コメント
ご冥福を
(
こうちゃん
)
2011-04-23 00:39:48
早すぎですね。昭和の時代がまた一つ、終わりを告げましたね。でも、長い苦しみから解き放たれたのは、せめてもの救いと思いたいです。
ひたすら悲しい
(
吉法師
)
2011-04-23 21:37:25
同じくアイドル出身の薬師丸ひろ子にも言えますが、スーちゃんも年を経るごとに「日本のお母さん」役が似合う、良い女優さんになったなあ、と思っていました。まだこれからだったのに、さぞ無念だったろうでしょうね。キャンディーズ時代からリアルタイムで見ていただけに、ショックですねえ。義理の妹にあたる夏目雅子さんも白血病で亡くなっていますが、スーちゃんも癌だったとは… ご冥福をお祈りします。
書き込み御礼&レス
(
こーじ
)
2011-04-23 23:41:30
>こうちゃん様
まさしく昭和のアイドルでしたからね。
20年も闘病していたのに おくびにも出さなかったというのはプロ意識の塊でしょうね。
>吉法師様
‘妻にするならスー、恋人ならラン、秘書ならミキ’という喩えがあったようですが、見事なタイプ分けだと思ってました。
ホントに母親役が板についてましたよね。
キャンディーズのというより女優・田中好子というのがピッタリだっただし、これからは老け役もできるのかとも思っていただけにホント残念です。
本当に悲しいです。。。
(
なにわのヒバゴン
)
2011-05-08 02:33:25
キャンディーズの活動期間は73~77年(翌春解散)。私はまだ幼稚園~小学生でした。家にテレビが一台の時代でしたので、8時だよ全員集合は見たり見なかったり。伊東四朗らの「みごろ食べ頃笑い頃」はしっかりと記憶にあります。ですからピンクレディーは思い入れがあってCD(ベスト)を持っているのですが、キャンディーズはTSUTAYAでレンタルしたのみです
解散コンサートの78年4月4日は第50回センバツの準決勝の日でした。桐生と箕島が勝つと思われたのに両校ともに不覚を喫しましたよね。「春一番」がヒットした76年は崇徳が、「やさしい悪魔」がヒットした77年春は箕島が優勝。ですからキャンディーズといえば古き良き時代のセンバツを連想してしまうのです
ラン、スー、ミキともに見事に個性が色分けされてましたね。面食いなのか私はラン派だった気がします。ピンクレディーのミーとケイもそうですし、王と長嶋、馬場と猪木(全日本と新日本)、セ・リーグとパ・リーグ。。。それぞれのファンでその人の性格や嗜好が判るような気がしましたよね。キャンディーズの復活、私も密かに期待していただけに残念~!ご冥福を祈ります。
選抜が来れば思い出す
(
こーじ
)
2011-05-08 23:22:22
>なにわのヒバゴン様
そうなのですよね、選抜準決勝の日が解散コンサートの日でした。
余談ながら この年の夏に東筑のエースだった石田は
キャンディーズの大ファンで、夏の決勝戦が行われた日に地元の劇場で上映された解散コンサートの前売り券を買っていたという話を思い出しました。
決勝まで行ったらどうしていたのでしょうかね。
まず無理だとは思ってましたけど。
東筑高校、96年の女子マネ(記録員)が懐かしいですね。ポニーテールが印象的。。。
(
なにわのヒバゴン
)
2011-05-09 00:59:32
そうでしたか。私より7才上の世代ならキャンディーズは完全なストライクゾーンでしょうから、出場選手の何割かはファンだったと伺えます。5万人?の涙と絶叫が解散コンサートをより伝説のものにしましたからね。逆転のPL初優勝~!甲子園の伝説の決勝(高校野球最高の視聴率)の日にそんな上映も行われたいたと初めて知りました。
力強い野球の福岡県代表も時々東筑のような毛色の違った高校も出場しましたよね。古くは仰木さんや高倉健さん(もですね)なども輩出した文武両道の伝統校。96年以来の出場へ「打倒私学」の心意気で頑張ってもらいたいと願っています。
