ひろひろの生活日記(LIFE Of HIROHIRO)

パソコン講習とソフト開発をしています。自作小説も掲載しています。ネット情報発信基地(上野博隆)Hirotaka Ueno

今日を東の独立記念日とする。

2016年03月05日 21時41分05秒 | Light Night Buddhism(光と闇と仏法)
東の国に、
優しい、愛に溢れた雨が降る。
今日を、東の国の南の国からの
独立記念日としよう。
2016年3月5日
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仏法の兄弟は

2016年03月05日 18時23分57秒 | Light Night Buddhism(光と闇と仏法)
共に切磋琢磨しながら
競い合いながら
成道へと進んで行くものである。
人それぞれ本位が異なる。
それは、
喧嘩しているわけでも
仲が悪いわけでもない。
本位が異なるだけの
ことです。
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0070_許しの証(001)裕也日記

2016年03月05日 14時38分23秒 | 裕也・冒険日記(自作小説)
0070_許しの証(001)裕也日記

裕也は、起き上がり、一番に真奈美を心配した。
途端に、部屋を出て、街に飛び出していた。
周りは依然暗い。
どこをどう歩いたか分からないが、
足が焼けるように痛い。
(これは、民の痛みなのか?)
そのとき、時空を超えて裕也の意志がシンクロした。
そこには、十字架を背負ったキリストがいた。
民の苦しみ、心の痛みで、足が燃えるように熱かった。
「イエス様、あなたは、十分、民の苦しみ、痛みを
知りました。
もう、あなたを苦しみや痛みから解放します。」
裕也の口から湧き出てきた。
イエスは、少し微笑んだように思えた。
次の瞬間、裕也は、真奈美の家の前にいた。
「どんどんどん」戸を叩いた。
「だれ?」真奈美
裕也は、気を失った。
イエスの十字架を苦しみの象徴のように思う人もいるが、
あの天に召される安らかな顔こそ神の子、使いの証なのである。
神に認められ許された証なのである。
「私が認める。私も認める」主なのである。
それは、私が認める神、神が認める主である。

裕也も再び許されたのである。

つづく 
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創価学会の選挙の戦いで

2016年03月05日 09時49分35秒 | ぶらぶら日記
同志に裏切られ、昔、病気になりました。
でも、それは、自身の宿業が出ただけで、
学会を恨んだり、選挙の戦いを悔やんだことはないし、
その会員を恨んだこともない。
やっぱり、信仰は、本気になることが必要です。
本気にならないと宿業も転換できない。
私を信じる人、
信仰に本気になってください。
私は、生涯、自民党と対治してきた。
自民党と組む公明党をみて、それが時代の流れと
自身をごまかした時もある。
自民党と戦えば、災いを生むかもしれない。
昔は、そうでした。
それこそ法戦です。
勝てる楽な信仰をしている。
そんなことで仏道を成就することはできない。

故あって、今回は、共産党を応援します。
どうか、
この法戦を私と戦いましょう。
あなたの宿業を転換する真剣な勝負をしましょう。
私は、それで死んだとしても本望です。
昔、病気したときも本望と思った。
応援した人が本当に当選するか分からない
ぎりぎりの緊張感、
わくわくするよ。
そのなかで、限りなく自身に挑戦し
祈る。
そう言う、自身のための法戦を戦ってほしい。
決して、生易しい信仰では、成就しません。
よくよく信仰した意味を考えるべきです。
公明党を守っていたのは会員です。
今も会員です。
公明党が会員を守っている。
うぬぼれです。
仏子は、仏と共に戦うことが喜びなのです。
会員が組織を守っている。
会長が、会員を守ってるなんて
うぬぼれや。
死んで閻魔様の前で仏道を行じたと
言えなければ
何のために信仰してきたかわからない。
権威、権力に臆しては信仰はないのである。
権力の虜になり
安穏していては
仏法の師弟はない。
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