コメント
筆記体ユニが郷愁誘う古豪「Shingu」高校‥
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-02 01:40:12
こーじ さん
昭和30年夏、坂崎や山本八郎らがいた浪華商(春に優勝)を破ったのが新宮高校でした。戦後の高校野球でも屈指のチーム力を誇ったといわれる強打線を左腕、前岡が抑え込んだという伝説のチームゆえ和歌山でも名門校の一つに数えられますよね
前年秋に新宮が近畿大会のベスト4に進んでいたという戦績に時代を感じます。最後の甲子園となっている80年春、初戦で中西の高知商に完敗したきり長くご無沙汰ですから、正直あまり印象がないんですよね。是非、久々に甲子園に戻ってきて欲しいと期待を寄せています
日田林工は喜見投手が黙々と投げ、打線も打って、走って、2ランスクイズなどノビノビ野球を思う存分繰り広げている印象です。初の甲子園だった73年夏は広商に敗れたとはいえ2勝をマークする健闘ぶり。その自信と負けた反省を逆に採り入れる即応力で初センバツでは「ニュー林工」のカラーが色濃く出ていた感がありますね
僅差の接戦が多い時代の大会で、日田林工のように毎試合7~8得点を挙げるケースは珍しく目を引きます。九州のチームらしいおおらか、豪快さがウリだったのではないでしょうか。源五郎丸投手時代、甲子園有力とされていたのに。。見たかったです☆
豪快さ+緻密さ
(
こーじ
)
2009-01-02 23:23:13
>なにわのヒバゴン様
そういえば最近は筆記体のユニフォームのチームって あまり活躍してませんね。
長崎海星や、静岡などですけど。
新宮は、どちらかといえば相撲が有名ですよね。
当時の九州勢は柳川商、鹿児島実、津久見とヒットを打つ割に点が取れないチームが多かったのですが
日田林工はノーアウトで出塁すると盗塁し、バントで
1アウト3塁を作り1点を確実に取る豪快さ+緻密さを
併せ持ってました。
だから私も熱狂的に応援していたのですけどね。
源五郎丸時代は、彼のワンマンチームだったようですよ。
ちなみに99年以降に出場した日田林工は機動力がない、強打型のチームになってました。
久島海が新宮高校だったような‥。服部(藤ノ川は?)☆
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-03 02:21:57
こーじ さん
箕島は木村山、かつての栃乃和歌も出身ですね。石井らの全盛期、箕島の試合前のふるさと紹介ビデオで「相撲も名門の箕島高校」と流れていました。和歌山は相撲王国でもあるのですね
海星といえば三重海星との同校名対決が2度ありましたよね。仲良く1勝1敗、最近は両校ともにやや精彩を欠いているようなので、3度目対決を目指して頑張って欲しいですね
静岡高校、近年では99年夏の左腕高木のチームが印象深いですね。正田の桐生第一に敗れましたが、もし勝っていれば全国制覇も有り得ました。ライバル静岡商とともにまた甲子園を沸かせて欲しいですね。他に筆記体でイメージするのは中京大中京と三重高校、宇治山田商などでしょうか。中京はすっかり雰囲気が変わり、昭和の頃の威圧感、伝統が薄れたような。私たちの世代では愛知・中京高校ですよね
三重高校はやはり中京大中京の兄弟校なので仕方なく?筆記体に変わったのでしょうか。90年春(青木投手)、92年夏・西短森尾に完封負けした試合など記憶にあります。宇治山田商は野口みずきが有名ですが、佐賀北との延長再試合は感動的でしたね。今度は勝者として語り継がれる名勝負を~!と期待したいです
