コメント
Unknown
(
ochimochio
)
2020-07-29 23:46:02
いつも興味深く拝見しております。
この試合は、東京から水戸まで出かけて観戦しました。
国際ジムで高橋会長から直接チケットを購入したその横で黙々とサンドバッグを叩いていた玉熊選手と、試合当日の冷房設備のない体育館の四隅に気休めの氷柱が置かれていたことが、鮮明に記憶に残っています。
あと、私は浜田1RKO試合の入場シーンから芦沢俊美アナのファンでもあり、この試合の後実況席まで行って握手してもらいました。
訪問ありがとうございます
(
こーじ
)
2020-07-30 22:57:53
>ochimochio様
水戸まで行かれたのですか?意外に東京からでは遠いですよね。
でも行ったかいがありましたね、羨ましいです。
今見ても田舎の体育館といった風情で越本隆がタイトルを奪取した福岡市の九電記念体育館もこんな雰囲気でした。
また私の地元・田川市であったWBAフェザー級タイトルマッチも空調設備がなく、8月13日だった事からラウンド終了インターバルに平仲をロープの間に上半身を出させて下にたらいを置いて冷水を背中化からかけるシーンがありました。
芦沢俊美アナのコメントとして直前の場所で初優勝した旭富士の話をしたので‘?’でしたら、同じ青森出身という事を意識していたようですね。
芦沢アナは昭和末期から平成初めの民放名物ボクシングアナですから「浜田のパンチが世界を制しました」などの名セリフ印象深いですね。
Unknown
(
ochimochio
)
2020-07-31 19:42:52
そうですね。
地方会場ならではの情緒がありますね。最近は主要都市の大会場でしかやらなくなりましたが。
確か当時、旭富士、柔道の斉藤とともに、青森出身の寡黙なスポーツ選手が脚光を浴びていたように記憶しています。
あと、芦沢さんの名調子ですが、試合終了10秒前になると、「もうKOはありません!」とか言っちゃうところも含めて好きでした。
地方開催は
(
こーじ
)
2020-07-31 23:36:44
>ochimochio様
昭和の時代に具志堅は山梨学院でタイトルを奪取すると札幌や別府に名古屋・広島・川崎・北九州・大阪・高知・金沢に沖縄と日本武道館や蔵前国技館での4度の防衛戦を挟んで行ってましたね。
10年前に内山高志の防衛戦をさいたまスーパーアリーナで観戦した時に、一緒に感染した友人が「最近は東京では某一家の試合以外はスジ者の人達を見かけなくなったけど、地方ではこういった人達抜きでは興行難しそうですね’と言っていたのが印象的でした。
ああいった人達を勧進元とか地方有力者などと言ってましたし90年代はリングサイドの向こう正面で林家こん平師匠そっくりな人が、日本人選手がチャンスになると立ち上がって丸めたパンフレットを振り回して声援を送ってるのを度々目にしましたし玉熊が勝った時はリングに上がって手を上げさせてましたね。
芦沢氏の最後の世界戦実況は辰吉ーリチャードソン戦あたりでしょうか?
確かにあの頃は最終ラウンドはゴングに救われてましたから、残り10秒を切るとKOはなかったけどレフェリーストップがあるのは・・・と突っ込む人がいました。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
この試合は、東京から水戸まで出かけて観戦しました。
国際ジムで高橋会長から直接チケットを購入したその横で黙々とサンドバッグを叩いていた玉熊選手と、試合当日の冷房設備のない体育館の四隅に気休めの氷柱が置かれていたことが、鮮明に記憶に残っています。
あと、私は浜田1RKO試合の入場シーンから芦沢俊美アナのファンでもあり、この試合の後実況席まで行って握手してもらいました。
水戸まで行かれたのですか?意外に東京からでは遠いですよね。
でも行ったかいがありましたね、羨ましいです。
今見ても田舎の体育館といった風情で越本隆がタイトルを奪取した福岡市の九電記念体育館もこんな雰囲気でした。
また私の地元・田川市であったWBAフェザー級タイトルマッチも空調設備がなく、8月13日だった事からラウンド終了インターバルに平仲をロープの間に上半身を出させて下にたらいを置いて冷水を背中化からかけるシーンがありました。
芦沢俊美アナのコメントとして直前の場所で初優勝した旭富士の話をしたので‘?’でしたら、同じ青森出身という事を意識していたようですね。
芦沢アナは昭和末期から平成初めの民放名物ボクシングアナですから「浜田のパンチが世界を制しました」などの名セリフ印象深いですね。
地方会場ならではの情緒がありますね。最近は主要都市の大会場でしかやらなくなりましたが。
確か当時、旭富士、柔道の斉藤とともに、青森出身の寡黙なスポーツ選手が脚光を浴びていたように記憶しています。
あと、芦沢さんの名調子ですが、試合終了10秒前になると、「もうKOはありません!」とか言っちゃうところも含めて好きでした。
昭和の時代に具志堅は山梨学院でタイトルを奪取すると札幌や別府に名古屋・広島・川崎・北九州・大阪・高知・金沢に沖縄と日本武道館や蔵前国技館での4度の防衛戦を挟んで行ってましたね。
10年前に内山高志の防衛戦をさいたまスーパーアリーナで観戦した時に、一緒に感染した友人が「最近は東京では某一家の試合以外はスジ者の人達を見かけなくなったけど、地方ではこういった人達抜きでは興行難しそうですね’と言っていたのが印象的でした。
ああいった人達を勧進元とか地方有力者などと言ってましたし90年代はリングサイドの向こう正面で林家こん平師匠そっくりな人が、日本人選手がチャンスになると立ち上がって丸めたパンフレットを振り回して声援を送ってるのを度々目にしましたし玉熊が勝った時はリングに上がって手を上げさせてましたね。
芦沢氏の最後の世界戦実況は辰吉ーリチャードソン戦あたりでしょうか?
確かにあの頃は最終ラウンドはゴングに救われてましたから、残り10秒を切るとKOはなかったけどレフェリーストップがあるのは・・・と突っ込む人がいました。