コメント
2000年の背番号3復活は大フィーバーでしたね。どげんとせんといかん(^ー^)ノ☆
(
なにわのヒバゴン
)
2015-02-21 04:43:10
年末(年始だったかな?)に長嶋氏が懸命にリハビリに励む姿をテレビで見ましたが彼はきっと‘メイク・ミラクルagain’を起こしますよ。まだまだファンに‘長嶋茂雄(一発変換できる改めて凄い!)’をお見せする責務があるのだと血気盛んなスピリッツを再確認できて私も嬉しかったです。そんなミスターにサインを貰われたこーじさんも凄い!ですし、ファンを何より大切にする姿勢こそ彼がG党のみならず野球ファン(ひいては国民)全体から愛される証でしょうね。生意気盛りの江夏豊がカネやん&ミスターと夜の街で遭遇した際、カネやんは先輩面するもミスターは‘いいのよ豊、一緒に酒でも飲もう’と優しく声を掛けたのだとか。あの満面な笑顔とミスター語はホントに見る者、聞く者を幸せな気分にさせますからね。 そんな彼がキューバ野球を標榜としたチーム作りを目指していたとは('_'?)少し腑に落ちません。何せ落合に清原、広沢に石井、ハウエルなどドカン!と放つもまるでスピード感がない選手を次々と獲得していましたから合点がいかないんですよ。あと松井秀喜にサードを守らせて欲しかった。左打ちの三塁手は理想でなかったとかですが、そんなセオリー?などに拘らないのがミスターの真骨頂ではないのかと。。。とにもかくにも我が長嶋茂雄は永久に不滅です~!!
意外に新しい考えの持ち主
(
こーじ
)
2015-02-21 22:48:24
>なにわのヒバゴン様
長嶋の理想は西鉄ライオンズだったようですね。
それを平成の世で再現しようとしていたようですが、
当然ながらこのスタイルは3年に1度しか勝てないわけですよ。
ただ資金力のあるジャイアンツが真面目な勝ちに徹するスタイルで戦うと勝つのが当たり前になるので、あえて脇の甘い派手な野球を見せていたようです。
だからアテネ予選の時は地味なメンバーで固い野球をしてましたからね。
松井のセンター起用は、これからのスター選手は外野手の時代と考えていたようでイチローがそれを体現した形でした。
♪ハッピーバースデーdearこーじさん\(^^)/ミスターと1日違いとは‘さすが’です☆
(
なにわのヒバゴン
)
2015-02-22 01:24:19
なるほど(^^)長嶋野球の理想は氏の若き頃シリーズで苦手にしていた西鉄だったわけですね。当時の三原野球は豪快さと緻密さを兼備しているというイメージしかできないのですが、巨人が何度も煮え湯を飲まされた要因は何だったのでしょうか?長嶋もルーキーで王はまだ入団前。川上が引退した丁度新旧交代の時期に当たりますよね。稲尾や豊田、中西、高倉、仰木らが全盛の西鉄が如何に充実していたのかなど想像は膨らみます。 他球団の4番打者を揃えて豪快に魅せて勝つ!というスタイルにそんな思惑があったとは初めて知りました。確かに理詰めの野球で当たり前のようにぶっちぎって?勝つではペナントレースとしては面白味に欠けますからね。勝利のみがプロ野球ではない。如何にファンがよりプロ野球、ジャイアンツに興味を示してくれるかetc。。。グローバルな視点でミスターは采配を振るっていたのですね。サード松井といえば92年選抜の天理戦の八回?に喫したエラーが忘れられません。勝ちムードから一転逆転ホーマーを浴びてしまい悔やみきれない敗戦。勝っていれば4強進出で相模を下して帝京と決勝対決。。。星稜が頂点に立っていたのではと思い出されるラッキゾーン撤去の春でした。外野手松井も年々様になっていった印象ですね。高校で三塁を守った経験が裏付けるように巨体ながらも軽いフットワーク、矢のような送球などディフェンスにも一流のものを備えていたのでしょう。それでも同じ右投げ左打ちの掛布に憧れていたそうですし、一度はゴジラのホットコーナーを見たかったですよ(^-^)。。。☆
西鉄に負けたのは
(
こーじ
)
2015-02-22 22:53:45
>なにわのヒバゴン様
ジャイアンツが西鉄ライオンズに負けたのは川上や与那嶺に別所ら第2期黄金時代の主力が衰えていた時代に
稲尾・豊田・中西らジャイアンツの主力を凌ぐ若手選手が育ったという事になりますか。
実際に長嶋は西武ライオンズファンの集いで‘史上最強チームは昭和32年の西鉄ライオンズ’と語ってまして
(その前に90年代のライオンズはV9ジャイアンツには勝てないと堂々と言っていた)川上ジャイアンツの仮想敵チームは西鉄ライオンズだったという事です。
だからスモールベースボールの極みであるV9野球から
西鉄のようなスタイルの野球を甦らせてファンを喜ばせようと考えたのでしょうね。
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長嶋の理想は西鉄ライオンズだったようですね。
それを平成の世で再現しようとしていたようですが、
当然ながらこのスタイルは3年に1度しか勝てないわけですよ。
ただ資金力のあるジャイアンツが真面目な勝ちに徹するスタイルで戦うと勝つのが当たり前になるので、あえて脇の甘い派手な野球を見せていたようです。
だからアテネ予選の時は地味なメンバーで固い野球をしてましたからね。
松井のセンター起用は、これからのスター選手は外野手の時代と考えていたようでイチローがそれを体現した形でした。
ジャイアンツが西鉄ライオンズに負けたのは川上や与那嶺に別所ら第2期黄金時代の主力が衰えていた時代に
稲尾・豊田・中西らジャイアンツの主力を凌ぐ若手選手が育ったという事になりますか。
実際に長嶋は西武ライオンズファンの集いで‘史上最強チームは昭和32年の西鉄ライオンズ’と語ってまして
(その前に90年代のライオンズはV9ジャイアンツには勝てないと堂々と言っていた)川上ジャイアンツの仮想敵チームは西鉄ライオンズだったという事です。
だからスモールベースボールの極みであるV9野球から
西鉄のようなスタイルの野球を甦らせてファンを喜ばせようと考えたのでしょうね。