漢字ユニでは「上尾高校」ですよね。とても珍しい。最初見たときは いかにも弱そうに感じたのですが、上尾が伝説のチームなのはご承知の通りです。85年春に秀明が初出場して以来、埼玉も一気に私学全盛のイメージ。上尾の名前を聞かなくなって四半世紀とは早いですね。復活を願ってやみません。。
70年代の九州勢。。確かに大味な印象ですよね。73年夏に作新と対戦した柳川商はバントの構えで江川を揺さぶったらしいのですが、福田監督の野球ではないですよね。真弓や若菜の時代から攻撃野球を押し進めていたみたいですし‥。広商の優勝投手、佃(亡くなられましたが…)が言うには「関西や四国のチームは細かくて嫌な部分はあったが、関東以北や九州勢にはそれがなく投げやすかった」らしいですね。しかし時は流れ、近年の九州勢はソツがなく、勝ち上がる術をしっかり身に付けているチームが大半。センバツでも豪快且つ緻密な戦いを存分に繰り広げてくれることでしょう‥☆
九州人は
(
こーじ
)
2009-01-04 00:19:48
>なにわのヒバゴン様
九州人は基本的に1-0で勝つ試合より負けても9-10という試合を好むのです。
だからホークスが福岡に来て受け入れられるか?と思ってましたが、南海全盛時の緻密な野球ではなく豪快な点の取り合いをしていたので負けても観客は多かったのですよ。
そんな土地柄ですから、東筑などの一部のチームを除いて豪快な打ちかつスタイルのチームが多いです。
東海大相模でスクイズ無しで優勝した70年夏の優勝監督・原貢が福岡出身というのも あにはからんやですよね。
そういえば中京大中京は筆記体でしたね。
どうしてもイメージできないので忘れてました。
やはり、かつての襟付きユニフォームの方がしっくり来ますけどね。
上尾のような漢字ユニフォームは確かに珍しいですよね。
今なら漢字2文字で‘上尾’でしょうけど。
確かに九州人に野村ID野球(既に南海時代に推進していた)は合いまへん。藤原満、桜井輝秀、島野育夫らで73年南海最後の優勝~!
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-04 04:55:16
こーじ さん
小久保、松中、城島、井口、ズレータ、ミッチェル、カズ山本。。時代は前後しますが、福岡でのホークスは凄まじく打撃のチームへと変貌しましたからね。中日のようなチームカラーだと受け入れられないのは想像に難くありません。遠い昔だと中西、豊田、高倉らの西鉄野武士野球ですよね。さらに土井、大田、竹之内らのクラウンライター。地元出身の真弓、若菜もいましたが、藤井寺の近鉄戦で観ましたよ
そう。原貢さんが大牟田にいたことから、原辰徳も九州男児なんですよね。津末も熊本出身でしたっけ?あのスマートな東海大相模の都会派野球の中には九州の荒々しさも詰まっていた‥。土浦日大戦、豊見城戦で驚異の粘りを発揮しての勝利。鹿実戦、上尾戦、小山戦は敗れたとはいえ手に汗握る熱戦。一般的に関東勢は淡白で粘りに欠け、西日本勢は終盤での接戦には強いなどと言われたりしますが、相模のドラマチックな戦いぶりは明らかに後者のほうでしたね
95年夏の旭川実に打ち負けた鹿児島商なんかは九州チームの典型。今思い出してもゾクゾクする壮絶な戦いでしたよね。春の再戦となった00夏の智弁和歌山×柳川も香月が真っ向から勝負して討ち死にした感が強いです。そんな胸すく豪快な野球をまた期待したいですね
東筑、戸畑などは進学校でしょうからパワーよりチームプレーに重きを置いているのでしょうけど、東筑といえば桧山投手が85年春、天理と対戦して敗れましたが、前評判が高く天理打線も手こずった印象です。同じ大会で東海大五が奈良広陵を打ちまかしたのもありましたから、こーじさんのおっしゃる端的な2例がそのまま出た形ですね☆
原門下生は
(
こーじ
)
2009-01-05 00:11:53
>なにわのヒバゴン様
