コメント
軟式の崇徳ユニフォーム懐かしかったです。次は硬式が脚光を浴びて欲しい\(~o~)/
(
なにわのヒバゴン
)
2014-08-31 22:37:33
変幻自在な西嶋投手を最後まで捉えきれなかった事以上に3年間指導してもらった監督が勇退ではなく埼玉へ異動されるという不可解?な空気がやはり選手のモチベーション低下を招いてしまったんでしょうね。試合中に指示を与えられても‘何でウチのチームを辞めるんや。そんなに他校がええんか?’とやはり不信感が募りますよ。なのでせめて帰郷後落ち着いてから転任発表してもらいたかったです。九国と若生氏の間に何か摩擦でもあったのでしょうか?でないと準優勝から僅か3年で辞めないのでは?。近年はやや低迷の埼玉栄でいきなり頂点を極めるとなれば福岡の皆さん大バッシングでしょうね。東北時代はダルの個性を尊重するなど現代的なナイス監督のイメージでしたが本当に残念です☆
健康上の理由というのは分かりますが
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こーじ
)
2014-09-01 21:42:31
>なにわのヒバゴン様
まぁ若生氏は例の病気で杖どころか車椅子生活ですから故郷から遠く離れた九州に単身で生活するというのは
辛いものがあったとは思いますし、もうすぐ10年になるのだから退任というのは仕方ないとは思います。
だから九国大付との軋轢でというのはないでしょう。
母校の東北が震災以来 弱体化してしまっているので
東北の監督に就任するためというのなら分かるのですが、確かに以前 埼玉栄の監督経験があるとはいえ間を置かずにというのはさすがに気分はよくないですよ。
九国大付とは縁もゆかりもない我々ですら思うのですから、選手達の動揺はかなりのものがあったと予想できますよ。
♪三百余年 めいくん(漢字忘れた)の~たまには東北高校が見たい(^^)!!
(
なにわのヒバゴン
)
2014-09-02 03:32:37
震災復興の3年前の選抜で初戦最後(高野連にしてはナイスな配慮)に登場して以来東北は低迷してますね。93年から夏は長く出場できなかった同校を復活させたのが若生監督(東北高校唯一の準優勝)でしたからチームを強化する能力に秀でたものがあるのは間違いありません。ただ転任するにしても05年京都外大西の三原監督のように根回しは上手く行った方が結果は良と出た気がします。外大西の関西戦や宇部商戦などは劣勢を強いられるも‘監督のためにも負けられへん’というムードがチーム全体から感じられ逆転勝ちを収めましたからね。若生氏が去って九国が弱体化しなければいいのですが。。。夏優勝した日大三を春に下したといえば01年下野の東福岡もそうでしたね。10年に優勝はあったものの昭和時代の春の日大三は今世紀後は夏の~にイメチェン。次の優勝は2021年か?。どうせなら東京五輪の前年の方がタイミング的にはベストですけどね。ところで岐阜の中京って軟式の超名門なんですね。7度目の優勝ということは硬式の大中京と奇しくも同数。硬軟式とも高校野球は中京なくして語れない!何気にそう感じさせた延長50回の大熱闘でした☆
九国大付の新監督は
(
こーじ
)
2014-09-02 23:45:35
>なにわのヒバゴン様
九国大付の新監督は小倉OBで元 西鉄ライオンズの楠城
氏だそうです。
氏は69年に小倉が選抜出場し初戦で太田幸司の三沢に敗れてますね。
プロ系の監督は好素材の選手を集めるものの、無理をして勝ちにいく必要はないという哲学の人が多く結果を残さない人が目立ちますね。
軟式は中京や作新学院など硬式で馴染みのチームもありますが、愛知が硬式で岐阜が軟式で7度づつの優勝とは素晴らしいものがありますね。
G清水の起用事情納得です。ただ後藤に代打ルイス(台湾のイチロー)は未だに不可解(^^)。。。
(
なにわのヒバゴン
)
2014-09-03 06:33:46
楠城氏懐かしい名前ですね。野球を見始めた頃、太平洋クラブライオンズの正捕手でした(プレーの記憶はさすがにない)。西沢という捕手と併用、さらに若菜の台頭など私のイメージではアメフトユニフォームに身を包んだ若き東尾や太田、竹之内、移籍してきた土井正博らの時代ですね。ドローチャー監督ドロンした騒動も懐かしい。引退後は楽天のスカウト&編成部長を務めた頭脳も明晰、バリバリ地元の楠城氏が‘小倉魂’で全国制覇を成し遂げられるか注目です。確かに元プロの高校野球監督は甲子園で勝つという執着心に薄いような気がしますね。彼等は野球の達人ではあっても教育者(教鞭を取った人もいるが)ではありませんから微妙な年頃の高校生を束ねることに即対応できないのは致し方ないかも知れません。それでも学生(アマチュア)スポーツは個より和で勝つ例が多いですから技術直伝とともに如何にして勝てるチームに仕上げるか彼らに課せられた今後のテーマでしょうね。三沢高校が楠城小倉に勝ち浪商には延長戦で惜敗。浪商はこのあと広商に大勝していますから如何に太田の三沢が実力派だったのか伺い知れますね。選抜枠は一校だった超狭き門だった東北大会をあっさりクリアしての夏春連続出場。そして夏に伝説の松山商との死闘。。。一度でいいから三沢高校が見たい!申し訳ないが光星や山田はもう見飽きました(^^)。広商はそれ以降も79年夏の浪商戦、84年夏の金足農戦、87年春のPL戦、02年春の鳴門工戦など緻密な野球のイメージながら大敗するケースが多いですね。その広商と94年春に対戦した宇和島東、現済美の上甲監督がお亡くなりになったとか。。。まだ60代のはずなのに寂しい初秋の訃報です。合掌
