね。
愛知は思うほど甲子園での通算ホームランが多くないんです。大阪は断トツとして、和歌山、兵庫、東京などとはだいぶ差が開いている印象が‥。ロースコアで接戦を制する。かつての中京商や、バンビや山田喜久夫らの東邦、最近の名電などをイメージすると確かに豪打というよりセオリーな野球を押し進めていますよね
香田監督が4才年下には見えません。パッと見、貫禄ありますものね。選手としても佐賀商で出場しホームランを放ちましたが、テレビで観戦してました。駒大苫小牧は香田氏が去って遠ざかりつつありますが、今後はどうなっていくんでしょうね☆
ご無沙汰しています
(
サラパパ
)
2008-12-26 22:43:55
懐かしい話ですね
私が小学生の頃の話
国府は私の出身高校と同じ東三河地区です
当時は公立高校の甲子園出場で盛り上がりました
投手青山(中日)
捕手市川(大洋)のバッテリーでした
書き込み御礼&レス
(
こーじ
)
2008-12-27 00:09:50
>なにわのヒバゴン様
春は愛知や刈谷といった普段は聞かないチームが出てましたが、いかんせん勝てませんでした。
やはり常連校ではないので、相手チームからナメられるのでしょうかね。
中京大中京は伝統的に守りですが、東邦は打ち勝つスタイルだという話を聞いた事がありました。
そういえばバンビ坂本のときは、よく打ってました。
決勝以外では最低でベスト8の熊工戦の4点ですからね。
>サラパパ様
なるほど、国府は三河地区なのですね。
初耳でした。
ならば夏春と二期連続の三河地区からの出場だったのですね。
青山より市川の方が出世した感じですね。
おっしゃる通りです~
(
なにわのヒバゴン
)
2008-12-27 05:38:59
こーじ さん
よく選抜の歴史を紐といてみると「猛打の東邦」というフレーズが出てくるので打の東邦であるという見方のほうが正解でしょうね。私は89年春のイメージが強いのかも‥山田喜久夫の優勝チームだけに限ると「守りの東邦」でしょうね。
77年夏は敗れた決勝でも松本から10安打していますし、打棒の凄さがかいま知るようです
高校名で強い、弱いの印象ってありますね。初陣校で公立だったら打撃力がなさそう。私立で大型チームなら得点力がありそうとか‥
甲子園実績でのイメージは大きいでしょうね。センバツ当確の箕島や習志野は我々の頃だったら「やりたくない相手」でしたけど、今の高校生なら全盛期を知らないでしょうしね。横浜、大阪桐蔭、智弁和歌山、明徳義塾、常葉菊川、青森山田、駒大苫小牧、日大三、清峰‥。などの校名には威圧感を覚えるのではないでしょうか。
イメージってありますね
(
こーじ
)
2008-12-27 23:29:13
>なにわのヒバゴン様
笑えるのが78年春に初出場した帝京の連中が小倉と対戦が決まり‘絶対に勝てない’と思っていたそうですよ。
やはりイメージというか、名前勝ち&負けなどはありますね。
甲子園での実績が、そういう目に見えない力をもたらしそうです。
抽選会、悲喜こもごも‥
(
なにわのヒバゴン
)
2008-12-28 08:22:54
こーじ さん
それは帝京の今の姿からは想像できないまさに初々しい甲子園だったんですね。その春の出場校の顔ぶれから伺えるように、まだ公立校が弱いという時代でもなかったですからね。小倉は久々の登場だったようですが、福島投手での夏連覇、昭29年春の準優勝など78年当時ではギリギリくらいで名門小倉のブランド力は健在だったのでしょう
その数年前から柳川商が江川を苦しめたり、久保らのチームで全国的になっていましたから、福岡は強い~という先入観は出来上がっていたと思います
83年春の抽選会はどこが池田と対戦するかがまず焦点でした。そして帝京との対戦が決まるとウオ~ッと歓声とどよめき。開会式直後は広島商と横浜商、さらに興南と上宮などが決まった瞬間も大歓声が上がっていました
85年春、伊野商ナインは対戦の決まった東海大浦安の選手から「よろしくね~」と半分ナメられた態度で挨拶されたことにメチャクチャ腹が立ったらしいですね。それで渡辺智男が燃えに燃えた。自らの一発とスラッガーの佐久間を完全に封じたことで勢いづき、気が付けば優勝。あまり相手を怒らせては駄目ですよね。私の世代なので思い入れが強いです☆
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岡崎工はその2年前の選抜が初陣で、初戦で浪商を下してますね。宇部工は後にも先にも76年春の一度きり。両校はそれ以降出場がないので、工業という校名からも同じイメージで記憶のなかでおぼろ気に残っています
