コメント
本当に昨今のボクシングの扱いは正直寂しいですね。西岡、ガンガン防衛してスポットライトを浴びよ~!
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-27 05:31:22
ウィキペディアで調べましたが、海老原の勝率は凄いですね。通算成績66勝(36KO)5敗1分。世界チャンプになるまで32連勝(21KO)という数字にいかにカミソリパンチが凄まじかったかが伺えます。意外にも2度王座に就くも防衛は出来なかったとか‥。亡くなって18年とは早いですし、まだ51才だったというのも若すぎますよね。
具志堅はその海老原の後輩(協栄ジム)にあたるのですね。彼は興南を卒業して、本当は拓大に進学が決まっていたとか‥。こーじさん、もしそうだったとすれば、具志堅はあれほどの名チャンピオンになったと思われますか?何せ21才であっさりとグスマンを葬り去りましたから(ドミニカの小型フォアマンとあだ名される強打者だったとか‥)
そして こーじさん、カミソリパンチとカンムリワシ‥どちらの左ストレートが威力があったのでしょうか?
洲鎌はソウルで世界挑戦し王者からダウンを奪うも、ダウンと数えられなかったとは何とも不運。結局倒されて敗れ引退したのですね。
仲は尼崎北高出身とは懐かしい校名です。彼もデンマークで世界に挑むも減量苦がたたり判定負け(急遽試合が組まれたのですね)。さらに再起をかけるも網膜剥離で引退となったようですが、洲鎌と共にボクシング通には記憶に残る選手だったといえるのでしょうね。
話は変わりますが、こーじさんは何故京セラドームが観戦しづらそうと思われたのでしょうか?直感で分かられるのなら、凄い感性をお持ちですね‥☆
やはり直感ですよ
(
こーじ
)
2009-05-27 23:13:23
>なにわのヒバゴン様
京セラドームはTVで見ていても違和感がありましたし、一部の席が必ず空いていたのを見ての事ですよ。
海老原はパンチ力の凄さに拳の骨が耐え切れず試合の度に骨折していたので2度とも防衛できなかったようですね。
とはいえ本当は偏食家で牛乳などカルシウム食品が嫌いで取らなかったようですし、天才肌でディフェンスをもう少し真剣に練習していれば5回は防衛できたと言われてます。
拓大を見学した具志堅は部員が酒やタバコを平気でやっているのを見てプロ入りを決意したという話ですよ。
それとJフライ級が新設されたのが大きいですね。
海老原と具志堅のパンチ力は当然海老原ですよ。
これだけは断言できます。
仲に負けた仲里繁が東洋王者となり、世界まであと
一歩に迫ったのもある意味皮肉なものですね。
海老原と具志堅、どっちが強い?
(
吉法師
)
2009-05-28 01:04:39
同じ質問をボクシング好きだった亡き親父に、具志堅vsペドロサを一緒に見ながら質問したことがあります。
親父の答えは「一発の威力、切れ味は断然海老原、連打なら具志堅」と答えてくれました。言える事は、ジュニアフライあっての具志堅という事で、元フライ級王者、アルフォンソ ロペスに苦戦したあたりに限界らしき物が見えていたように感じていました。
サウスポーボクサーで日本と並び忘れていけないのがフィリピンですね。フラッシュ エロルデを始め、バリエントス、ビラフロア、ペニャロサ兄弟、ツニャカオ、現在最強の呼び声も高きパッキアオ、世界王者だけをざっとあげてもこれだけの名前が。これだけサウスポーが多いのは普通じゃないですよ。パッキアオがバレラ、モラレスを、西岡がジョニゴンを鮮やかに倒した事、決してフロックではない必然を感じてしまいます。
海老原をリアルタイムで見たかった。さらに大場政夫も。。。
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-28 02:25:59
