コメント
初めて教科書で見た洋楽はビートルズの「ヘイ・ジュード」中3(82年)でしたね。
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-28 03:19:09
ABBA懐かしいですね。ベスト盤のCDを持っています。バラードもいい曲が多いですが、「ダンシング・クイーン」をはじめ「テイク・ア・チャンス」、「ウォーター・ルー」、「ギミー・ギミー・ギミー」、「ノーイング・ミー・ノーイング・ユー」など親しみやすいダンスナンバーがやはり主流ですね。
最近は小学校でも英語の授業があるようなので、洋楽も比較的取り入れやすいのでしょう。こーじさん同様、私の小学校時代もお昼の校内放送はせいぜい歌謡曲(ピンクレディ、キャンディーズ、ジュリー、ツイスト、ゴダイゴなど)、音楽の授業でもレコード鑑賞といえばクラシック(ドビッシー、バッハ、シューベルト、チャイコフスキー‥)ばかりでいい加減うんざりでした(笑)。最近よく思うんですよ。小学校の6年間だけはもう一回経験したいなと‥(やたら試験、進路とうるさかった中学・高校はもう結構ですが)
ボクシングのコメント欄に書き忘れましたが、70年代、拓大のボクシング部はタバコ・酒を部内で容認していたとは呆れますね。本気で勝とうとしていたとは思えません。その時点で決断した具志堅の上昇志向、プロ魂も大したものですね。そんな真摯な生き方がJr.フライ級新設というご褒美にあやかり伝説を築いていけたのでしょう。同様にJr.フライではパンチが軽く思案していた最中、ストロー級新設で才能を開花させた井岡も然り。やっぱり真面目に取り組めば神は見放さないんですよ。井岡はその見切りをつけたと思われたJr.フライのベルトまで獲得したのには驚きました。ナパに敗れてから3年が経過してましたし、随分と大人びて見えましたよね。
連投です。曇天、強風の(?)大阪より~
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-28 08:36:49
こーじさんはフォークダンスの曲名までよく覚えておられますね。私もメロディは鼻唄で歌えるのですが、その曲名までは分からないです。ただ一般的なありきたりの曲ばかりでしたよ
話は変わりまたお聞きしますね。八重山商工の今年のエースは大嶺(ロッテ)の弟だと雑誌に掲載されてましたが、兄と比べて実力的にどうなのでしょうか?そして沖縄大会はどう予想されますか。よろしければ教えてください。
本来は
(
こーじ
)
2009-05-28 23:29:26
>なにわのヒバゴン様
本来はクラシックもトムとジェリーなどのBGMでよく
使われてますので馴染み深いはずですし親しみがあるのに強引に名曲集ばかり聞かされると嫌になりますよね。
映画のBGMの殆どはクラシック畑ですよ。
ジョン・ウィリアムスやジョン・バリーなど。
そういう絡みすら教えてなかったですからね。
井岡の初戴冠については赤井英和の因縁があるようです。
というのも赤井が大和田にKO負けしてなければ世界挑戦をするべく前渡し金をWBCに払っていたようなのです。
ところが赤井が事故で引退せざるを得なくなったので、一旦棚上げになってましたがWBCがストロー級を新設する時に日本王者になったばかりの井岡が1位になったのは そのお返し的な感じだったそうです。
まだ沖縄予選については未知数ですね。
興南が順当なら春夏連続っぽいですが、あまり期待できません。
むしろ八重山が行った方が話題になるかもです。
赤井にもう一度世界に挑ませたかった。果たしてどうなっていたか‥
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-29 09:51:14
私は大阪市内暮らしが11年くらいになるのですが、約5年前から西成区に住んでいます(堺市生まれ)。たまたまグリーンツダジムが近くにあるのですが、津田会長も亡くなり、今はもうジムも閉鎖しているような‥。看板は名残として上がったままです
井岡は赤井の同ジムの後輩ですね。彼の人生設計は子供の頃からしっかりしていて小学校の作文に「将来は世界チャンピオンになる」と書いていたそうです。夢が夢で終わらせる人が大半だと思うのですが、井岡や粟生は有言実行を果たし改めて凄いと思いますね。辰吉は後輩の名城に「世界チャンピオンになりたいちゃうで。世界チャンピオンになる~!や」と諭したのだとか。やはり世界を極めた人はポジティブな気持ちが1ランクも2ランクも高いのですね。
赤井の大和田戦は私が高2の時でしたが、その日の深夜テレビで見ていました。大和田にKOされたシーンは本当に我が目を疑いましたよ。こーじさんは赤井の敗戦はどこにあったと思われますか?
初めて世界に挑んだ王者ブルース・カリーはパンチが固く重たかったですよね。一発一発が除夜の鐘のような破壊力を誇っていたのではないでしょうか?
