コメント
三浦との思い出
(
アスリート
)
2009-11-26 02:36:17
こんばんは。アスリートです。
初めに、何か私のために作らせてしまったみたいで申し訳ありません。この場をお借りして、お礼とお詫びを申し上げさせて頂きます。
さて、では約束通り(笑)「スーパーカーミウラ」の思い出話を。
三浦は夏の活躍でプロ野球も注目する存在となりました。明治大学への進学がほぼ決まっていたのですがドラフト会議で阪急が二位指名。因みに一位は選手権優勝投手の東洋大姫路、松本正志です。
大学かプロか?ぐらりと揺れる三浦少年の心を動かしたのは上田監督の一本の電話でした。ウエさんの直接の電話に三浦少年は感動し、プロ入りを決めました。地元紙では「揺れる十八歳の心」なんて見出しが躍りました。明治の島岡監督も、「ダメだ。すっかりプロに心が動いている」と諦めてしまいました。
実は三浦と私は同い年です。受験で上京する際、バッタリ会った事があります(まあ、向こうは覚えてないでしょうが…笑)。恥ずかしながら当時(S53年)は新幹線がありませんでした。田舎の少年は特急に乗って福島-上野間を3時間15分掛けて上京したのです。
今にして思うと、私は今は名前の変わった東京の大学を受けに入ったのだと思います。ただ、この時は特急ではなく準急(分かりますか?)かなんかだったですね。理由は今となっては思い出せません。
そして何かしらのトラブルで停車し、列車から降りる羽目になったのです。この時、三浦が(たぶん)同じ車両に乗っていました。車内で気付いたか、下りてから気付いたかは忘れました。
あっ、そうそう。視線が合いましたよ。それは車内だったかな?そして線路に降り立ちました。大きいですねぇ。彼は184cm位あったかな?線路を歩く際、女子高生らしき二人組みに(確か)握手を求められ、「頑張ってください」なんて声を掛けられていました。彼女たちも東京に受験にいったのだろうなぁ。三浦の件、覚えているだろうか?三浦は大阪(または神戸)に行くところだったのでしょうね。
福島商業は友人たちも進学しました。卒業した年にそいつらに尋ねた事がありますが、やはり運動神経は良く、スポーツ万能だったようです。水泳が速かったとか。
阪急では一位の松本とともに「MMコンビ」として売り出しました。市内にも二人がボールを握って前に差し出したポスターが貼られました。松本は球団の先輩である、左腕の速球投手、梶本の背番号33を与えられました。三浦は22でした。プロ入り後は三浦は一年目から活躍しました。詳しくは次回に(笑)。
Unknown
(
imapon
)
2009-11-26 23:56:51
私はやはり、小さな大投手田村の文武両道・磐城高校が懐かしいです。ショートで後に立教に行った先崎選手も良い選手でした。
この記事面白いので他の県に関してもシリーズ化して順次、書いていただきたいな。
いえいえ構いませんよ
(
こーじ
)
2009-11-27 00:01:22
>アスリート様
いえいえ、野球がオフシーズンになってネタが限られるのでちょうどよかったです。
三浦と同い年なのですね、ならば私より5歳上になりますね。
三浦は福島商の中でも頭1つ大きかったですから、
典型的なエースで4番タイプだったのでしょうね。
打順は6番でしたが。
大学or社会人しか上位指名しない阪急が珍しく高校生を1・2位指名したので当時話題になったのを覚えてます。
実は大会前に‘大会を代表する左右の投手’として
松本と共に紹介されてましたね。
続きを楽しみにしてます。
分かりました!
