コメント
 
 
 
す、す、素晴らしい昭和ノスタルジー。あの日に帰りたいですね☆ (なにわのヒバゴン)
2009-05-04 04:09:49
いい番組をご覧になられたのですね。私は飲んで横になってましたけど(笑)。。書かれている曲すべてに何かしら思い入れがありますね。特にキャンディキャンディは好きでした。当時で小学5年くらいだったと思うのですが、独特のイントロと堀江ミッチーの声は本題のストーリーと見事に相まってましたよね。70年代、なぜかアニメ黄金期と高校野球の全盛期が被ってきます。
私が好きだった曲‥スポ根ドラマ、がんばれレッドビッキーズの主題歌:「青春虹の橋」かおりくみこ。燃えろアタックの主題歌:堀江美都子、同エンディング曲:「お元気ですか お父さん」日高美子。。。こーじさんもご存じなら嬉しいです

それにしても、お子さんたちもご一緒に昔のアニソンに釘付けになられるとは凄いですね。それほど当時の曲に力があったのでしょうけど。。。曲を作られた人も、歌われた人も改めて存在感の大きさを垣間知れますよね

昨今はオムニバスCDも色々と出てますので、是非アニソンものもチェックしてみたい今日この頃です‥☆
 
 
 
よかったですよ (こーじ)
2009-05-05 00:50:38
>なにわのヒバゴン様
 堀江美津子さんは篠塚らと同級生らしいです。
 つまり75年組なのですよ。

 今はタイアップ曲が幅を利かせてますが、やはり純粋なアニソンでないとダメですね。

 息子達には車で聞かせてますので大好きですよ。
 でも名曲は世代を超えますね。

 英才教育着々です。
 
 
 
70年代娯楽文化は凄すぎ~。闘将ダイモスの曲も好きでした☆ (なにわのヒバゴン)
2009-05-05 02:58:06
あ~そうだったんですか。そうすると堀江ミッチーはキャンディキャンディの頃は20才くらいですから、まさに歌のお姉さんを地で行っていたわけですね。大杉久美子さんも同時代、美声で名唱が多かったですよね

地上波よりもCS、BSはコアでマニア受けする番組が多いですね。我々アラフォー世代の思い入れがあるドラマ、バラエティ等のDVDも月々に販売されていますし‥。懐かしめるのは嬉しいのですが、昨今の娯楽が2、30年経過した時に同じように世代を越えて支持されているか否かは疑問です(ヒット曲がすぐに忘れ去られるようで‥)。なので一過性でなく、長く愛されるような音楽、番組製作を期待したいものですね‥☆
 
 
 
地上波はダメですね (こーじ)
2009-05-05 23:43:33
>なにわのヒバゴン様
 ハッキリ言って地上波はダメですよ。
 視聴率の奴隷となってますので、低予算で確実に
ヒットする番組しか作ろうとしてません。
 だからドリフの全員集合の特集などが最近目に付くのですよ。

 どうしても今は世代間の価値観が違いすぎますので
国民的なヒットソングというのが殆どないようです。

 闘将ダイモスは、ささき いさおでしたね。
‘大地を揺すれ’などと物騒な歌詞が印象に残りますけど・・・・・

 
 
 
 
ささきいさおの闘将ダイモスも好きですが‥ (なにわのヒバゴン)
2009-05-07 08:24:46
私が書きたかったのは、闘将ダイモスのエンディング曲「エリカのバラード」歌:かおりくみこ&大倉正丈のほうです

だれもひとりで 生きてはゆけぬ
笑ってあなたは そういった
あの声いまも 胸に秘め
かえれぬ道を ひとりゆく青い空を みどりの平和をください
それがそれが どうしてもほしいのです 愛しあう ふたりのために

という歌詞です。しっとりとした二人の歌い回しが絶妙なのでよく愛聴しています


枦山監督の樟南は94年の準優勝後も夏に99年4強、00年8強、05年8強と一応の実績は残しているんですけどね。仰るように、小細工野球を捨て豪快さをもっと前面に押し出せば(甲子園準優勝監督のプライドがそうさせるのか‥)私は全国制覇できると信じています。枦山さんは高卒ながらチームを一から築き上げた苦労人ですし、何とか優勝旗を手にして欲しいですよね