三沢は
(
こーじ
)
2014-09-03 22:58:38
>なにわのヒバゴン様
69年の三沢は米軍基地にちなんだノビノビとしたパワー野球が持ち味だったようです。
太田幸司ばかりが注目されますが、パワフルな野球が
ファンを魅了したようでして伝統校の松山商とは対照的だったみたいですね。
楠城は西沢や若菜の影に隠れて地味な感じでしたが、
フロントの仕事はソツなくこなしていたようですね。
‘実力派’三沢に勝ったのに無名の郡山北工に敗れた松山商(≡^∇^≡)☆
(
なにわのヒバゴン
)
2014-09-04 02:48:35
そうですね。太田の代の三沢は中学時代からの実力派が揃っていたことから勝つための野球が出来るチームだったらしいです。最後の夏も優勝なんて全然狙ってなかったとは言うものの夏春と手応えを得てたでしょうから、内心‘イケるかも’とある程度の自信は持っての甲子園だったと想像します。松山商との決勝、延長何回でしたか満塁から際どい一球。。。07年の佐賀北もそうですけど球審は球場の雰囲気や試合展開などでストライクがボール(あるいは逆)になるんですかね。満塁サヨナラ押し出しで優勝決定がそんなにマズいことなのかと。仮に松山商が後攻で同じ状況なら‘ボール’のコールもOKだった気がするんですが考えすぎでしょうか(^^)東北勢の決勝進出も今や珍しいことではなくなりましたが、秋田中、三沢、磐城はベールに包まれたままなので雑誌等見れば見るほど大健闘ぶりを窺わせますね。86年夏には三沢商が出ましたが結局一度きり(しかも開幕戦敗退)。太田幸司氏は関西で長年プロ野球(ほぼ阪神戦)解説者として今も健在ですが、何年か前の選抜開幕前に尾藤公氏とアナとのトリオでラジオの特集番組にも出演したようです(是非聞きたかった。。。)☆
基満男や鈴木治(葉留)彦、首位打者の吉岡悟もいた太平洋クラブLIONS(^^)!
(
なにわのヒバゴン
)
2014-09-04 04:59:13
調べてみますと楠城氏のプロ初安打(本塁打)が太田幸司から。甲子園で負けた悔しさを少しは晴らせたのかも知れませんね。氏の息子も小倉高校OBでプロ選手である(だった)ことも初めて知りました。三沢も見たいが小倉も復活目指して頑張って欲しいですね。
なるほど
(
こーじ
)
2014-09-04 23:18:19
>なにわのヒバゴン様
楠城のプロ入り初ヒットが太田幸司からとは初耳でしたよ。
小倉は昨秋福岡のベスト8だったので福島氏が殿堂入りした事もあり21世紀枠に推薦されれば出場できたのにと
思ってましたが、九州は大島でしたからね。
松山商-三沢の際どいストライクは審判も人間ですので最後の打者のハーフスイングを取らないのと同様、完全に外れてない限り押し出しサヨナラにはならないでしょうね。
三沢商が出場した時に太田幸司が自分達が準優勝して以来、青森勢の勝ちがないので‘三沢の亡霊’と語ってましたけど、今では信じられないぐらいの青森(大阪第2代表?)勢は強くなりました。
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まぁ若生氏は例の病気で杖どころか車椅子生活ですから故郷から遠く離れた九州に単身で生活するというのは
辛いものがあったとは思いますし、もうすぐ10年になるのだから退任というのは仕方ないとは思います。
だから九国大付との軋轢でというのはないでしょう。
母校の東北が震災以来 弱体化してしまっているので
東北の監督に就任するためというのなら分かるのですが、確かに以前 埼玉栄の監督経験があるとはいえ間を置かずにというのはさすがに気分はよくないですよ。
九国大付とは縁もゆかりもない我々ですら思うのですから、選手達の動揺はかなりのものがあったと予想できますよ。
九国大付の新監督は小倉OBで元 西鉄ライオンズの楠城
氏だそうです。
氏は69年に小倉が選抜出場し初戦で太田幸司の三沢に敗れてますね。
プロ系の監督は好素材の選手を集めるものの、無理をして勝ちにいく必要はないという哲学の人が多く結果を残さない人が目立ちますね。
軟式は中京や作新学院など硬式で馴染みのチームもありますが、愛知が硬式で岐阜が軟式で7度づつの優勝とは素晴らしいものがありますね。
69年の三沢は米軍基地にちなんだノビノビとしたパワー野球が持ち味だったようです。
太田幸司ばかりが注目されますが、パワフルな野球が
ファンを魅了したようでして伝統校の松山商とは対照的だったみたいですね。
楠城は西沢や若菜の影に隠れて地味な感じでしたが、
フロントの仕事はソツなくこなしていたようですね。
楠城のプロ入り初ヒットが太田幸司からとは初耳でしたよ。
小倉は昨秋福岡のベスト8だったので福島氏が殿堂入りした事もあり21世紀枠に推薦されれば出場できたのにと
思ってましたが、九州は大島でしたからね。
松山商-三沢の際どいストライクは審判も人間ですので最後の打者のハーフスイングを取らないのと同様、完全に外れてない限り押し出しサヨナラにはならないでしょうね。
三沢商が出場した時に太田幸司が自分達が準優勝して以来、青森勢の勝ちがないので‘三沢の亡霊’と語ってましたけど、今では信じられないぐらいの青森(大阪第2代表?)勢は強くなりました。