閑話休題‥。小学校の授業で思い出されるのはNHK教育テレビを見ていたことですね。道徳の「みんななかよし」、「明るいなかま」。「働くおじさん」、「さわやか三組」、「ふえはうたう」。あと社会の番組「ぼくらの社会科ノート」だったかな?チェリッシュの歌う主題歌が印象深いです。先生の話よりもTVは楽でいいのですが、見終わると必ず感想をノートに書かされるのでキツかったですね。何やらDVDでその番組集が発売されているらしく、入手したいと思っています。同窓会で皆と見ると懐かしさで盛り上がるでしょうね。
あのままでは赤井は
(
こーじ
)
2009-05-29 23:33:38
>なにわのヒバゴン様
残念ながらあのままでは赤井は世界は厳しかったと
思われます。
というのも彼の打ち方は腕力を生かした上半身主導の打ち方で下半身と連動してなかった。
‘今さら赤井に 走るように言っても無理’とは故・エディさんの言葉ですが、若い頃にロードワークをサボっていた赤井が2年のインターバルで走りこんで挑戦してもパンチ力に頼るボクシングをしていたのである意味ラッキーパンチでも入らない限り難しかったと思いますよ。
‘みんな仲良し’や‘働くおじさん’は私達の頃もOA
されてましたので、道徳や社会の時間に見てましたよ。
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最近は小学校でも英語の授業があるようなので、洋楽も比較的取り入れやすいのでしょう。こーじさん同様、私の小学校時代もお昼の校内放送はせいぜい歌謡曲(ピンクレディ、キャンディーズ、ジュリー、ツイスト、ゴダイゴなど)、音楽の授業でもレコード鑑賞といえばクラシック(ドビッシー、バッハ、シューベルト、チャイコフスキー‥)ばかりでいい加減うんざりでした(笑)。最近よく思うんですよ。小学校の6年間だけはもう一回経験したいなと‥(やたら試験、進路とうるさかった中学・高校はもう結構ですが)
ボクシングのコメント欄に書き忘れましたが、70年代、拓大のボクシング部はタバコ・酒を部内で容認していたとは呆れますね。本気で勝とうとしていたとは思えません。その時点で決断した具志堅の上昇志向、プロ魂も大したものですね。そんな真摯な生き方がJr.フライ級新設というご褒美にあやかり伝説を築いていけたのでしょう。同様にJr.フライではパンチが軽く思案していた最中、ストロー級新設で才能を開花させた井岡も然り。やっぱり真面目に取り組めば神は見放さないんですよ。井岡はその見切りをつけたと思われたJr.フライのベルトまで獲得したのには驚きました。ナパに敗れてから3年が経過してましたし、随分と大人びて見えましたよね。
話は変わりまたお聞きしますね。八重山商工の今年のエースは大嶺(ロッテ)の弟だと雑誌に掲載されてましたが、兄と比べて実力的にどうなのでしょうか?そして沖縄大会はどう予想されますか。よろしければ教えてください。
本来はクラシックもトムとジェリーなどのBGMでよく
使われてますので馴染み深いはずですし親しみがあるのに強引に名曲集ばかり聞かされると嫌になりますよね。
映画のBGMの殆どはクラシック畑ですよ。
ジョン・ウィリアムスやジョン・バリーなど。
そういう絡みすら教えてなかったですからね。
井岡の初戴冠については赤井英和の因縁があるようです。
というのも赤井が大和田にKO負けしてなければ世界挑戦をするべく前渡し金をWBCに払っていたようなのです。
ところが赤井が事故で引退せざるを得なくなったので、一旦棚上げになってましたがWBCがストロー級を新設する時に日本王者になったばかりの井岡が1位になったのは そのお返し的な感じだったそうです。
まだ沖縄予選については未知数ですね。
興南が順当なら春夏連続っぽいですが、あまり期待できません。
むしろ八重山が行った方が話題になるかもです。
井岡は赤井の同ジムの後輩ですね。彼の人生設計は子供の頃からしっかりしていて小学校の作文に「将来は世界チャンピオンになる」と書いていたそうです。夢が夢で終わらせる人が大半だと思うのですが、井岡や粟生は有言実行を果たし改めて凄いと思いますね。辰吉は後輩の名城に「世界チャンピオンになりたいちゃうで。世界チャンピオンになる~!や」と諭したのだとか。やはり世界を極めた人はポジティブな気持ちが1ランクも2ランクも高いのですね。
赤井の大和田戦は私が高2の時でしたが、その日の深夜テレビで見ていました。大和田にKOされたシーンは本当に我が目を疑いましたよ。こーじさんは赤井の敗戦はどこにあったと思われますか?
初めて世界に挑んだ王者ブルース・カリーはパンチが固く重たかったですよね。一発一発が除夜の鐘のような破壊力を誇っていたのではないでしょうか?
閑話休題‥。小学校の授業で思い出されるのはNHK教育テレビを見ていたことですね。道徳の「みんななかよし」、「明るいなかま」。「働くおじさん」、「さわやか三組」、「ふえはうたう」。あと社会の番組「ぼくらの社会科ノート」だったかな?チェリッシュの歌う主題歌が印象深いです。先生の話よりもTVは楽でいいのですが、見終わると必ず感想をノートに書かされるのでキツかったですね。何やらDVDでその番組集が発売されているらしく、入手したいと思っています。同窓会で皆と見ると懐かしさで盛り上がるでしょうね。
残念ながらあのままでは赤井は世界は厳しかったと
思われます。
というのも彼の打ち方は腕力を生かした上半身主導の打ち方で下半身と連動してなかった。
‘今さら赤井に 走るように言っても無理’とは故・エディさんの言葉ですが、若い頃にロードワークをサボっていた赤井が2年のインターバルで走りこんで挑戦してもパンチ力に頼るボクシングをしていたのである意味ラッキーパンチでも入らない限り難しかったと思いますよ。
‘みんな仲良し’や‘働くおじさん’は私達の頃もOA
されてましたので、道徳や社会の時間に見てましたよ。