コメント
山口哲治、甲子園初勝利~
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-05 03:04:19
こーじ さん
奈良智弁の頃は知らないのですが、現在の高嶋監督はとにかく先攻が好きだそうですね。主将がジャンケンで勝てば必ず先攻を取るように指示してますし、負けて後攻だととても機嫌が悪いのだとか。。一般的に相手より戦力が劣っていれば先攻、勝っていれば後攻を取ると考えがちですが、高嶋監督には全く当てはまりませんね
岡崎工戦も若き日の高嶋さんがそう授けていたのならガッテンですね。初回の攻撃の強攻も絵がイメージできるようで‥。今でこそ場面によっては手堅く送りバントも用いるようにも思うのですが、こーじさんの印象として当時の高嶋監督の特徴は何かご記憶ございますか?
山口は2年時はこの勝利のみで、翌春と夏で5勝を上積みすることになるのですが、今更ながら山口と鈴木康友は奈良・五条中学の同級生だというのを私は知りました。彼らが高校でもチームメートだったら全国制覇していたかも知れませんよね
77年春は天理が作新、桜美林。智弁が土浦日大、銚子商、早実と関東勢すべてを撃沈。夏に今治西・三谷に完敗した智弁を見て、次に対戦の早実が大変恐れたそうです。確かに春は智弁が早実に完勝でしたからね。完璧に押さえ込まれた山口が今治西打線に二桁安打を食らったのを横目で見て、早実は既に戦意喪失だったのかも知れません
岡崎工はまったく聞かないですね。初戦で対戦した宇部工ともども復活を陰ながら祈りたいものです。愛知と山口で真っ先に思い浮かぶのは、66年春と88年春の中京大中京×宇部商ですね。片や4時間35分の選抜最長時間試合、片や完全試合を粉砕した宇部商のミラクル。98年夏、宇部商は豊田大谷とのサヨナラボークもありましたし、愛知勢とは名勝負が多いですね☆
そういえば
(
こーじ
)
2009-01-05 23:47:51
>なにわのヒバゴン様
そういえば宇部商と愛知勢は名勝負多いですよね。
77年は関東が春夏通して夏に早実がベスト8に入った以外は不振でした。
実は早実ー今治西は第3試合だったのですが、当時
2試合目と3試合目の合間に球場内を案内する企画がありましてベスト8の日はスコアボードの中でした。
そして偶然5回表の部分に0を入れていたのですが、
実際に5回表に早実は1アウト3塁の勝ち越しチャンスを迎えスクイズを敢行したものの三谷の絶妙のバックホームで勝ち越せなかったのです。
その裏に今治はノーアウト満塁からスクイズを敢行しますが、フライになったものの投手の谷田部のダッシュが早すぎて頭を越すラッキー内野安打で勝ち越しとなり終わってみれば大差が付いたのでした。
高嶋・智弁は3度甲子園で試合をしてますが、後攻は
77年春のベスト8での早実戦のみですね。
他には、高嶋監督のイメージはあまりないのですよ。厳しそうだな~とは思いましたけど。
大輔時代より前評判は高かったような77~78年の早実
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-06 02:14:17
こーじ さん
そういった企画があったのですね。当時私は民放を見ることが多かったので、NHKの中継スタイルは覚えていないのですが、今よりも通好みのような放送でナイスな視点だと思いますよ
今治西戦では谷田部、弓田の二枚看板が無惨にも打ち込まれ早実は大敗しましたが、スコアほど実力差はないように思います。もし早実のスクイズが決まっていれば試合展開は違っていたでしょうし、今治のスクイズが小フライにより失敗だったら‥。勝負事にたら・ればは付きものですが、先制して波に乗った今治西、一気に堤防が決壊した早実との印象が強いです
奈良智弁学園は高嶋監督が和歌山へ移ってしばらく甲子園で勝てませんでしたよね。85~6年は山口二世といわれた辻本投手がいたのに夏春と初戦負け。春に函館有斗に敗れたのをラジオで聞いていましたが、初戦6連敗と知り大変寂しい思いでした。高嶋監督が和歌山で初戦5連敗でしたし、共に苦労した時期があるんですね。93年夏に高嶋さんは16年ぶりの勝利。以後は咳を切ったように一気に勝ちまくり現在に至りますよね
76年のエース、阪本投手は卒業後どこでプレーされたのでしょうか?高嶋監督に記念すべき初勝利をもたらした私にとって伝説のヒーローです‥☆
明暗が分かれましたね
(
こーじ
)
2009-01-06 23:46:28
>なにわのヒバゴン様
もともと山口の方が才能があると思われていたようですが、阪本の進路って分かってないですよ。
