コメント
 
 
 
ゴジラが飛んだ日 (A-chan)
2019-11-21 19:17:05
こんばんは。
「ゴジラ対ヘドラ」は昭和ゴジラシリーズの中でも、その描写の陰湿さ、グロテスクさは類を見ませんね(というか、見返してみると昭和ゴジラシリーズのどれもが独特の個性を持っていて、イメージが統一されていない気がしてきました)。
本作の上映当時は環境汚染がピークだったようで、大きな問題になっていたようですね。高度成長期、日本の産業革命時代の頃は空を真っ黒にする煙突の煙が繁栄の証として称賛されていたようですが、後々それが害悪になっていく事は想像がつかなかったのでしょうか。

核の落とし子であるゴジラは、同じように人間の作り出した「毒」から生み出されたヘドラに自分と同じ影を見て悲しいものを感じたかもしれません。でも、地球に生きる者として地球を汚染し破滅に導く者とは戦わなければならない。
この頃のゴジラは人間に距離は近付いてきていても、決して人間の為に戦っていた訳では無いのですよね(でも、次作では少なくとも日本には好意的になってくれるみたいです)。
今にして思えば、この重苦しい雰囲気を吹き飛ばす為に例の悪評高き「ゴジラの飛行」が必要だったのかもしれません。大きな問題に悲観的にならず、前向きに(後ろ向きだけど)進んで行こう。そういうメッセージが込められているのかもしれません。その結果、ゴジラは強敵ヘドラに辛くも勝利しました。

田子の浦や四日市の汚染が凄かったようですが、大阪でも淀川の汚染が酷くて一時は魚が住めなかった時期もありました。今では環境の改善が進んでフナやタナゴが戻ってきて、空もいくらか澄んできたように思えますが、今はダイオキシンの影響による異常気象という別の環境問題が出てきているのですよね。
昔に比べれば汚れが見えなくなっただけで、根っこの所は何も変わっていないのかと思うと考えてしまいます。このダイオキシンこそが、映画の最後に出てきた「もう1匹のヘドラ」なのでしょうか。でも、私は悲観的にならず人間の英知を信じて前向きに生きていきたいです。
 
 
 
ラストで (こーじ)
2019-11-22 09:14:35
>A-chan様
 ラストで少年が「ゴジラ!」と呼びかけたにも関わらず、キッと睨み付けるようにして海に去っていくシーンがゴジラの心情を表している感じですね。

 円谷英二亡き後では最初のゴジラですから公害の落とし子ともいえるヘドラとの対戦は必然的なものでしたから、スタッフもかなり気合が入っていたようですね。

 ゴジラの飛行シーンは田中友幸プロデューサーから猛反対を受けたけど、座を外している間に撮ったとの事で坂野監督のこだわりがあります。

 ちなみに坂野義光氏はコレで東宝を干されたようですが、ギャレス・エドワーズ版ゴジラのアドバイザーで名前を見ましたよ。
 
 
 
次世代に希望を託すラスト (A-chan)
2019-11-24 17:51:39
こんばんは。
本作において、ゴジラはまだ子供である研くんに対しては睨み付けてはいないと思います。むしろ、彼の呼びかけに対して頷きながら去って行ったように見えます。先の世を担う世代に希望を託すラスト。これも1つの救いだと思いました。
本作で干されてしまった坂野監督。プロデューサーの意に沿わない事を強引に決行するのは考えものですが、一方では認めてくれる人もいるので、これはこれで良いかと(^^)。
 
 
 
そういった見方も (こーじ)
2019-11-25 23:15:26
>A-chan様
 なるほど、そういった見方もありますか。

 坂野監督は実相寺昭雄監督と一緒で例え干されても製作サイドの意向を無視してでも自分の撮りたいものを撮るタイプだったのでしょうね。

 だからこそハリウッドも起用したのではと思ったりします。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。