最近は
(
こーじ
)
2011-05-09 23:40:02
>なにわのヒバゴン様
最近の東筑は才能のある選手が集まってないようですよ。
最大の理由は98年春に今治西から大敗したときに
格上の今治西ですら東筑のビデオを3試合分以上取り寄せて徹底的に分析したのに、件の監督は‘ウチは進学校だから 練習時間以外は勉強する。そこまでして勝つ必要はない’という趣旨のコメントをしてから甲子園から遠ざかってます。
しょうもない失言が取り返しの付かない事になってますよね。
文武両道校ならではのプライドでしょうね
(
なにわのヒバゴン
)
2011-05-10 02:10:12
以前にもそのネタを電話でお聞きしましたが、せめて表向きは「相手に胸を借りる。。。」とかクレバーなイメージそのままであって欲しかったですね。東筑は奈良の郡山や済済黌、岩国などと同様「知力の野球」で強豪私学に一泡も二泡も吹かせた貴重な存在でしたから。。。
今治西は藤本修二の81年から22年間夏は遠ざかっていましたが、近年また愛媛をリードする存在になってますね。古くは戦前の今治中学時代から甲子園に出ている名門なのにベスト4で敗れること5度というのは強いのか、あるいは勝負強さに欠けるのか。。。松山商、新居浜商、西条、新田、宇和島東、済美。遅ればせながらそれらのチーム同様に決勝へと進む日を「今度こそ」期待したいものですね。
進学校といっても
(
こーじ
)
2011-05-10 23:44:13
>なにわのヒバゴン様
進学校といっても今治西のように活躍しているチームがあるのに・・・と思ってましたが、やはり東筑の監督の一言で一気に有望な部員を減らしましたからね。
ちなみに東筑は甲子園の勝利は78年の2勝と96年の1勝の計3勝ですからプライドも何も・・・と思うのですが。
今治西のベスト4が5回というのは大健闘だと思いますよ。
特に三谷の時の77年は最大のチャンスでしたけどね。
選手は絶対に勝ちたいと思ってますよね。
(
なにわのヒバゴン
)
2011-05-11 00:29:47
どんな進学校であれ選手たちは厳しい練習を経て、目標の甲子園へとたどり着いたのですから「そこまでして勝ちたいと思わない」はずがないのです。投手は自慢の投球を全国のファンにアピールしたいでしょうし、打者は誰だって甲子園のスタンドに一発ぶち込みたい~!という夢を持っているのは間違いありません。センターポールの校旗を仰ぎ見ながら校歌を轟かせたい。。。これが本来の姿でしょう。その代の東筑の選手が本当に気の毒でならないですね
三谷の今治西はまさに惜敗でしたが、大鉄がバンビ東邦に勝って今治西×大鉄の決勝になっていても興味深いですよね。大鉄はある程度打ててもスキのない今治西のほうが有利かも知れませんが。
愛媛は松山商が丸10年遠ざかってるとはいえ、新居浜商の32年に比べりゃまだまだ記憶に新しいところ。子どもの頃にみた緑のアンダーシャツに「NIISHO」のユニフォームは竹場選手のヒゲと共に忘れられないですね。夏がムリならせめて選抜の21世紀枠狙いで。。。習志野や上尾との対戦をもう一度見たいものですよね。
77年は
(
こーじ
)
2011-05-12 00:19:32
>なにわのヒバゴン様
77年のベスト4は大鉄に東邦、今治西に東洋大姫路と
実力は紙一重でしたね。
再逆転した東邦の連打は見事でした。
新居浜商は竹場のイメージ強いですよね。
ちなみに当時は無精ひげの選手けっこういました。
最近はあまり見ませんが・・・・
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まさしく昭和のアイドルでしたからね。
20年も闘病していたのに おくびにも出さなかったというのはプロ意識の塊でしょうね。
>吉法師様