そうですか。こーじさんも吉法師さんも海老原のほうが具志堅よりもパンチの威力では上の見解ですね。言われてみれば、具志堅が一発で仕留めた試合というのはロペス戦くらい(序盤から手こずりましたが)ですものね。それでもマルカーノとの再戦や、最強の挑戦者と言われたバルガスを退けた一戦も子供心に強いと思ったものです
海老原は偏食主義でやや練習熱心でもなかったとのことですね。才能を最大限に生かし切れなかったのはボクシング界の大きな損失と言えるでしょうか。天才ゆえに周囲も彼の欠点にまで目が行かなかったのかも知れませんね。
大相撲でも輪島が「蔵前の星」、「相撲の天才」などと言われましたが、30才あたりで急激に衰えがきたように記憶しています。もう一歩の努力・精進が名チャンピオン・大横綱の称号を手にできるるということでしょうか‥☆
書き込み御礼&レス
(
こーじ
)
2009-05-28 23:06:50
>吉法師様
そうですね。
具志堅の強打は あくまでJフライ級でのものでして、フライ級から落としてきたロペスにてこずり後の
Jバンタム級王者のペドロサを倒せませんでしたから。
だからフライ級への転向を断念したのかもしれませんね。
そういえばフィリピンもサウスポー多いですよね。
ざっと挙げても7人ですから・・・
韓国やタイなどは そこまで目立たないのに不思議ではありますね。
>なにわのヒバゴン様
具志堅のKOパターンは前半はボディ中心に攻めて中盤から一気に攻勢に出るので7・8RのKOが多かったわけですが、反面ボディ攻撃の代償としてジャブをよく貰って顔を腫れ上がらせてました。
それに対し海老原は‘オレならボディなんか打たないよ、顔面打たれるリスク多いし・・・’というコメントをしていたのが印象深いです。
前半のボディ攻めでガードを下げさせて中盤から仕留める具志堅に対し、自らのパンチに絶対的な自信を持っていた海老原の違いがよく分かります。
輪島も素の強さが却って災いした面もありますよね。
マルチン・バルガスの食生活は異常ですね。パン10枚、コーラ1~2リットル摂取。。。ボディーが弱くて当然です
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-29 09:15:26
そう言われれば具志堅のKOパターンは7、8回あたりが不思議と多かったですね。当時は15回制でしたから、今とはペース配分も違ったかも知れませんね(飛ばしすぎると最終盤にスタミナ切れとか‥)。
顔面を腫らす具志堅‥王座を獲得したグスマン戦は3回に強烈に連打され一瞬ガクッと腰が落ちましたし、初防衛したリオス戦は早々にダウンを奪われる大苦戦。次のマルカーノ戦も完勝ではなかったと思います。ですからV2までの具志堅は決して強く写ることなく5回防衛すればいいところでは‥?の印象でしたよね。が、マハチャイを豪快にKOできたことでチャンピオンとしての一つの殻を破ることができ、以降は軽快なステップワークとリズミカルな強打に冴えを見せ始めましたよね。
昨日、NHKの深夜番組に浜田剛史、畑山、長谷川の三人がボクシング談義?それぞれの持論を展開していました。今見ても浜田のアルレドンド戦、畑山の坂本戦は強烈なインパクトがありますね。安定王者の道を邁進している長谷川は、「何回戦っても世界戦のリングに上がるのは怖い。試合が流れないかなと直前まで思う」のだとか。プロスポーツ(特に格闘技)の世界とは心身ともに研ぎ澄まされた者のみぞ知る独特の異空間なんですね‥☆
あれは強烈でした
(
こーじ
)
2009-05-29 23:25:51
>なにわのヒバゴン様
マルチン・バルガスの食事量は凄く特にコーラ中毒でしたからね。
ガードが低いのにボディ打ちを生真面目にやったおかげでリオスとの2試合はいずれも顔を腫れ上がらせてました。
もっともリオスの機動力を封じるには あれぐらいやらないとダメでしたけどね。
先日のNHKでの長谷川のコメントは全盛時の具志堅も
言ってました。
だから12回防衛して新記録を打ち立てた時点で燃え尽きたようですね。