(
こーじ
)
2009-11-27 00:05:14
>imapon様
やはり磐城の田村は、インパクトが強いですね。
安積商と磐城の監督としても甲子園で采配をふるってますが、残念ながら3度とも初戦敗退でした。
このシリーズ個人的にも面白いと思いますが、どこから始めたものか迷ってます。
地元に縁のある秋田県代表あたりを次に持って来ようかとも思ってますよ。
女子中高生のアイドル 三浦
(
アスリート
)
2009-12-10 13:52:58
そうです。三浦と私は同い年です。言わなければ良かったかな…(笑)。やはりトピ主さんは5歳下ですね。
さて、三浦は同世代の投手の中では2番手位の評価でしたが(「1に松本 2に小松」がプロの評価)、アイドル度は一番人気でした。
私が大学一年の時地元で家庭教師をしました。当時中三の女の子でした。部屋の中には小瓶に詰められた土があります。「何だろう?」と思ったら、「甲子園の土で三浦君から貰った」との事(「君」と呼んだから定かではありません)。福島商業の文化祭に遊びに行き、貰ったそうでした。
当時彼女は市内の私立女子中学に通う一年生でしたから、結構、翔(と)んでましたね(笑)。因みに私の地元では中学から私立に通わせるのは珍しく、よほど家庭が熱心な場合です。特に私は福島市に住んでいたのではないので、自分の町から市内の私立中学に通うのは極めて珍しい存在だったと思います。私の同学年でも女の子が一人そこに進学しました。小学校六年間で一度もクラスが一緒の事はなく、話した事もない子でしたが…。
それとこちらでは(高校は)男女別学が普通だし(割と高めの高校になりますが)、私立は先ず別学でした。ただ、県立も私立も含め少子化の影響か、今では共学ですね。ただ、私立中学は未だに別学と思いますけどね。と言うか私立中学を持っている高校(または短大)は少ないですが。私立高校は高校だけ(中学を併設してない)で、中学・高校(のみの)一貫校はありません。中学を持つのは短大まで持つ学校法人で、女子短大になりますから中学も女子校になります。
おっと、話題から逸れました。中学時代の同級生に聞いたら、ファンレターが段ボール箱で学校に届いたとか。羨ましい!
確かに三浦人気は
(
こーじ
)
2009-12-11 00:10:28
>アスリート様
確かに三浦人気は異常でしたよね。
定岡の頃からファンレターが段ボール箱単位で来るようになったようですが、この年の人気No1は三浦でしょうね。
しかし文化祭で甲子園の土をもらえるとは凄い話ですね。
福島の怪物
(
アスリート
)
2010-03-21 11:14:50
ご無沙汰してます。12月頭からPCが不調になり、だましだまし使っていましたが年末についにダウン。仕方なく、5万程度のモバイルを買いましたがキーボードが小さくて字を書くには不便でした。その後、1月末だったか元のPCを試しに立ち上げたらどういう訳か(笑)立ち上がりました。ただ、寿命は3~4日でしたが…(涙)。再度暫く期間を経て立ち上げたら大丈夫で、その後はうまくいっています。
さて、福島県の高校野球と言うと昭和46年の磐城高校の準優勝が真っ先に挙げられますが、この時のメンバーと同い年(三年生として)には後に巨人で活躍する中畑清がいました。当時の安積(あさか)商業です(今は帝京安積とか)にいました。しかし、中畑選手の事は全然聞かなかったですね。まあ、地元(郡山市)辺りでは多少有名だったかもしれませんが。
それよりも有名だったのはこちらの選手です。これは当時小学生だった私にもリアルタイムで活躍が伝わりました。「怪物」と言う文字も新聞紙上に躍ったと思います。子供心に「凄いなぁ」と思ったものです。一般の方ですので名前は出しませんが面白い記事を見つけましたのでリンクを貼っておきます。あっさりと見つかりましてびっくりしております。
お元気でしたか?