原貢門下生では穴見さんが77東海大相模監督から、
東海大五の監督として85年春に唯一の出場。
74年夏の1番打者・杉山さんは土浦日大戦で土壇場に同点タイムリーを打ってますが、現在は福工大城東の監督です。
かなりスケールの大きな野球をしてますよね。
00年の智弁和歌山ー柳川は00年夏のベストゲームですね。
香月が血豆を潰してなければ・・・・とは思いましたけど、やはり3ランさえ打たれなければOKという場面で
3ランが出る智弁打線の勝利でした。
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昭和30年夏、坂崎や山本八郎らがいた浪華商(春に優勝)を破ったのが新宮高校でした。戦後の高校野球でも屈指のチーム力を誇ったといわれる強打線を左腕、前岡が抑え込んだという伝説のチームゆえ和歌山でも名門校の一つに数えられますよね
前年秋に新宮が近畿大会のベスト4に進んでいたという戦績に時代を感じます。最後の甲子園となっている80年春、初戦で中西の高知商に完敗したきり長くご無沙汰ですから、正直あまり印象がないんですよね。是非、久々に甲子園に戻ってきて欲しいと期待を寄せています
日田林工は喜見投手が黙々と投げ、打線も打って、走って、2ランスクイズなどノビノビ野球を思う存分繰り広げている印象です。初の甲子園だった73年夏は広商に敗れたとはいえ2勝をマークする健闘ぶり。その自信と負けた反省を逆に採り入れる即応力で初センバツでは「ニュー林工」のカラーが色濃く出ていた感がありますね
僅差の接戦が多い時代の大会で、日田林工のように毎試合7~8得点を挙げるケースは珍しく目を引きます。九州のチームらしいおおらか、豪快さがウリだったのではないでしょうか。源五郎丸投手時代、甲子園有力とされていたのに。。見たかったです☆
そういえば最近は筆記体のユニフォームのチームって あまり活躍してませんね。
長崎海星や、静岡などですけど。
新宮は、どちらかといえば相撲が有名ですよね。
当時の九州勢は柳川商、鹿児島実、津久見とヒットを打つ割に点が取れないチームが多かったのですが
日田林工はノーアウトで出塁すると盗塁し、バントで
1アウト3塁を作り1点を確実に取る豪快さ+緻密さを
併せ持ってました。
だから私も熱狂的に応援していたのですけどね。
源五郎丸時代は、彼のワンマンチームだったようですよ。
ちなみに99年以降に出場した日田林工は機動力がない、強打型のチームになってました。
箕島は木村山、かつての栃乃和歌も出身ですね。石井らの全盛期、箕島の試合前のふるさと紹介ビデオで「相撲も名門の箕島高校」と流れていました。和歌山は相撲王国でもあるのですね
海星といえば三重海星との同校名対決が2度ありましたよね。仲良く1勝1敗、最近は両校ともにやや精彩を欠いているようなので、3度目対決を目指して頑張って欲しいですね
静岡高校、近年では99年夏の左腕高木のチームが印象深いですね。正田の桐生第一に敗れましたが、もし勝っていれば全国制覇も有り得ました。ライバル静岡商とともにまた甲子園を沸かせて欲しいですね。他に筆記体でイメージするのは中京大中京と三重高校、宇治山田商などでしょうか。中京はすっかり雰囲気が変わり、昭和の頃の威圧感、伝統が薄れたような。私たちの世代では愛知・中京高校ですよね
三重高校はやはり中京大中京の兄弟校なので仕方なく?筆記体に変わったのでしょうか。90年春(青木投手)、92年夏・西短森尾に完封負けした試合など記憶にあります。宇治山田商は野口みずきが有名ですが、佐賀北との延長再試合は感動的でしたね。今度は勝者として語り継がれる名勝負を~!と期待したいです