‘妻にするならスー、恋人ならラン、秘書ならミキ’という喩えがあったようですが、見事なタイプ分けだと思ってました。
ホントに母親役が板についてましたよね。
キャンディーズのというより女優・田中好子というのがピッタリだっただし、これからは老け役もできるのかとも思っていただけにホント残念です。
解散コンサートの78年4月4日は第50回センバツの準決勝の日でした。桐生と箕島が勝つと思われたのに両校ともに不覚を喫しましたよね。「春一番」がヒットした76年は崇徳が、「やさしい悪魔」がヒットした77年春は箕島が優勝。ですからキャンディーズといえば古き良き時代のセンバツを連想してしまうのです
ラン、スー、ミキともに見事に個性が色分けされてましたね。面食いなのか私はラン派だった気がします。ピンクレディーのミーとケイもそうですし、王と長嶋、馬場と猪木(全日本と新日本)、セ・リーグとパ・リーグ。。。それぞれのファンでその人の性格や嗜好が判るような気がしましたよね。キャンディーズの復活、私も密かに期待していただけに残念~!ご冥福を祈ります。
そうなのですよね、選抜準決勝の日が解散コンサートの日でした。
余談ながら この年の夏に東筑のエースだった石田は
キャンディーズの大ファンで、夏の決勝戦が行われた日に地元の劇場で上映された解散コンサートの前売り券を買っていたという話を思い出しました。
決勝まで行ったらどうしていたのでしょうかね。
まず無理だとは思ってましたけど。
力強い野球の福岡県代表も時々東筑のような毛色の違った高校も出場しましたよね。古くは仰木さんや高倉健さん(もですね)なども輩出した文武両道の伝統校。96年以来の出場へ「打倒私学」の心意気で頑張ってもらいたいと願っています。
最近の東筑は才能のある選手が集まってないようですよ。
最大の理由は98年春に今治西から大敗したときに
格上の今治西ですら東筑のビデオを3試合分以上取り寄せて徹底的に分析したのに、件の監督は‘ウチは進学校だから 練習時間以外は勉強する。そこまでして勝つ必要はない’という趣旨のコメントをしてから甲子園から遠ざかってます。
しょうもない失言が取り返しの付かない事になってますよね。
今治西は藤本修二の81年から22年間夏は遠ざかっていましたが、近年また愛媛をリードする存在になってますね。古くは戦前の今治中学時代から甲子園に出ている名門なのにベスト4で敗れること5度というのは強いのか、あるいは勝負強さに欠けるのか。。。松山商、新居浜商、西条、新田、宇和島東、済美。遅ればせながらそれらのチーム同様に決勝へと進む日を「今度こそ」期待したいものですね。
進学校といっても今治西のように活躍しているチームがあるのに・・・と思ってましたが、やはり東筑の監督の一言で一気に有望な部員を減らしましたからね。
ちなみに東筑は甲子園の勝利は78年の2勝と96年の1勝の計3勝ですからプライドも何も・・・と思うのですが。
今治西のベスト4が5回というのは大健闘だと思いますよ。
特に三谷の時の77年は最大のチャンスでしたけどね。
三谷の今治西はまさに惜敗でしたが、大鉄がバンビ東邦に勝って今治西×大鉄の決勝になっていても興味深いですよね。大鉄はある程度打ててもスキのない今治西のほうが有利かも知れませんが。
愛媛は松山商が丸10年遠ざかってるとはいえ、新居浜商の32年に比べりゃまだまだ記憶に新しいところ。子どもの頃にみた緑のアンダーシャツに「NIISHO」のユニフォームは竹場選手のヒゲと共に忘れられないですね。夏がムリならせめて選抜の21世紀枠狙いで。。。習志野や上尾との対戦をもう一度見たいものですよね。
77年のベスト4は大鉄に東邦、今治西に東洋大姫路と
実力は紙一重でしたね。
再逆転した東邦の連打は見事でした。
新居浜商は竹場のイメージ強いですよね。
ちなみに当時は無精ひげの選手けっこういました。
最近はあまり見ませんが・・・・