赤井は確かにバランスの悪い打ち方でした。腰が入ってないというか‥‥(本来はアウトボクシングが持ち味だったんですね)
(
なにわのヒバゴン
)
2009-05-31 02:49:48
具志堅のフローレス戦の敗退が地元沖縄だった?とは何とも皮肉ですね。雑誌で読んだのですが、その試合はいつも入場前に口にしているアイスクリームを食べなかったことで糖分が不足したのだとか(疲労回復しなかった?)‥。それでも端から見ると前回のフローレス戦で燃えつきてましたよね。防戦一方というか、あんなに後ろに下がる具志堅に少なからず衰えを感じていました(まだ25才だったのに‥)
以前にも書いたかも知れませんが、六車がバスケスと引き分けた試合と、井岡が飯田に判定負けした試合は今も納得いきません。いずれも勝った~!と私は思いましたから。渡辺二郎の初挑戦も微妙な判定でしたよね。
長谷川は試合ごとに強打、ディフェンスとも格段の冴えを見せてますね。サウスポーが苦手と言いながらも相手を誘うように打たせ、計算ずくに出来た隙をカウンター気味に叩き込む。ここ数試合はほとんど顔面を腫らしていませんし、ほぼ完璧に防衛していると言えるでしょうね。
亀○については実家が近所なのであまり触れたくないのですが、皆さんのコメントと同様、ビッグマウスの割に行動が伴っていませんね。あれほどキャーキャーと群がっていた女の子ファンもすっかり離れていってしまいましたよね。男として情けないの一言です。ですから「浪速の~」というフレーズは全国に大阪の恥を晒すようなので止めてほしいです。実力・人気も旬をとうに過ぎ、もう見切りをつけるべきでしょうね。
やはりストレスですか
(
こーじ
)
2009-06-01 00:12:27
>なにわのヒバゴン様
やはり具志堅にもストレスがあったようで、それを
解消するのがアイスクリームだったようです。
強くなればなるほど拘りも強くなりますからね。
長期防衛のストレスからかJフライ級の防衛記録達成した直後のフローレス戦はらしくない戦い方でした。
まさか次で負けるとは思いませんでしたよ。
特に六車ーバスケスはジャッジの主観の違いを思い知らされました。
ディフェンスなしの突貫ボクシングは海外では評判が悪いようです。
そんなワケで長谷川のボクシングこそ世界基準ですよ。
Unknown
(
吉
)
2009-06-01 10:58:22
>そんなワケで長谷川のボクシングこそ世界基準ですよ。
私もそう思います。それと現在の西岡のスタイルも海外での方が評価されやすいと思います。
過去の選手で言えば、海老原博幸、小林弘、柴田国明、ガッツ石松、具志堅用高、渡辺二郎、川島郭志、徳山昌守等は、海外でも評価され得るスタイルを持っていたと思います。小林弘さんなどは、海外の強豪、マンド・ラモスやロベルト・デュランなど直接戦った選手に「コバヤチは強かった」と評価されていたそうですから。
いえいえ、どうしいたしまして
(
こーじ
)
2009-06-01 23:09:45
>吉法師様
残念だったのが徳山です。
国内で日本人選手相手の防衛戦ばかりに勤しむより
ヨーロッパあたりで防衛戦を行ったら評価が上がったかもしれませんし、モチベーションアップにもなったでしょう。
他にも薬師寺保栄もウェイン・マッカラー相手に敵地で戦えば現地のマスコミからは評価されたのではと思ってます。
日本は勇敢に前に出てKOするタイプが賞賛されますが、距離を取ってポイントを稼ぐタイプは意外に低評価ですからね。
Unknown
(
吉法師
)
2009-06-01 23:44:54
徳山のvsキリロフ、vsナバーロ等は、ヨーロッパ、特にドイツあたりで試合をしていたら、かなりの評判になったんじゃないかと思います。
アマエリート出身の1位挑戦者をジャブで寄せ付けずに顔面を腫れ上がらせて、青タンをこさえさせるなどと言う芸当をやって見せた東洋人ボクサーなんてほかに何人いた事か?
