コメント
あれから30年ですか、月日の経つのは早いですね・・・
(
ただのスポーツ好き
)
2016-07-25 21:45:07
まず、はじめに「アテネ五輪 男子サッカーも死のグループだった」のコラムの高原の件では
お手数とご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
後述しますが今回も同じようなことをお願いしますので、たびたびではありますが、申し訳ありません。
さて本題ですが、浜田剛史の世界王座奪取からもう30年ですか。
綾小路きみまろのネタじゃないですけど、月日の経つのは早いものです。
リーチのあるアルレドンドに浜田のインファイトでの劇的な王座奪取には興奮しましたね。
この試合をテレビで見ていたはずなのに、あまりに劇的だったので浜田‐アルレドンド戦の放送が2時間枠だったという記憶がないんです。芦沢俊美アナが実況だったことだけは覚えているんですが・・・。
ただ、あらためて調べてみたんですが、この劇的な王座奪取のわずか1年半後に暗黒の日本人世界戦挑戦21連敗が始まっているんですよね。この時はそんな時代が来るとは考えてもいませんでしたけど。
最後に当時のスポーツ中継には現在の軽い作りのスポーツ中継とは違い、アスリートと競技への敬意が感じられましたね。それに放送局にもプライドがありました。それが今では・・・。
とくに「東京・赤坂の迷惑放送局」にはそのいずれもありませんが、彼らはそのことを恥だとは思っていないんでしょうね(ちなみに浜田戦の放送は日本テレビですので、迷惑放送局とは無関係ですけど)。
P.S. 日大講堂(旧両国国技館)と現在の両国国技館は同じ両国の地ではありますが、全く別の場所ですので訂正をお願いします。
詳細はウィキペディアの「両国国技館」の項目をご覧になってください。
赤坂TVも
(
こーじ
)
2016-07-26 22:48:29
>ただのスポーツ好き様
赤坂TVも昭和の時代は具志堅の試合をはじめ真面目に
やってましたし、コング斎藤のヘビー級の試合後は解説の郡司信夫氏が‘コングの試合は2度と解説しない’と激怒するなど気骨のある解説者がいましたからね。
佐瀬稔氏のようなライターに浜田を語らせるというのは今にしてみると贅沢な話ですし、それこそが世界戦のステイタスだったわけですね。
21連敗の始まりは井岡弘樹とWタイトルマッチを戦った神代英明のTKO負けからでしたから正しく昭和末期から平成の初めにかけての屈辱でした。
両国国技館の件修正しました。
チェックありがとうございました。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
お手数とご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
後述しますが今回も同じようなことをお願いしますので、たびたびではありますが、申し訳ありません。
さて本題ですが、浜田剛史の世界王座奪取からもう30年ですか。
綾小路きみまろのネタじゃないですけど、月日の経つのは早いものです。
リーチのあるアルレドンドに浜田のインファイトでの劇的な王座奪取には興奮しましたね。
この試合をテレビで見ていたはずなのに、あまりに劇的だったので浜田‐アルレドンド戦の放送が2時間枠だったという記憶がないんです。芦沢俊美アナが実況だったことだけは覚えているんですが・・・。
ただ、あらためて調べてみたんですが、この劇的な王座奪取のわずか1年半後に暗黒の日本人世界戦挑戦21連敗が始まっているんですよね。この時はそんな時代が来るとは考えてもいませんでしたけど。
最後に当時のスポーツ中継には現在の軽い作りのスポーツ中継とは違い、アスリートと競技への敬意が感じられましたね。それに放送局にもプライドがありました。それが今では・・・。
とくに「東京・赤坂の迷惑放送局」にはそのいずれもありませんが、彼らはそのことを恥だとは思っていないんでしょうね(ちなみに浜田戦の放送は日本テレビですので、迷惑放送局とは無関係ですけど)。
P.S. 日大講堂(旧両国国技館)と現在の両国国技館は同じ両国の地ではありますが、全く別の場所ですので訂正をお願いします。
詳細はウィキペディアの「両国国技館」の項目をご覧になってください。
赤坂TVも昭和の時代は具志堅の試合をはじめ真面目に
やってましたし、コング斎藤のヘビー級の試合後は解説の郡司信夫氏が‘コングの試合は2度と解説しない’と激怒するなど気骨のある解説者がいましたからね。
佐瀬稔氏のようなライターに浜田を語らせるというのは今にしてみると贅沢な話ですし、それこそが世界戦のステイタスだったわけですね。
21連敗の始まりは井岡弘樹とWタイトルマッチを戦った神代英明のTKO負けからでしたから正しく昭和末期から平成の初めにかけての屈辱でした。
両国国技館の件修正しました。
チェックありがとうございました。