(
こーじ
)
2010-03-22 00:18:15
>アスリート様
お久しぶりです、PCの不調は辛いものがありますからね。
でも復活できてよかったです。
安積商は田村が監督をしているので78年に注目していたら郡山北工に予選の決勝で逆転サヨナラ負けをして出場を逃しましたけど、翌79年に念願の初出場を果たしましたね。
サヨナラ負けを喫しましたけど、かなり強気な采配が印象深かったです。
71年の磐城の準優勝の裏にドラマがあったのですね。
面白く読ませていただきました。
福島の生んだ怪物打者
(
アスリート
)
2010-05-01 12:51:55
前回、磐城高校甲子園準優勝の年の怪物打者の話をしましたが、私がもっとはっきり記憶している怪物打者はこの選手でしょう。私も大学を卒業しており、前回の選手とは違って記憶もはっきりとしております。
彼が三年生の時は学法石川は二度目の甲子園(選手権大会)出場を決めます。そして二試合を勝ち抜きました。春夏合わせて同校の甲子園初勝利です。
話を少し昔に戻します。同校は長らく県内の強豪校として知られましたがなかなか甲子園出場の機会に恵まれませんでした。そして、昭和51年の選抜大会でようやく念願の初出場を決めます。さらに同年の選手権大会にも甲子園に出場します。「学法石川時代到来!」と思ったものですが、その後は甲子園出場のチャンスに恵まれませんでした。翌年夏に出場するのは前述の三浦広之投手を擁する古豪、福島商業でした(残念ながら春は、いまだにそうですが、東北六県で二校なのでなかなか出られません)。そしてこの話の前年になる昭和57年、学法石川は県大会決勝戦に駒を進めます。この決勝戦、「学法石川絶対有利」の前評判を覆して甲子園の切符を手にしたのは、三年前の昭和54年に甲子園初出場を果たした安積商業でした。そしてこの安積商業の監督こそ、誰あろう磐城高校準優勝時のエース、「小さな大投手」こと田村隆寿さんだったのです。「100回戦って一勝できるかどうか」みたいな事を優勝時のインタビューで言っていたのが印象的でした。
素人が言うのも何ですが、当時の学法石川はただ「打って打ちまくる」ような戦法ばかりで、あり余る戦力を有効に使えてないような印象があります。
話が長くなりましたが、そんな屈辱的決勝戦での敗戦を糧にして翌年は(選手権)二度目の甲子園出場を決め、甲子園初勝利、そして二試合を勝ち抜きました。ただ、これは既述ですが、三試合目の横浜商業戦では記録的な大敗を喫してしまいます。しかも相手校はエース三浦(元中日)を途中から温存させる余裕でした。さすがに二番手では学法石川打線も目覚め試合終盤に何点か入れるのですが「時既に遅し」でした。地元紙に踊る「○回に10点打線爆発」の見出しが空しく映りました(笑)。
さて、このチームの主砲が松井達徳選手です。県内の試合では三打席連続の場外ホームランをかっ飛ばした事もあります。
しかし、こんな選手でさえプロからは指名もされないのですから、高校生でドラフト一位指名されるのはどんな怪物なんでしょうね。彼は法政大学、日産自動車を経てようやくプロ入りしますが、さほどの活躍はできませんでした。プロのレベルの違いが分かります。もし活躍できていたら、ヤンキースの四番を打っていた?
松井達徳は
(
こーじ
)
2010-05-01 23:54:02
>アスリート様
松井達徳は学法石川だったのですね。
初耳でしたが、この時は米子東と東山に勝ったのでしたね。
確か米子東戦はHRで決着が付いたと思いますが。
安積商は田村が監督をしているという事で覚えましたけど、初出場の前年・78年に予選の決勝で郡山北工に
逆転サヨナラ負けしているのではなかったでしょうか。
初出場の79年も明石南を押しまくってましたけど、
土壇場で追い付かれサヨナラ負けしましたよね。
福島代表
(
アスリート
)
2010-08-01 00:31:44
聖光学院が4年連続、7度目の全国高校野球選手権大会の出場を決めました。
過去に日大東北が3年連続出場しましたが、4年連続は史上初では?