76年夏は久々に宇部商が出てきて同校のミラクルの象徴、記念すべき初ホーマーも記します。OBである玉国監督が甲子園初采配、やがて全国的な名将にのし上がっていくんですよね
75年夏と76年春が愛知×山口でスコアは1‐0というのも面白いですし、ロースコアの決着に時代背景が浮かびますね
01年に春夏続けて仙台育英×宜野座がありましたが、ともに7‐1のスコアでした。夏に宜野座がリベンジしたのには感動を覚えたものです‥☆
宜野座と仙台育英は同じスコアで勝ち負けをタイに
してますね。
岡崎工は三河地区で、徳川家康に因んだ実況が印象深いですよ。
反対に宇部工は、これ以降は泣かず飛ばずでした。
愛知ー山口は宇部商ー東邦や豊田大谷ー宇部商(サヨナラボークの試合)にあるように意外にロースコアになりやすいですよ。
その岡崎工や刈谷、愛知高校(夏の出場経験もありました)。激戦の愛知ですが、春は新鋭校も出ていましたね。
愛知は思うほど甲子園での通算ホームランが多くないんです。大阪は断トツとして、和歌山、兵庫、東京などとはだいぶ差が開いている印象が‥。ロースコアで接戦を制する。かつての中京商や、バンビや山田喜久夫らの東邦、最近の名電などをイメージすると確かに豪打というよりセオリーな野球を押し進めていますよね
香田監督が4才年下には見えません。パッと見、貫禄ありますものね。選手としても佐賀商で出場しホームランを放ちましたが、テレビで観戦してました。駒大苫小牧は香田氏が去って遠ざかりつつありますが、今後はどうなっていくんでしょうね☆
私が小学生の頃の話
国府は私の出身高校と同じ東三河地区です
当時は公立高校の甲子園出場で盛り上がりました
投手青山(中日)
捕手市川(大洋)のバッテリーでした
春は愛知や刈谷といった普段は聞かないチームが出てましたが、いかんせん勝てませんでした。
やはり常連校ではないので、相手チームからナメられるのでしょうかね。
中京大中京は伝統的に守りですが、東邦は打ち勝つスタイルだという話を聞いた事がありました。
そういえばバンビ坂本のときは、よく打ってました。
決勝以外では最低でベスト8の熊工戦の4点ですからね。
>サラパパ様
なるほど、国府は三河地区なのですね。
初耳でした。
ならば夏春と二期連続の三河地区からの出場だったのですね。
青山より市川の方が出世した感じですね。
よく選抜の歴史を紐といてみると「猛打の東邦」というフレーズが出てくるので打の東邦であるという見方のほうが正解でしょうね。私は89年春のイメージが強いのかも‥山田喜久夫の優勝チームだけに限ると「守りの東邦」でしょうね。
77年夏は敗れた決勝でも松本から10安打していますし、打棒の凄さがかいま知るようです
高校名で強い、弱いの印象ってありますね。初陣校で公立だったら打撃力がなさそう。私立で大型チームなら得点力がありそうとか‥
甲子園実績でのイメージは大きいでしょうね。センバツ当確の箕島や習志野は我々の頃だったら「やりたくない相手」でしたけど、今の高校生なら全盛期を知らないでしょうしね。横浜、大阪桐蔭、智弁和歌山、明徳義塾、常葉菊川、青森山田、駒大苫小牧、日大三、清峰‥。などの校名には威圧感を覚えるのではないでしょうか。
笑えるのが78年春に初出場した帝京の連中が小倉と対戦が決まり‘絶対に勝てない’と思っていたそうですよ。
やはりイメージというか、名前勝ち&負けなどはありますね。
甲子園での実績が、そういう目に見えない力をもたらしそうです。
それは帝京の今の姿からは想像できないまさに初々しい甲子園だったんですね。その春の出場校の顔ぶれから伺えるように、まだ公立校が弱いという時代でもなかったですからね。小倉は久々の登場だったようですが、福島投手での夏連覇、昭29年春の準優勝など78年当時ではギリギリくらいで名門小倉のブランド力は健在だったのでしょう
その数年前から柳川商が江川を苦しめたり、久保らのチームで全国的になっていましたから、福岡は強い~という先入観は出来上がっていたと思います
83年春の抽選会はどこが池田と対戦するかがまず焦点でした。そして帝京との対戦が決まるとウオ~ッと歓声とどよめき。開会式直後は広島商と横浜商、さらに興南と上宮などが決まった瞬間も大歓声が上がっていました
85年春、伊野商ナインは対戦の決まった東海大浦安の選手から「よろしくね~」と半分ナメられた態度で挨拶されたことにメチャクチャ腹が立ったらしいですね。それで渡辺智男が燃えに燃えた。自らの一発とスラッガーの佐久間を完全に封じたことで勢いづき、気が付けば優勝。あまり相手を怒らせては駄目ですよね。私の世代なので思い入れが強いです☆