そのジャブに右クロスを合わせて何とか状況を打開しようとしたキリロフ、距離を詰めての打ち合いに活路を見出そうとしたナバーロ、これらの攻防のなんとレベルの高かった事か。
格下とは言え、ほぼ左ジャブ一本だけで顔面をズタズタにし、棄権に追い込んだvsE・ロペス、これって、日本、韓国などのボクサーがさんざんやられてきた事じゃないか。それを中南米のボクサー相手にやってのけるとは、なんとも痛快な思いがしたものです。
小林弘さんの所属ジム会長だった中村信一さんは、中南米のジャッジやファンは、小林のボクシングをわかってくれるが、日本のジャッジやファンはあの技術を理解してくれない。こんな事なら中南米で試合した方がよほどマシだ、と嘆いていたと言います。そう考えると、小林さんの最後の試合がまさにその中南米・パナマでの試合、相手が時代を担うべきホープ、ロベルト・デュランだった事には、偶然では無い何か、を感じますね。
そうなのですよ
(
こーじ
)
2009-06-02 23:32:12
>吉法師様
ディフェンスが上手く、ジャブがキッチリ打てるタイプが日本では評価が低く欧米で評価が高い。
ならば欧米で試合を・・・・となればいいのですが、徳山陣営は そこまで考えが回らず徳山のモチベーションを下げてしまいました。
ジャブをしっかりポイントに入れる採点法は60年代から欧米では当たり前だったようですね。
にも拘わらず日本は国内のみで世界戦をやり、長い間レフェリージャッジも日本人という時代が長かったので そういう採点法をさも最新のように考えていたようです。
だから敵地といっても しっかりと普通のボクシングをやれば問題ないと思うのですけどね。
カーン博士の教えが根付いていたら
(
吉法師
)
2009-06-03 02:30:26
>ディフェンスが上手く、ジャブがキッチリ打てるタイプが日本では評価が低く欧米で評価が高い。
カーン博士が白井義男さんをコーチしよう、と思ったのはワンツーを打つタイミングに天性を感じさせる物があった事と、当時の日本人としてはリーチが長かった事だと言います。カーン博士はボクシングの経験はありませんでしたが、運動生理学者の眼でボクシングの本質の一つ、打たせずに打つこと、を正しく理解していたようです。だから白井さんにはまず「オンガード、ジャブ・ジャブ・ジャブ(構えて、ジャブをしっかり打ちなさい)」を反復練習させ、ジャブを打った後の引きを素早くすること、博士が両手の指で作った輪を移動させるのをパンチで正確に打ち抜く事、右ストレートは相手のアゴの急所を、真っ直ぐに打ち抜く事、何より距離をコントロールして、打たせない事を徹底してコーチしたと言います。
残された白井さんの試合の映像を見ると、世界戦は王座を守る事を第一とした守り主体のボクシングで、つまらない、評価されたようですが、ノンタイトルの試合では打たせずに打ち、右ストレート倒す、豪快なボクシングだったようです。vsダド・マリノ2戦目などは、トーマス・ハーンズみたいな鋭いジャブと強烈な右ストレートでマリノを6度もダウンさせる完勝で、白井さんご自身「私の最高の試合はマリノとの2戦目です。」と語っておられたそうです。
この師弟コンビが見せてくれた「世界に通用するアウトボクシング」の系譜が続かなかった事は、日本のボクシングにとって不幸な事だったと思います。
少し形を変えて、中村ジム、ヨネクラジム(米倉会長がアマチュア時代の一時期、カーン博士のコーチを受けていた)などに受け継がれた部分はあったようですが。
そうでしょう
(
こーじ
)
2009-06-03 22:26:22
>吉法師様
私も‘カーン博士の肖像’を読んで その話を知りました。
確かに白井義男の現役当時の世界王者は指名試合以外はノンタイトルを戦ってましたね。
タイトルマッチでは負けないスタイルですが、ノンタイトルでは攻撃的な試合が多かったようですね。
佐瀬稔氏に言わせるとガッツ石松のボクシングが、
米倉会長のスタイルに酷似していたらしいですね。