そうでしょうね
(
こーじ
)
2010-08-01 23:06:54
>アスリート様
確かに日大東北は96~98年までの3年連続でしたけど、勝てませんでしたからね。
特に98年はレフトがフェンスの間に腕を挟まれると
いう珍事があったのを覚えてます。
聖光学院は01年の初出場時は明豊に0-20と惨敗しましたけど、勝率はいいですから組み合わせ次第では期待できるのではないでしょうか。
対戦相手は強豪広陵
(
アスリート
)
2010-08-07 23:40:39
4年連続出場の聖光学院の対戦相手は名門、広陵高校に決まりました。西村投手と白浜捕手を擁して2003年選抜で優勝。そして3年前は選手権で準優勝(本当は優勝?)の名門高校です。
昨年は大阪代表のPL学園。今年は野球王国広島代表の広陵高校。う~ん、試練が続くなぁ。
3年前の借りを
(
こーじ
)
2010-08-08 23:45:48
>アスリート様
3年前の借りを返すときですが、実は広陵は選抜ベスト4です。
選抜ベスト4のチームは85年のPLが優勝、82年の中京大中京がベスト4に残ったぐらいで春の成績を下回ってますから案外面白いかもしれません。
3年前に負けているんですね
(
アスリート
)
2010-08-09 00:53:32
本当だ。3年前に広陵と戦って負けているんですね。
そうなのですよ
(
こーじ
)
2010-08-10 00:49:44
>アスリート様
そうなのですよ。
07年は格下の岩国に圧勝した後に、報徳学園に勝った青森山田から競り勝ったまではよかったのですけどね。
この年の広陵は実質優勝チームですから仕方ないの
ですけど・・・・
聖光学院 広陵との投手戦を制す!
(
アスリート
)
2010-08-14 00:50:00
いや~、やりましたね、聖光学院。今春ベスト4の名門、広陵高校を相手に1-0の息詰まる投手戦。見事3年前の雪辱を果たしました。
次は大阪代表の履正社高校。昨夏のPL戦の雪辱だ!
おめでとうございます
(
こーじ
)
2010-08-14 23:56:48
>アスリート様
まさか あのまま1-0で終わると思ってなかったですから驚きましたけど、素晴らしい勝利ですね。
故・栽弘義前沖水監督が‘甲子園で勝つには神様が味方してくれないと勝てない’と言ってましたけど、まさしく神様が味方した試合でしたね。
次は勢いに乗って歳内で行くか、芳賀で行くか迷うところでしょう。
ゆめ半島国体いよよ開始!
(
アスリート
)
2010-09-20 23:12:28
第65回国民体育大会 ゆめ半島千葉国体がいよいよ開催されます。開会式前競技の水泳は既に開催され本県勢の活躍が目立ちました。
いよいよ開会式。そして国体です。
聖光学院はベスト8に残りましたから当然選出されています。土岐商業と当たるようですね。
http://www.kokutai-2010chiba.jp/kokutai/themes/kokutai/data/taikai-yoko/koukai/001/kumiawase.pdf
選手権大会では野球王国広島の名門広陵を
破り、さらには激戦区大阪代表の履正社を破り、ベスト8まで勝ち残りました。履正社と敗れた、春、そして夏の覇者、沖縄興南の試合は丁度帰省時に当たり、投稿するタイミングを失ってしまいました。
履正社を破った翌日の地元紙の見出しは派手に躍っていました。「頂点(全国制覇)に一歩近づいた」ような見出しでしたが、さすがに全国の壁は厚かったですね。
今回知りましたが、硬式野球は正式種目ではなく公開競技なんですね。初め、正式種目で探したらなかったので気付きました。軟式は正式種目なのに…。
硬式野球は開催が銚子市なので見には行けません。HPを見ると5500人くらいの収容能力なので入場制限を掛けることもあるとか。駐車場もない(手狭?)ので公共の交通機関を利用とのことです。銚子では地元や近辺以外の人には確かに不便ですね。それでも女子中高生は行くのかなぁ。島袋登板ともなると女の子が殺到するかも。入場制限で泣き出す子もいたりして…。
軟式は開催が船橋市なので見に行けます。行ってみようかな。
聖光学院強かったですね
(
こーじ
)
2010-09-21 23:50:11
>アスリート様
聖光学院強かったですね。
広陵か履正社の どちらかにやられるのでは?と思ってましたけど。
興南戦がベスト8でなければベスト4ぐらいまでは行けたと思ってます。
国体についてはコチラに
http://blog.goo.ne.jp/ue-kj/e/cd2bd92b40cbafaa4ad4ae9052b69555
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初めに、何か私のために作らせてしまったみたいで申し訳ありません。この場をお借りして、お礼とお詫びを申し上げさせて頂きます。