樟南が02年春に敗れた広商に興南もマイク仲田時代に連敗してますね。今春の島袋の姿に当時の仲田をオーバーラップしてしまいました。投げれど打線の援護がない‥まるで長野商相手に三振の山を築いた頃と同じですよね。選抜で未だ未勝利の興南に対し、春に滅法強い沖縄尚学と好対照。沖水、豊見城も春はイマイチでしたね

77年夏の豊見城はやはり金城の一撃が印象深いですね。広商のエース住吉の投球フォームはどこかぎこちなく個性的でした。当時まだ威厳があった広島商を破ったことで、豊見城は本当の意味での全国区にのし上がった気がしましたね。。。当時の夏休みといえば、チャンネル手動式のテレビ、扇風機、麦ワラ帽、スイカ、風鈴などの風景をイメージしてしまう私です‥☆
 
 
 
なるほど (こーじ)
2009-05-07 23:59:32
>なにわのヒバゴン様
 私の場合はダイモスは、ささきいさおの‘男の詩’というCDアルバムに収録されていたので初めて聞いたので今ひとつ分かりませんでしたが、先日息子達が借りたCDに収録されてました。
 聞いて確かに しっとりとしたいい歌だと思いましたよ。

 枦山監督は1アウト1塁、1・2塁から当たっている打者にバントをさせ当たってない打者勝負に行ったり、
3点ビハインドで1点返してなおもノーアウト1・3塁などの場面で当たっている打者にスクイズをさせて失敗などが00年代以降目立ってますからね。
 どうも時代に合ってないのかもと思うのです。

 豊見城は75年に習志野、76年に小山と関東の強豪に勝ち、77年に広島商を破った事で強豪の地位を得ましたね。

 興南が凄いと思ったのは68年以外では80年のチームぐらいですか。
 とはいえ新湊や3戦目で疲労の色が濃かった旭川大相手の大量点ですから、あまりアテになりませんか。
 ホント打てないチームですよ。
 
 
 
クシを折っても器用に整髪されるこーじさんはTHE名人~!バットを折っても安打するイチロー並ですよ‥☆ (なにわのヒバゴン)
2009-05-08 01:57:35
イヤ~ッ何度も書きますけど、こーじさんのお子さん達が昭和アニソンを普通に聞いているという現実は本当に凄いの一言です。そのパターンからすると私が小学生の頃に戦後すぐの曲を好きになる(有り得ない~!)のと同じ意味ですからね。本当に昭和の先人たちの偉大さに思わず敬礼です

近代(21世紀)野球はやはり常葉菊川、智弁和歌山、大阪桐蔭のような強打を看板にしているチームが強みを発揮する率が高いでしょうね。もちろん場面によってはバント、進塁打が必要です。00年夏の智弁和歌山、翌夏の日大三が記録的猛打によって優勝したことで、その流れが急激に進みましたからね。北海道のイメージを変えた駒苫も、上甲監督の済美も打撃力にモノを言わせました。樟南や名電は相手からすると名門、実力校のイメージであっても、さほど威圧感は覚えないかもしれませんね。鹿児島では内之倉の頃の鹿実が最も脅威だったのではないでしょうか?

興南旋風を知る世代は50代以上でしょうか。80年夏にのちの旋風児・新湊と対戦したのも今となっては縁かも知れないですね。86年に享栄、02年に名電と春最多優勝回数を誇る愛知勢を破った新湊の存在感はやはり大したものです。今夏あたり久々に戻ってきて欲しいですね

豊見城、最後の甲子園は初戦我孫子にサヨナラ勝ちでしたが、千葉のチームとしては習志野との再戦、あるいは斎藤監督の銚子商との対決も見たかったですね‥☆
 
 
 
豊見城と興南 (こーじ)
2009-05-09 00:24:15
>なにわのヒバゴン様
 興南のベスト4は私も知りませんが、80年以降は見てます。
 機動力野球を掲げているわりには点が取れてないですし、人材も生かせてない感じです。