どうしてもイメージ的にブルファイターのイメージ
ですが、むしろ足を使って距離を取ってカウンターを
決めるのが石松のボクシングだったようです。
どうしても日本人はフィジカル的に弱い傾向にあるのでアウトボクシングの方が相性はよさそうですね。
バンタム級王者時代のファイティング原田の戦いぶりも足を使ってジャブで距離を取り、ここぞという所でラッシュしていましたからジョー小泉も‘ファイティング原田はアウトボクサー’と言ったのが正解かもしれません。
ガッツ石松はテクニシャン。
(
吉法師
)
2009-06-03 22:40:59
ガッツ石松はあのゴツイ顔と、池袋でのチンピラ8人KOの武勇伝のせいで、荒っぽいファイターのイメージが強いのですが、実際に試合振りを見ると、日本人には少ない、脚の長い強いジャブを打てて、どちらかと言うと後ろ足に重心を置いて相手を迎え撃ち、ピンポイントをカウンターで打ち抜いて仕留める、合理的で強いアウトボクサーだったと思います。
vsデ・へススなど、中盤以降はへススが完全に優勢だったのに、例の“幻の右”を警戒してか一貫して決して深追いしない判定狙いのボクシングに終始したのは、石松のカウンターの怖さ、その実力を恐れていた所以だと思います。
特筆すべきは、現役時代を通じて、目の上を切ったり、顔面を腫らした事がほとんどなかった事、ご本人は「引退後は役者になりたかったから、顔が腫れたりする前に寝ちゃったからね。」なんて言ってましたが、しっかりしたディフェンス力の賜物だったに違いないと思います。
それは言えますね
(
こーじ
)
2009-06-04 23:44:30
>吉法師様
対ゴンサレス2戦目の映像などを見るとトランクスに血が付いてましたが、相手の血でしたからね。
確かに目を切ったというシーンは記憶にないですね。
ジョー小泉がフリオ・セサール・チャベスの連勝記録を止めたフランキー・ランドールのボクシングを‘ガッツ石松のボクシングに似ている’と言ってました。
確かに そんな感じでしたね。
ヘススも最初にノンタイトルでデュランからダウンを奪って判定勝ちしたものの、デュランとの再戦のタイトル戦とアントニオ・セルバンテス戦で敗れてます。
だから石松戦はラストチャンスだった感じで、かなり慎重になったという事ですね。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
具志堅はその海老原の後輩(協栄ジム)にあたるのですね。彼は興南を卒業して、本当は拓大に進学が決まっていたとか‥。こーじさん、もしそうだったとすれば、具志堅はあれほどの名チャンピオンになったと思われますか?何せ21才であっさりとグスマンを葬り去りましたから(ドミニカの小型フォアマンとあだ名される強打者だったとか‥)
そして こーじさん、カミソリパンチとカンムリワシ‥どちらの左ストレートが威力があったのでしょうか?
洲鎌はソウルで世界挑戦し王者からダウンを奪うも、ダウンと数えられなかったとは何とも不運。結局倒されて敗れ引退したのですね。
仲は尼崎北高出身とは懐かしい校名です。彼もデンマークで世界に挑むも減量苦がたたり判定負け(急遽試合が組まれたのですね)。さらに再起をかけるも網膜剥離で引退となったようですが、洲鎌と共にボクシング通には記憶に残る選手だったといえるのでしょうね。
話は変わりますが、こーじさんは何故京セラドームが観戦しづらそうと思われたのでしょうか?直感で分かられるのなら、凄い感性をお持ちですね‥☆
京セラドームはTVで見ていても違和感がありましたし、一部の席が必ず空いていたのを見ての事ですよ。
海老原はパンチ力の凄さに拳の骨が耐え切れず試合の度に骨折していたので2度とも防衛できなかったようですね。
とはいえ本当は偏食家で牛乳などカルシウム食品が嫌いで取らなかったようですし、天才肌でディフェンスをもう少し真剣に練習していれば5回は防衛できたと言われてます。