さて、では約束通り(笑)「スーパーカーミウラ」の思い出話を。
三浦は夏の活躍でプロ野球も注目する存在となりました。明治大学への進学がほぼ決まっていたのですがドラフト会議で阪急が二位指名。因みに一位は選手権優勝投手の東洋大姫路、松本正志です。
大学かプロか?ぐらりと揺れる三浦少年の心を動かしたのは上田監督の一本の電話でした。ウエさんの直接の電話に三浦少年は感動し、プロ入りを決めました。地元紙では「揺れる十八歳の心」なんて見出しが躍りました。明治の島岡監督も、「ダメだ。すっかりプロに心が動いている」と諦めてしまいました。
実は三浦と私は同い年です。受験で上京する際、バッタリ会った事があります(まあ、向こうは覚えてないでしょうが…笑)。恥ずかしながら当時(S53年)は新幹線がありませんでした。田舎の少年は特急に乗って福島-上野間を3時間15分掛けて上京したのです。
今にして思うと、私は今は名前の変わった東京の大学を受けに入ったのだと思います。ただ、この時は特急ではなく準急(分かりますか?)かなんかだったですね。理由は今となっては思い出せません。
そして何かしらのトラブルで停車し、列車から降りる羽目になったのです。この時、三浦が(たぶん)同じ車両に乗っていました。車内で気付いたか、下りてから気付いたかは忘れました。
あっ、そうそう。視線が合いましたよ。それは車内だったかな?そして線路に降り立ちました。大きいですねぇ。彼は184cm位あったかな?線路を歩く際、女子高生らしき二人組みに(確か)握手を求められ、「頑張ってください」なんて声を掛けられていました。彼女たちも東京に受験にいったのだろうなぁ。三浦の件、覚えているだろうか?三浦は大阪(または神戸)に行くところだったのでしょうね。
福島商業は友人たちも進学しました。卒業した年にそいつらに尋ねた事がありますが、やはり運動神経は良く、スポーツ万能だったようです。水泳が速かったとか。
阪急では一位の松本とともに「MMコンビ」として売り出しました。市内にも二人がボールを握って前に差し出したポスターが貼られました。松本は球団の先輩である、左腕の速球投手、梶本の背番号33を与えられました。三浦は22でした。プロ入り後は三浦は一年目から活躍しました。詳しくは次回に(笑)。
この記事面白いので他の県に関してもシリーズ化して順次、書いていただきたいな。
いえいえ、野球がオフシーズンになってネタが限られるのでちょうどよかったです。
三浦と同い年なのですね、ならば私より5歳上になりますね。
三浦は福島商の中でも頭1つ大きかったですから、
典型的なエースで4番タイプだったのでしょうね。
打順は6番でしたが。
大学or社会人しか上位指名しない阪急が珍しく高校生を1・2位指名したので当時話題になったのを覚えてます。
実は大会前に‘大会を代表する左右の投手’として
松本と共に紹介されてましたね。
続きを楽しみにしてます。
やはり磐城の田村は、インパクトが強いですね。
安積商と磐城の監督としても甲子園で采配をふるってますが、残念ながら3度とも初戦敗退でした。
このシリーズ個人的にも面白いと思いますが、どこから始めたものか迷ってます。
地元に縁のある秋田県代表あたりを次に持って来ようかとも思ってますよ。
さて、三浦は同世代の投手の中では2番手位の評価でしたが(「1に松本 2に小松」がプロの評価)、アイドル度は一番人気でした。
私が大学一年の時地元で家庭教師をしました。当時中三の女の子でした。部屋の中には小瓶に詰められた土があります。「何だろう?」と思ったら、「甲子園の土で三浦君から貰った」との事(「君」と呼んだから定かではありません)。福島商業の文化祭に遊びに行き、貰ったそうでした。
当時彼女は市内の私立女子中学に通う一年生でしたから、結構、翔(と)んでましたね(笑)。因みに私の地元では中学から私立に通わせるのは珍しく、よほど家庭が熱心な場合です。特に私は福島市に住んでいたのではないので、自分の町から市内の私立中学に通うのは極めて珍しい存在だったと思います。私の同学年でも女の子が一人そこに進学しました。小学校六年間で一度もクラスが一緒の事はなく、話した事もない子でしたが…。
それとこちらでは(高校は)男女別学が普通だし(割と高めの高校になりますが)、私立は先ず別学でした。ただ、県立も私立も含め少子化の影響か、今では共学ですね。ただ、私立中学は未だに別学と思いますけどね。と言うか私立中学を持っている高校(または短大)は少ないですが。私立高校は高校だけ(中学を併設してない)で、中学・高校(のみの)一貫校はありません。中学を持つのは短大まで持つ学校法人で、女子短大になりますから中学も女子校になります。
おっと、話題から逸れました。中学時代の同級生に聞いたら、ファンレターが段ボール箱で学校に届いたとか。羨ましい!