漢字ユニでは「上尾高校」ですよね。とても珍しい。最初見たときは いかにも弱そうに感じたのですが、上尾が伝説のチームなのはご承知の通りです。85年春に秀明が初出場して以来、埼玉も一気に私学全盛のイメージ。上尾の名前を聞かなくなって四半世紀とは早いですね。復活を願ってやみません。。
70年代の九州勢。。確かに大味な印象ですよね。73年夏に作新と対戦した柳川商はバントの構えで江川を揺さぶったらしいのですが、福田監督の野球ではないですよね。真弓や若菜の時代から攻撃野球を押し進めていたみたいですし‥。広商の優勝投手、佃(亡くなられましたが…)が言うには「関西や四国のチームは細かくて嫌な部分はあったが、関東以北や九州勢にはそれがなく投げやすかった」らしいですね。しかし時は流れ、近年の九州勢はソツがなく、勝ち上がる術をしっかり身に付けているチームが大半。センバツでも豪快且つ緻密な戦いを存分に繰り広げてくれることでしょう‥☆
九州人は基本的に1-0で勝つ試合より負けても9-10という試合を好むのです。
だからホークスが福岡に来て受け入れられるか?と思ってましたが、南海全盛時の緻密な野球ではなく豪快な点の取り合いをしていたので負けても観客は多かったのですよ。
そんな土地柄ですから、東筑などの一部のチームを除いて豪快な打ちかつスタイルのチームが多いです。
東海大相模でスクイズ無しで優勝した70年夏の優勝監督・原貢が福岡出身というのも あにはからんやですよね。
そういえば中京大中京は筆記体でしたね。
どうしてもイメージできないので忘れてました。
やはり、かつての襟付きユニフォームの方がしっくり来ますけどね。
上尾のような漢字ユニフォームは確かに珍しいですよね。
今なら漢字2文字で‘上尾’でしょうけど。
小久保、松中、城島、井口、ズレータ、ミッチェル、カズ山本。。時代は前後しますが、福岡でのホークスは凄まじく打撃のチームへと変貌しましたからね。中日のようなチームカラーだと受け入れられないのは想像に難くありません。遠い昔だと中西、豊田、高倉らの西鉄野武士野球ですよね。さらに土井、大田、竹之内らのクラウンライター。地元出身の真弓、若菜もいましたが、藤井寺の近鉄戦で観ましたよ
そう。原貢さんが大牟田にいたことから、原辰徳も九州男児なんですよね。津末も熊本出身でしたっけ?あのスマートな東海大相模の都会派野球の中には九州の荒々しさも詰まっていた‥。土浦日大戦、豊見城戦で驚異の粘りを発揮しての勝利。鹿実戦、上尾戦、小山戦は敗れたとはいえ手に汗握る熱戦。一般的に関東勢は淡白で粘りに欠け、西日本勢は終盤での接戦には強いなどと言われたりしますが、相模のドラマチックな戦いぶりは明らかに後者のほうでしたね
95年夏の旭川実に打ち負けた鹿児島商なんかは九州チームの典型。今思い出してもゾクゾクする壮絶な戦いでしたよね。春の再戦となった00夏の智弁和歌山×柳川も香月が真っ向から勝負して討ち死にした感が強いです。そんな胸すく豪快な野球をまた期待したいですね
東筑、戸畑などは進学校でしょうからパワーよりチームプレーに重きを置いているのでしょうけど、東筑といえば桧山投手が85年春、天理と対戦して敗れましたが、前評判が高く天理打線も手こずった印象です。同じ大会で東海大五が奈良広陵を打ちまかしたのもありましたから、こーじさんのおっしゃる端的な2例がそのまま出た形ですね☆
原貢門下生では穴見さんが77東海大相模監督から、
東海大五の監督として85年春に唯一の出場。
74年夏の1番打者・杉山さんは土浦日大戦で土壇場に同点タイムリーを打ってますが、現在は福工大城東の監督です。
かなりスケールの大きな野球をしてますよね。
00年の智弁和歌山ー柳川は00年夏のベストゲームですね。
香月が血豆を潰してなければ・・・・とは思いましたけど、やはり3ランさえ打たれなければOKという場面で
3ランが出る智弁打線の勝利でした。