拓大を見学した具志堅は部員が酒やタバコを平気でやっているのを見てプロ入りを決意したという話ですよ。
それとJフライ級が新設されたのが大きいですね。
海老原と具志堅のパンチ力は当然海老原ですよ。
これだけは断言できます。
仲に負けた仲里繁が東洋王者となり、世界まであと
一歩に迫ったのもある意味皮肉なものですね。
親父の答えは「一発の威力、切れ味は断然海老原、連打なら具志堅」と答えてくれました。言える事は、ジュニアフライあっての具志堅という事で、元フライ級王者、アルフォンソ ロペスに苦戦したあたりに限界らしき物が見えていたように感じていました。
サウスポーボクサーで日本と並び忘れていけないのがフィリピンですね。フラッシュ エロルデを始め、バリエントス、ビラフロア、ペニャロサ兄弟、ツニャカオ、現在最強の呼び声も高きパッキアオ、世界王者だけをざっとあげてもこれだけの名前が。これだけサウスポーが多いのは普通じゃないですよ。パッキアオがバレラ、モラレスを、西岡がジョニゴンを鮮やかに倒した事、決してフロックではない必然を感じてしまいます。
海老原は偏食主義でやや練習熱心でもなかったとのことですね。才能を最大限に生かし切れなかったのはボクシング界の大きな損失と言えるでしょうか。天才ゆえに周囲も彼の欠点にまで目が行かなかったのかも知れませんね。
大相撲でも輪島が「蔵前の星」、「相撲の天才」などと言われましたが、30才あたりで急激に衰えがきたように記憶しています。もう一歩の努力・精進が名チャンピオン・大横綱の称号を手にできるるということでしょうか‥☆
そうですね。
具志堅の強打は あくまでJフライ級でのものでして、フライ級から落としてきたロペスにてこずり後の
Jバンタム級王者のペドロサを倒せませんでしたから。
だからフライ級への転向を断念したのかもしれませんね。
そういえばフィリピンもサウスポー多いですよね。
ざっと挙げても7人ですから・・・
韓国やタイなどは そこまで目立たないのに不思議ではありますね。
>なにわのヒバゴン様
具志堅のKOパターンは前半はボディ中心に攻めて中盤から一気に攻勢に出るので7・8RのKOが多かったわけですが、反面ボディ攻撃の代償としてジャブをよく貰って顔を腫れ上がらせてました。
それに対し海老原は‘オレならボディなんか打たないよ、顔面打たれるリスク多いし・・・’というコメントをしていたのが印象深いです。
前半のボディ攻めでガードを下げさせて中盤から仕留める具志堅に対し、自らのパンチに絶対的な自信を持っていた海老原の違いがよく分かります。
輪島も素の強さが却って災いした面もありますよね。
顔面を腫らす具志堅‥王座を獲得したグスマン戦は3回に強烈に連打され一瞬ガクッと腰が落ちましたし、初防衛したリオス戦は早々にダウンを奪われる大苦戦。次のマルカーノ戦も完勝ではなかったと思います。ですからV2までの具志堅は決して強く写ることなく5回防衛すればいいところでは‥?の印象でしたよね。が、マハチャイを豪快にKOできたことでチャンピオンとしての一つの殻を破ることができ、以降は軽快なステップワークとリズミカルな強打に冴えを見せ始めましたよね。
昨日、NHKの深夜番組に浜田剛史、畑山、長谷川の三人がボクシング談義?それぞれの持論を展開していました。今見ても浜田のアルレドンド戦、畑山の坂本戦は強烈なインパクトがありますね。安定王者の道を邁進している長谷川は、「何回戦っても世界戦のリングに上がるのは怖い。試合が流れないかなと直前まで思う」のだとか。プロスポーツ(特に格闘技)の世界とは心身ともに研ぎ澄まされた者のみぞ知る独特の異空間なんですね‥☆
マルチン・バルガスの食事量は凄く特にコーラ中毒でしたからね。
ガードが低いのにボディ打ちを生真面目にやったおかげでリオスとの2試合はいずれも顔を腫れ上がらせてました。
もっともリオスの機動力を封じるには あれぐらいやらないとダメでしたけどね。
先日のNHKでの長谷川のコメントは全盛時の具志堅も
言ってました。
