コメント
 
 
 
蔦監督が恐れた名将 (吉法師)
2011-03-07 12:55:10
池田高校の全盛時代の頃、対戦相手として一番脅威を感じるのは?の問いに対して、蔦氏は「尾藤じゃ、あの男の野球が一番恐ろしい」と、和歌山代表で箕島高校が出場して来る事を警戒していたのだそうです。
プロへも東尾修、吉井正人など個性豊かな選手を送り出した、昭和の野球史に欠かせない名指導者ですね。

池田高校も箕島高校も、強豪校でありながら公立校、私の地元の古くからの強豪、斉藤監督の銚子商業、石井監督の習志野、荒井監督の我孫子など、あの当時は公立の強豪校が多く、より郷土対抗の色彩が色濃く感じられて、春夏の風物詩・お祭りと言う感覚が強かったように思います。佐賀商業、千葉商業、印旛、柏陵と、公立校の教師として赴任する先々で甲子園へと導いた蒲原弘幸氏も懐かしい名前ですね。
 
 
 
Unknown (前略鷹男)
2011-03-07 18:09:12
昔は水分補給は何故かタブーとされてましたが、尾藤監督は バテやすいエースに 水分を補給させる様になってから見違える様な投球をするようになったという記事を目にした記憶があります。

まあ今では普通のことですけどね。

監督就任当時は厳しさを全面に出していたそうですが、一度 、退任してからは考えを改めたとのこと。
厳しいだけでは駄目と悟った様ですね。
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2011-03-08 00:17:52
>吉法師様
 それは分かるような気がします。
 打線の強さは池田の方が上というイメージがありますけど、実は箕島打線も遜色なかったですから そうなればプッシュバントなどの緻密さが生きてくるわけで
箕島の方が1日の長がありましたからね。

 実際79年夏はそういう形になりました。

 82年・83年の池田の全盛時に対戦を見て見たかった気がしますね。

>前略鷹男様
 やはり我が母校の某氏のように現場しか知らなくて‘厳しければいい’と思っている指導者が多いですからね。

 ボーリング場で働いた事などの経験が生きたのでしょうね。

 原貢氏も夏場の水分捕球については肯定していたのですが、なぜか主流にならなかったのはマスゴミの原理主義報道が影を落とす形になってますよね。
 
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