確かに三浦人気は異常でしたよね。
定岡の頃からファンレターが段ボール箱単位で来るようになったようですが、この年の人気No1は三浦でしょうね。
しかし文化祭で甲子園の土をもらえるとは凄い話ですね。
さて、福島県の高校野球と言うと昭和46年の磐城高校の準優勝が真っ先に挙げられますが、この時のメンバーと同い年(三年生として)には後に巨人で活躍する中畑清がいました。当時の安積(あさか)商業です(今は帝京安積とか)にいました。しかし、中畑選手の事は全然聞かなかったですね。まあ、地元(郡山市)辺りでは多少有名だったかもしれませんが。
それよりも有名だったのはこちらの選手です。これは当時小学生だった私にもリアルタイムで活躍が伝わりました。「怪物」と言う文字も新聞紙上に躍ったと思います。子供心に「凄いなぁ」と思ったものです。一般の方ですので名前は出しませんが面白い記事を見つけましたのでリンクを貼っておきます。あっさりと見つかりましてびっくりしております。
お久しぶりです、PCの不調は辛いものがありますからね。
でも復活できてよかったです。
安積商は田村が監督をしているので78年に注目していたら郡山北工に予選の決勝で逆転サヨナラ負けをして出場を逃しましたけど、翌79年に念願の初出場を果たしましたね。
サヨナラ負けを喫しましたけど、かなり強気な采配が印象深かったです。
71年の磐城の準優勝の裏にドラマがあったのですね。
面白く読ませていただきました。
彼が三年生の時は学法石川は二度目の甲子園(選手権大会)出場を決めます。そして二試合を勝ち抜きました。春夏合わせて同校の甲子園初勝利です。
話を少し昔に戻します。同校は長らく県内の強豪校として知られましたがなかなか甲子園出場の機会に恵まれませんでした。そして、昭和51年の選抜大会でようやく念願の初出場を決めます。さらに同年の選手権大会にも甲子園に出場します。「学法石川時代到来!」と思ったものですが、その後は甲子園出場のチャンスに恵まれませんでした。翌年夏に出場するのは前述の三浦広之投手を擁する古豪、福島商業でした(残念ながら春は、いまだにそうですが、東北六県で二校なのでなかなか出られません)。そしてこの話の前年になる昭和57年、学法石川は県大会決勝戦に駒を進めます。この決勝戦、「学法石川絶対有利」の前評判を覆して甲子園の切符を手にしたのは、三年前の昭和54年に甲子園初出場を果たした安積商業でした。そしてこの安積商業の監督こそ、誰あろう磐城高校準優勝時のエース、「小さな大投手」こと田村隆寿さんだったのです。「100回戦って一勝できるかどうか」みたいな事を優勝時のインタビューで言っていたのが印象的でした。
素人が言うのも何ですが、当時の学法石川はただ「打って打ちまくる」ような戦法ばかりで、あり余る戦力を有効に使えてないような印象があります。
話が長くなりましたが、そんな屈辱的決勝戦での敗戦を糧にして翌年は(選手権)二度目の甲子園出場を決め、甲子園初勝利、そして二試合を勝ち抜きました。ただ、これは既述ですが、三試合目の横浜商業戦では記録的な大敗を喫してしまいます。しかも相手校はエース三浦(元中日)を途中から温存させる余裕でした。さすがに二番手では学法石川打線も目覚め試合終盤に何点か入れるのですが「時既に遅し」でした。地元紙に踊る「○回に10点打線爆発」の見出しが空しく映りました(笑)。
さて、このチームの主砲が松井達徳選手です。県内の試合では三打席連続の場外ホームランをかっ飛ばした事もあります。
しかし、こんな選手でさえプロからは指名もされないのですから、高校生でドラフト一位指名されるのはどんな怪物なんでしょうね。彼は法政大学、日産自動車を経てようやくプロ入りしますが、さほどの活躍はできませんでした。プロのレベルの違いが分かります。もし活躍できていたら、ヤンキースの四番を打っていた?