 それに引き換え豊見城は前記しましたが習志野や小山、広島商などの強豪にインパクトのある勝ち方をしてますからね。
‘でかした!’と ヒザを叩きたくなるチームでした。
 負け試合も東海大相模戦や土佐戦、東洋大姫路戦など負けて名を残す試合をやってましたからね。
 銚子商との対戦を見てみたかったですよ。

 
 
 
 
10年周期で確実に躍進した沖縄勢。。。 (なにわのヒバゴン)
2009-05-09 03:50:43
何かの本に書いてあったのですが、「かつての沖縄チームはアブラ虫だった」とヤユされていたんですよね。しかし選抜で2度の優勝など今や上位常連。私が見始めた頃、ここまで躍進するとは正直思わなかったですね

58年夏・首里が県勢初出場、68年夏・興南旋風、78年夏・豊見城4度目の8強、88年夏・沖水初の4強、99年春・尚学が県勢初優勝、08年春・尚学2度目の優勝、夏・浦添商4強など約10年周期で着実に歩んできましたよね

興南は仲田時代よりも81年の竹下三年のチームに期待していました。春の印旛戦は1‐3のスコア以上に完敗の印象が強いです。印旛のエース佐藤はストレートとカーブの配球の妙が素晴らしく、上手く興南の打ち気を外していましたね。打線も石井、村上、白川、月山、辻井など勝負強かったですし。印旛に屈した興南は夏は初戦で松本の秋田経大付に完敗。相手も強かったとはいえ、前年からの成長が見られなかった興南が正直歯がゆかったです。仲田時代は少しイメチェンしての登場だった気がしますが、チグハグな攻撃のまま3大会を終えた印象ですね

豊見城は77年夏の姫路戦は3‐8とスコア上では完敗の印象ですが、6回終了時までは3‐5ですから健闘した方でしょうね。力投型の下地が3試合目で疲労も大きかったのかも知れませんが、二年生石嶺もしっかりと松本を打ち込んでの内容ある敗戦。沖縄帰郷後、沖縄と九州大会を制覇して堂々4年連続のセンバツ出場(九州の各県相手に毎年上位進出は快挙です)。初戦で桐生に敗れたとはいえ、大会前には豊見城も優勝候補の一角に名を連ねる貫禄ぶり。おそらく沖縄勢では初めて自他共に認める「出世」した大会だったかもしれませんね‥☆
 
 
 
調べてみると興南は (こーじ)
2009-05-09 22:56:30
>なにわのヒバゴン様
 調べてみると興南は80年に旭川大相手に14点を取ったのを最後に3点までしか甲子園では取ってないのですよ。

 私もエースの竹下と玉寄の2枚看板が3年になる81年は期待してましたが、秋の九州大会では佐世保工に決勝で敗れて準優勝。
 甲子園では印旛に完敗、特に5回以降はパーフェクトに抑えられました。
 夏は竹下が自滅し、玉寄が力尽きた感じです。

 仲田時代も82年は決して強くなかった明野と熊谷相手に手こずり、3回戦で有名な広島商相手に2安打で4点を奪われ逆転負け。
 83年も春は9回の土壇場でHRで追い付かれ延長で併殺崩れでサヨナラ負けを喫すると、夏も長野商の投手を打てずに延長まで戦い 2回戦で広島商に前年と同じような展開で逆転負けしてますからね。

 77年夏の豊見城は東洋大姫路戦で4回の1アウト満塁で点が入っていれば、ひょっとして?という感がありました。
 78年春も豊見城に勝った桐生の木暮達が‘豊見城に
勝てたので自信になってベスト4に行けた’というコメントが印象深いです。
 やはり負けても相手を震撼させる負け方をしてましたからね。
 
  
 
 
 