だから12回防衛して新記録を打ち立てた時点で燃え尽きたようですね。
以前にも書いたかも知れませんが、六車がバスケスと引き分けた試合と、井岡が飯田に判定負けした試合は今も納得いきません。いずれも勝った~!と私は思いましたから。渡辺二郎の初挑戦も微妙な判定でしたよね。
長谷川は試合ごとに強打、ディフェンスとも格段の冴えを見せてますね。サウスポーが苦手と言いながらも相手を誘うように打たせ、計算ずくに出来た隙をカウンター気味に叩き込む。ここ数試合はほとんど顔面を腫らしていませんし、ほぼ完璧に防衛していると言えるでしょうね。
亀○については実家が近所なのであまり触れたくないのですが、皆さんのコメントと同様、ビッグマウスの割に行動が伴っていませんね。あれほどキャーキャーと群がっていた女の子ファンもすっかり離れていってしまいましたよね。男として情けないの一言です。ですから「浪速の~」というフレーズは全国に大阪の恥を晒すようなので止めてほしいです。実力・人気も旬をとうに過ぎ、もう見切りをつけるべきでしょうね。
やはり具志堅にもストレスがあったようで、それを
解消するのがアイスクリームだったようです。
強くなればなるほど拘りも強くなりますからね。
長期防衛のストレスからかJフライ級の防衛記録達成した直後のフローレス戦はらしくない戦い方でした。
まさか次で負けるとは思いませんでしたよ。
特に六車ーバスケスはジャッジの主観の違いを思い知らされました。
ディフェンスなしの突貫ボクシングは海外では評判が悪いようです。
そんなワケで長谷川のボクシングこそ世界基準ですよ。
私もそう思います。それと現在の西岡のスタイルも海外での方が評価されやすいと思います。
過去の選手で言えば、海老原博幸、小林弘、柴田国明、ガッツ石松、具志堅用高、渡辺二郎、川島郭志、徳山昌守等は、海外でも評価され得るスタイルを持っていたと思います。小林弘さんなどは、海外の強豪、マンド・ラモスやロベルト・デュランなど直接戦った選手に「コバヤチは強かった」と評価されていたそうですから。
残念だったのが徳山です。
国内で日本人選手相手の防衛戦ばかりに勤しむより
ヨーロッパあたりで防衛戦を行ったら評価が上がったかもしれませんし、モチベーションアップにもなったでしょう。
他にも薬師寺保栄もウェイン・マッカラー相手に敵地で戦えば現地のマスコミからは評価されたのではと思ってます。
日本は勇敢に前に出てKOするタイプが賞賛されますが、距離を取ってポイントを稼ぐタイプは意外に低評価ですからね。
アマエリート出身の1位挑戦者をジャブで寄せ付けずに顔面を腫れ上がらせて、青タンをこさえさせるなどと言う芸当をやって見せた東洋人ボクサーなんてほかに何人いた事か?
そのジャブに右クロスを合わせて何とか状況を打開しようとしたキリロフ、距離を詰めての打ち合いに活路を見出そうとしたナバーロ、これらの攻防のなんとレベルの高かった事か。
格下とは言え、ほぼ左ジャブ一本だけで顔面をズタズタにし、棄権に追い込んだvsE・ロペス、これって、日本、韓国などのボクサーがさんざんやられてきた事じゃないか。それを中南米のボクサー相手にやってのけるとは、なんとも痛快な思いがしたものです。
小林弘さんの所属ジム会長だった中村信一さんは、中南米のジャッジやファンは、小林のボクシングをわかってくれるが、日本のジャッジやファンはあの技術を理解してくれない。こんな事なら中南米で試合した方がよほどマシだ、と嘆いていたと言います。そう考えると、小林さんの最後の試合がまさにその中南米・パナマでの試合、相手が時代を担うべきホープ、ロベルト・デュランだった事には、偶然では無い何か、を感じますね。
ディフェンスが上手く、ジャブがキッチリ打てるタイプが日本では評価が低く欧米で評価が高い。
ならば欧米で試合を・・・・となればいいのですが、徳山陣営は そこまで考えが回らず徳山のモチベーションを下げてしまいました。
ジャブをしっかりポイントに入れる採点法は60年代から欧米では当たり前だったようですね。