松井達徳は学法石川だったのですね。
初耳でしたが、この時は米子東と東山に勝ったのでしたね。
確か米子東戦はHRで決着が付いたと思いますが。
安積商は田村が監督をしているという事で覚えましたけど、初出場の前年・78年に予選の決勝で郡山北工に
逆転サヨナラ負けしているのではなかったでしょうか。
初出場の79年も明石南を押しまくってましたけど、
土壇場で追い付かれサヨナラ負けしましたよね。
過去に日大東北が3年連続出場しましたが、4年連続は史上初では?
確かに日大東北は96~98年までの3年連続でしたけど、勝てませんでしたからね。
特に98年はレフトがフェンスの間に腕を挟まれると
いう珍事があったのを覚えてます。
聖光学院は01年の初出場時は明豊に0-20と惨敗しましたけど、勝率はいいですから組み合わせ次第では期待できるのではないでしょうか。
昨年は大阪代表のPL学園。今年は野球王国広島代表の広陵高校。う~ん、試練が続くなぁ。
3年前の借りを返すときですが、実は広陵は選抜ベスト4です。
選抜ベスト4のチームは85年のPLが優勝、82年の中京大中京がベスト4に残ったぐらいで春の成績を下回ってますから案外面白いかもしれません。
そうなのですよ。
07年は格下の岩国に圧勝した後に、報徳学園に勝った青森山田から競り勝ったまではよかったのですけどね。
この年の広陵は実質優勝チームですから仕方ないの
ですけど・・・・
次は大阪代表の履正社高校。昨夏のPL戦の雪辱だ!
まさか あのまま1-0で終わると思ってなかったですから驚きましたけど、素晴らしい勝利ですね。
故・栽弘義前沖水監督が‘甲子園で勝つには神様が味方してくれないと勝てない’と言ってましたけど、まさしく神様が味方した試合でしたね。
次は勢いに乗って歳内で行くか、芳賀で行くか迷うところでしょう。
いよいよ開会式。そして国体です。
聖光学院はベスト8に残りましたから当然選出されています。土岐商業と当たるようですね。
http://www.kokutai-2010chiba.jp/kokutai/themes/kokutai/data/taikai-yoko/koukai/001/kumiawase.pdf
選手権大会では野球王国広島の名門広陵を
破り、さらには激戦区大阪代表の履正社を破り、ベスト8まで勝ち残りました。履正社と敗れた、春、そして夏の覇者、沖縄興南の試合は丁度帰省時に当たり、投稿するタイミングを失ってしまいました。
履正社を破った翌日の地元紙の見出しは派手に躍っていました。「頂点(全国制覇)に一歩近づいた」ような見出しでしたが、さすがに全国の壁は厚かったですね。
今回知りましたが、硬式野球は正式種目ではなく公開競技なんですね。初め、正式種目で探したらなかったので気付きました。軟式は正式種目なのに…。
硬式野球は開催が銚子市なので見には行けません。HPを見ると5500人くらいの収容能力なので入場制限を掛けることもあるとか。駐車場もない(手狭?)ので公共の交通機関を利用とのことです。銚子では地元や近辺以外の人には確かに不便ですね。それでも女子中高生は行くのかなぁ。島袋登板ともなると女の子が殺到するかも。入場制限で泣き出す子もいたりして…。
軟式は開催が船橋市なので見に行けます。行ってみようかな。
聖光学院強かったですね。
広陵か履正社の どちらかにやられるのでは?と思ってましたけど。
興南戦がベスト8でなければベスト4ぐらいまでは行けたと思ってます。
国体についてはコチラに
http://blog.goo.ne.jp/ue-kj/e/cd2bd92b40cbafaa4ad4ae9052b69555