夏場所。。ナニワの豪栄道、稀勢ノ里、鶴竜、豊真将らに期待~!魁皇(直方出身)もまだまだ頑張って欲しいですね☆ (なにわのヒバゴン)
2009-05-10 04:20:03
07年夏に興南は久々に出場しましたが、今一つ盛り上がりませんでしたよね。ユニを旋風当時のものに復刻させて中高年世代は懐かしかったようですが‥。80年夏の旭川大は近鉄で活躍した鈴木貴久(早世したのはショックでした)らを擁して札幌商とともに北海道旋風を巻き起こしました。ですから当時の状況から、興南の大勝よりも旭川大の健闘が讃えられた感が強いです。それでも76~78年の豊見城に続き5年間で4度8強入りの沖縄代表にしたたかな印象を持ちましたね

82年夏は箕島が早々に和歌山大会で散ったのが意外でした。選抜で本命に挙がり、優勝したPLとも互角の戦いをしましたしね。尾藤さん自身、かなり手応えを掴んで夏に挑んだはずです。その年の予選前に発売された「輝け甲子園の星」では尾藤監督の特集があり、尾藤スマイルの秘訣など監督人生を笑顔でふりかえっていたのに(忙しかったであろうに、よくぞ取材に応じられたなぁと今になって思いますね)。。

春初戦で箕島との横綱対決で敗れた上尾や、同じく箕島と死闘を演じた松田監督の明徳も予選敗退となり少しガックリしたのを覚えています。夏も初戦で埼玉×和歌山(南部)の対戦でしたが、勝った熊谷の選手は「和歌山代表と言ってもいつも箕島に大敗しているチーム。だから負ける気はしなかった」とコメントしていましたね

上宮×興南は甲子園の外野席(右中間あたり)で観戦、寒い日でしたよ。仲田の出来が素晴らしく、地元を応援する私も「もう負けた‥」と観念しましたね。9回裏一死、代打竹田がレフトへ同点アーチ~!それまでシーンと静まり返っていた球場全体が突如沸騰し、揺れる上宮のアルプス席、立ち上がって私も狂喜乱舞しましたね。結局サヨナラ負けした興南がどこまで夏に打力をアップさせて戻ってくるか注目していましたが、イメージ的にはあまり変わらず少し残念ではありました

83年春は近畿の7校中、3校が初戦を突破したのみの寂しい大会でしたね。興南を下した上宮は松島‐光山のバッテリーを中心に近畿最強との期待も大きかっただけに、明徳戦の大敗は何ともやるせなくショックでしたよ(14年後にリベンジしたのは嬉しかったです)。

78年の桐生は意外にも部員が少なく、春は三年生1人のみベンチ入り出来なかったくらいだそうです。夏はそれまでのベンチ入り14名から定員が1人増えたことで、めでたくその選手も甲子園のベンチ入りを果たせたとか。。桐生を率いていた関口監督も「春夏連続出場よりも三年生全員に甲子園を経験させられたことが何より嬉しい」と話していたらしいですね。何でも野球経験のない監督さんだったそうですし、当時の桐生高校は以前にも増して進学校としての色合いが濃かったのでしょう。木暮、阿久沢を除けば極々普通の選手たちのチームだったのかもしれませんね‥☆木暮と石嶺の対決は華やかでした(70年代の甲子園を象徴するシーンですね)。
 
 
 
箕島の敗退は意外でした (こーじ)
2009-05-11 00:16:23
>なにわのヒバゴン様
 興南の今のユニフォームは68年ベスト4の時のデザインですね。
 80年の旭川大が興南に大敗した時は山田投手がバテてましたから、ある意味仕方なかったかもです。
 
 82年春は上尾が優勝候補の筆頭と言われてました。
 だから箕島戦が事実上の決勝と思ってましたが、両チームとも予選で負けるとは夢にも思いませんでした。
 同じ和歌山ー埼玉対決でも ずい分レベルが低いなと
思いましたよ。

 実は箕島ー上尾戦が行われていた日に私は修行先に
入店したのでした。
 だから この日は3月29日で絶対に忘れられないのです。

‘上宮と興南の勝者がベスト8で、特に仲田と池田打線が見てみたい’などという記事が当時ありました。
 だから上宮が明徳に大敗するとは予想外でしたね。
 
 桐生ー豊見城は木暮ー石嶺対決ですが、いずれも大飛球を飛ばしながらセンターの和田が絶妙のポジショニングでファインプレーを連発したのが印象に残ります。 
 
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