にも拘わらず日本は国内のみで世界戦をやり、長い間レフェリージャッジも日本人という時代が長かったので そういう採点法をさも最新のように考えていたようです。
だから敵地といっても しっかりと普通のボクシングをやれば問題ないと思うのですけどね。
カーン博士が白井義男さんをコーチしよう、と思ったのはワンツーを打つタイミングに天性を感じさせる物があった事と、当時の日本人としてはリーチが長かった事だと言います。カーン博士はボクシングの経験はありませんでしたが、運動生理学者の眼でボクシングの本質の一つ、打たせずに打つこと、を正しく理解していたようです。だから白井さんにはまず「オンガード、ジャブ・ジャブ・ジャブ(構えて、ジャブをしっかり打ちなさい)」を反復練習させ、ジャブを打った後の引きを素早くすること、博士が両手の指で作った輪を移動させるのをパンチで正確に打ち抜く事、右ストレートは相手のアゴの急所を、真っ直ぐに打ち抜く事、何より距離をコントロールして、打たせない事を徹底してコーチしたと言います。
残された白井さんの試合の映像を見ると、世界戦は王座を守る事を第一とした守り主体のボクシングで、つまらない、評価されたようですが、ノンタイトルの試合では打たせずに打ち、右ストレート倒す、豪快なボクシングだったようです。vsダド・マリノ2戦目などは、トーマス・ハーンズみたいな鋭いジャブと強烈な右ストレートでマリノを6度もダウンさせる完勝で、白井さんご自身「私の最高の試合はマリノとの2戦目です。」と語っておられたそうです。
この師弟コンビが見せてくれた「世界に通用するアウトボクシング」の系譜が続かなかった事は、日本のボクシングにとって不幸な事だったと思います。
少し形を変えて、中村ジム、ヨネクラジム(米倉会長がアマチュア時代の一時期、カーン博士のコーチを受けていた)などに受け継がれた部分はあったようですが。
私も‘カーン博士の肖像’を読んで その話を知りました。
確かに白井義男の現役当時の世界王者は指名試合以外はノンタイトルを戦ってましたね。
タイトルマッチでは負けないスタイルですが、ノンタイトルでは攻撃的な試合が多かったようですね。
佐瀬稔氏に言わせるとガッツ石松のボクシングが、
米倉会長のスタイルに酷似していたらしいですね。
どうしてもイメージ的にブルファイターのイメージ
ですが、むしろ足を使って距離を取ってカウンターを
決めるのが石松のボクシングだったようです。
どうしても日本人はフィジカル的に弱い傾向にあるのでアウトボクシングの方が相性はよさそうですね。
バンタム級王者時代のファイティング原田の戦いぶりも足を使ってジャブで距離を取り、ここぞという所でラッシュしていましたからジョー小泉も‘ファイティング原田はアウトボクサー’と言ったのが正解かもしれません。
vsデ・へススなど、中盤以降はへススが完全に優勢だったのに、例の“幻の右”を警戒してか一貫して決して深追いしない判定狙いのボクシングに終始したのは、石松のカウンターの怖さ、その実力を恐れていた所以だと思います。
特筆すべきは、現役時代を通じて、目の上を切ったり、顔面を腫らした事がほとんどなかった事、ご本人は「引退後は役者になりたかったから、顔が腫れたりする前に寝ちゃったからね。」なんて言ってましたが、しっかりしたディフェンス力の賜物だったに違いないと思います。
対ゴンサレス2戦目の映像などを見るとトランクスに血が付いてましたが、相手の血でしたからね。
確かに目を切ったというシーンは記憶にないですね。
ジョー小泉がフリオ・セサール・チャベスの連勝記録を止めたフランキー・ランドールのボクシングを‘ガッツ石松のボクシングに似ている’と言ってました。
確かに そんな感じでしたね。
ヘススも最初にノンタイトルでデュランからダウンを奪って判定勝ちしたものの、デュランとの再戦のタイトル戦とアントニオ・セルバンテス戦で敗れてます。
だから石松戦はラストチャンスだった感じで、かなり慎重になったという事ですね。