まったく明暗が分かれてますね。
高嶋監督が率いた智弁和歌山は93年まで勝てなかったですよね。
あの年に城北が対戦したので‘勝てる’と思いきや全然強かったのを覚えてます。
今治西ー早実は確かに5回表のスクイズで早実が勝ち越し、その裏の今治のスクイズがPフライゲッツーだったら流れが変わっていたでしょうね。
やはり珍しいPLの初戦敗退。。。
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-07 03:24:56
こーじ さん
甲子園通算94勝28敗のPLですから、初戦敗退を喫すると、私などは事件のような感覚に陥ったものでした。柳投手は名前は聞いたことがありますが、リアルで見ていないもので‥。金森は個性派でお馴染ですね。後輩の橋本にぶつけられ(スッポ抜け)て怖い形相で凄んでましたけど‥。71年夏の郡山戦と、エース月城・ショート霜村の86年春・浜松商戦が共に初戦敗退。。。それぞれ珍事の感がありますね
報徳の福島監督が回想するに「ウチはあの時代はディフェンスがしっかりしていたから秋は勝ち上がれた。しかし夏はどっしりと腰を据えてくる東洋大姫路に歯が立たんかったな‥」とのことですね。74、75年の春はともに上位進出したとはいえ、あまりパワフルという印象はないですからね。ただ銚子商を得意にしていた報徳ですから、74年夏にも対戦していたら勝っていた可能性は十分。松本以前の東洋大姫路はまだ兵庫ローカルのレベルでしょうし、既に実績のあった報徳の方が威厳を感じさせるチームだったことは間違いないでしょうね。ちなみに報徳×平安も報徳が2戦2勝。古豪相手に貫禄を感じます
智弁和歌山はブレイクまではやや非力の印象ですね。投手を中心に守りきる失点の少ないチームでしたが、相手からすると威圧感がなく安パイと見られる向きはあったかも‥。東北を降したあとの城北戦。初陣相手ですし、高嶋監督にすると意地でも負けられへん~!といつも以上に気合が入っていたかも知れないですね。ようやく殻を破った高嶋さん、翌春からの常勝智弁和歌山は触れるまでもないでしょう
去年春も城北は21世紀枠・安房と投手戦を演じましたが初戦敗退。95年夏の桐生第一には勝利しましたね。山鹿市をさらにアピールすべく、また甲子園で城北ナインがハツラツプレーを繰り広げて欲しいものです‥☆
訂正です
(
なにわのヒバゴン
)
2009-01-07 05:01:15
こーじ さん
報徳と平安は報徳の3戦3勝でした。66年夏、74年春、97年春と世代を越えても平安は勝てないんですね
PLの初戦敗退は66年春、71年春、74年夏、86年春、95年春、04年夏の6度です。そのうち私は71年と86年がやや波乱かな‥という印象を受けますね。出場35回で初戦負け6回とは尋常じゃないです
明徳義塾や今治西も初戦の突破率が驚異的。夏将軍・松山商、春は昭和37年(戦後の勝利はその大会の3勝のみ)以来、白星なし。。。高校野球は知れば知るほど奥が深いですね☆
当時の報徳は
(
こーじ
)
2009-01-07 23:36:29
>なにわのヒバゴン様
つまり当時の報徳は春型のチームだった事は事実ですね。
夏は、あまり聞きませんでしたからね。
もっとも最初に名前を売った倉敷工相手の奇跡の大逆転は61年夏なのですけど。
PLは最近は今ひとつですが、プロには相変わらずいい選手を供給してますね。
これこそがPLの他にはマネできない部分でしょうけどね。
城北は初代監督の(元・京都商)勝山さんが倒れてからツキに見放されている感が強いですよ。
93年・智弁和歌山、95年・大府、PL学園、97年・春日部共栄と前評判の高いチームに負けてますからクジ運も悪いのでしょうが、昨年の安房には勝たないといけなかったですね。
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奈良智弁の頃は知らないのですが、現在の高嶋監督はとにかく先攻が好きだそうですね。主将がジャンケンで勝てば必ず先攻を取るように指示してますし、負けて後攻だととても機嫌が悪いのだとか。。一般的に相手より戦力が劣っていれば先攻、勝っていれば後攻を取ると考えがちですが、高嶋監督には全く当てはまりませんね
岡崎工戦も若き日の高嶋さんがそう授けていたのならガッテンですね。初回の攻撃の強攻も絵がイメージできるようで‥。今でこそ場面によっては手堅く送りバントも用いるようにも思うのですが、こーじさんの印象として当時の高嶋監督の特徴は何かご記憶ございますか?
山口は2年時はこの勝利のみで、翌春と夏で5勝を上積みすることになるのですが、今更ながら山口と鈴木康友は奈良・五条中学の同級生だというのを私は知りました。彼らが高校でもチームメートだったら全国制覇していたかも知れませんよね
77年春は天理が作新、桜美林。智弁が土浦日大、銚子商、早実と関東勢すべてを撃沈。夏に今治西・三谷に完敗した智弁を見て、次に対戦の早実が大変恐れたそうです。確かに春は智弁が早実に完勝でしたからね。完璧に押さえ込まれた山口が今治西打線に二桁安打を食らったのを横目で見て、早実は既に戦意喪失だったのかも知れません
岡崎工はまったく聞かないですね。初戦で対戦した宇部工ともども復活を陰ながら祈りたいものです。愛知と山口で真っ先に思い浮かぶのは、66年春と88年春の中京大中京×宇部商ですね。片や4時間35分の選抜最長時間試合、片や完全試合を粉砕した宇部商のミラクル。98年夏、宇部商は豊田大谷とのサヨナラボークもありましたし、愛知勢とは名勝負が多いですね☆
そういえば宇部商と愛知勢は名勝負多いですよね。
77年は関東が春夏通して夏に早実がベスト8に入った以外は不振でした。
実は早実ー今治西は第3試合だったのですが、当時
2試合目と3試合目の合間に球場内を案内する企画がありましてベスト8の日はスコアボードの中でした。
そして偶然5回表の部分に0を入れていたのですが、
実際に5回表に早実は1アウト3塁の勝ち越しチャンスを迎えスクイズを敢行したものの三谷の絶妙のバックホームで勝ち越せなかったのです。
その裏に今治はノーアウト満塁からスクイズを敢行しますが、フライになったものの投手の谷田部のダッシュが早すぎて頭を越すラッキー内野安打で勝ち越しとなり終わってみれば大差が付いたのでした。
高嶋・智弁は3度甲子園で試合をしてますが、後攻は
77年春のベスト8での早実戦のみですね。
他には、高嶋監督のイメージはあまりないのですよ。厳しそうだな~とは思いましたけど。
そういった企画があったのですね。当時私は民放を見ることが多かったので、NHKの中継スタイルは覚えていないのですが、今よりも通好みのような放送でナイスな視点だと思いますよ
今治西戦では谷田部、弓田の二枚看板が無惨にも打ち込まれ早実は大敗しましたが、スコアほど実力差はないように思います。もし早実のスクイズが決まっていれば試合展開は違っていたでしょうし、今治のスクイズが小フライにより失敗だったら‥。勝負事にたら・ればは付きものですが、先制して波に乗った今治西、一気に堤防が決壊した早実との印象が強いです
奈良智弁学園は高嶋監督が和歌山へ移ってしばらく甲子園で勝てませんでしたよね。85~6年は山口二世といわれた辻本投手がいたのに夏春と初戦負け。春に函館有斗に敗れたのをラジオで聞いていましたが、初戦6連敗と知り大変寂しい思いでした。高嶋監督が和歌山で初戦5連敗でしたし、共に苦労した時期があるんですね。93年夏に高嶋さんは16年ぶりの勝利。以後は咳を切ったように一気に勝ちまくり現在に至りますよね
76年のエース、阪本投手は卒業後どこでプレーされたのでしょうか?高嶋監督に記念すべき初勝利をもたらした私にとって伝説のヒーローです‥☆
もともと山口の方が才能があると思われていたようですが、阪本の進路って分かってないですよ。
まったく明暗が分かれてますね。
高嶋監督が率いた智弁和歌山は93年まで勝てなかったですよね。
あの年に城北が対戦したので‘勝てる’と思いきや全然強かったのを覚えてます。
今治西ー早実は確かに5回表のスクイズで早実が勝ち越し、その裏の今治のスクイズがPフライゲッツーだったら流れが変わっていたでしょうね。
甲子園通算94勝28敗のPLですから、初戦敗退を喫すると、私などは事件のような感覚に陥ったものでした。柳投手は名前は聞いたことがありますが、リアルで見ていないもので‥。金森は個性派でお馴染ですね。後輩の橋本にぶつけられ(スッポ抜け)て怖い形相で凄んでましたけど‥。71年夏の郡山戦と、エース月城・ショート霜村の86年春・浜松商戦が共に初戦敗退。。。それぞれ珍事の感がありますね
報徳の福島監督が回想するに「ウチはあの時代はディフェンスがしっかりしていたから秋は勝ち上がれた。しかし夏はどっしりと腰を据えてくる東洋大姫路に歯が立たんかったな‥」とのことですね。74、75年の春はともに上位進出したとはいえ、あまりパワフルという印象はないですからね。ただ銚子商を得意にしていた報徳ですから、74年夏にも対戦していたら勝っていた可能性は十分。松本以前の東洋大姫路はまだ兵庫ローカルのレベルでしょうし、既に実績のあった報徳の方が威厳を感じさせるチームだったことは間違いないでしょうね。ちなみに報徳×平安も報徳が2戦2勝。古豪相手に貫禄を感じます
智弁和歌山はブレイクまではやや非力の印象ですね。投手を中心に守りきる失点の少ないチームでしたが、相手からすると威圧感がなく安パイと見られる向きはあったかも‥。東北を降したあとの城北戦。初陣相手ですし、高嶋監督にすると意地でも負けられへん~!といつも以上に気合が入っていたかも知れないですね。ようやく殻を破った高嶋さん、翌春からの常勝智弁和歌山は触れるまでもないでしょう
去年春も城北は21世紀枠・安房と投手戦を演じましたが初戦敗退。95年夏の桐生第一には勝利しましたね。山鹿市をさらにアピールすべく、また甲子園で城北ナインがハツラツプレーを繰り広げて欲しいものです‥☆
報徳と平安は報徳の3戦3勝でした。66年夏、74年春、97年春と世代を越えても平安は勝てないんですね
PLの初戦敗退は66年春、71年春、74年夏、86年春、95年春、04年夏の6度です。そのうち私は71年と86年がやや波乱かな‥という印象を受けますね。出場35回で初戦負け6回とは尋常じゃないです
明徳義塾や今治西も初戦の突破率が驚異的。夏将軍・松山商、春は昭和37年(戦後の勝利はその大会の3勝のみ)以来、白星なし。。。高校野球は知れば知るほど奥が深いですね☆
つまり当時の報徳は春型のチームだった事は事実ですね。
夏は、あまり聞きませんでしたからね。
もっとも最初に名前を売った倉敷工相手の奇跡の大逆転は61年夏なのですけど。
PLは最近は今ひとつですが、プロには相変わらずいい選手を供給してますね。
これこそがPLの他にはマネできない部分でしょうけどね。
城北は初代監督の(元・京都商)勝山さんが倒れてからツキに見放されている感が強いですよ。
93年・智弁和歌山、95年・大府、PL学園、97年・春日部共栄と前評判の高いチームに負けてますからクジ運も悪いのでしょうが、昨年の安房には勝たないといけなかったですね。