また、ぽかーんと一日過ごしちゃった。
でも、公演の初日から夏休みが重なって、今週も一週間休みがあるので
色々考えるには丁度良かった気がする。
今回の芝居は思わぬメンバーが加わった。
公演をご覧になった方は、物語の舞台になっているホテルのマネージャー役が
一人だけ何処か場慣れしているとお感じになったのでは?
そう、このマネージャー・バックス役を演じたのが平野清太郎さん。
この方、本名は伏せておきますが、本職はオペラなどの舞台監督や美術のプロデューサー。
去年まで我々の舞台の美術担当をやって頂いていた。
インターネットで検索したら、そもそも、何でこんな人が混じっているのか?
物凄い経歴なのでびっくりした。
今回の台本が出来た時に、マネージャー役は別の劇団員がやる事になっていた。
ところが、この方が一身上の都合で出演できなくなり、代わりの人を探していた。
ただでさえ少ない男性陣。
座長が、美術担当の清太郎さんに「誰かいい人居ないかなぁ?」って、相談したらしい。
そこで清太郎さんが「心当たりが有りますよ」と言って、自分を紹介したというわけ。
若い頃に芝居をやっていた事もあって、毎年お世話になっている我々の劇団の公演を見て
『出たいなぁ』と、ずっと思っていたそうだ。
そういう経歴があるから芝居心は当然持っている上に、
いわゆるプロの目から見て、芝居の流れも理解している。
自分の出番はしっかり自分のペースで演技して、その他の場面では
台詞を言っている人の邪魔をしないように、目立たないようにしたり・・・
仕事柄、忙しくて3月以降はずっと稽古に出られなかったんだけれど。
最後の2週間、通し稽古に参加して、清太郎さんの出る部分を集中的に稽古して
何とかなってしまったから、僕は
『芝居心、センスがある人は違うなぁ』って感心してしまった。
清太郎さんは、僕と同い年。
18歳の時に、北海道から上京して劇団を結成したそうだ。
70年代前半、日本はこういった人が凄く多かった。
彼は劇団じゃ食って行けないので、舞台関係のアルバイトで食い繋いでいたそうだ。
そこで、デビューしたばかりの「サザンオールスターズ」の舞台監督募集に喰いつき
それ以来、本業として舞台の仕事に携わってきたと伺った。
その頃の話は丁度、僕がライブハウスをやったり、舞台照明をやって
有名人のツアーに参加していた時期に重なっていたこともあって、
『あの頃は本当に金が無かったねぇ』、『金が無いのが当たり前の舞台関係者』とか、
逆に『仕事が続くと、信じられない金が手に入った』といった事を、
稽古の出番待ちの時間に、二人で良く話していた。
とにかくあの時代は、金が無くても済んじゃったし、それ以上に得るものが多かった気がする。
最終的に、根性の無い僕は堅気の仕事に転身し、対して根性のある清太郎さんは
いまや知る人ぞ知る、業界の有名人にまでなった。
公演後の打ち上げで一緒に飲みながら、そういう話を団員の女性に話をしてあげたら
『なんだか、二人はいい人生送っていて羨ましいなぁ』と言われた。
来年は参加できるかどうか?解らない清太郎さん。彼が上京した若い頃は
舞台に立ってスポットライトを浴びるのが『夢』だったそうだ。
こんな劇団ではあるが今回、その『夢』が叶った・・・
『止めていた麻薬に、手を出しちゃっって、中毒になりそうだね』と僕が言ったら
『全く、その通りなんですよ・・』なんて笑っていた。
僕自身、『来年は参加するかどうか?迷っている』と、正直な胸の内を話したら、
清太郎さんから『この劇団、ずっと続けましょう!』と言われた。
経済的に安定した中年以降になって、若い頃の夢を、叶えようという人が増えている今。
僕はずっと、好きな事をやりながら生きて来ている事を考えたら
恵まれた環境に居るし、それゆえに出る不満や我侭なのかな?なんて思ったり・・・
でも、公演の初日から夏休みが重なって、今週も一週間休みがあるので
色々考えるには丁度良かった気がする。
今回の芝居は思わぬメンバーが加わった。
公演をご覧になった方は、物語の舞台になっているホテルのマネージャー役が
一人だけ何処か場慣れしているとお感じになったのでは?
そう、このマネージャー・バックス役を演じたのが平野清太郎さん。
この方、本名は伏せておきますが、本職はオペラなどの舞台監督や美術のプロデューサー。
去年まで我々の舞台の美術担当をやって頂いていた。
インターネットで検索したら、そもそも、何でこんな人が混じっているのか?
物凄い経歴なのでびっくりした。
今回の台本が出来た時に、マネージャー役は別の劇団員がやる事になっていた。
ところが、この方が一身上の都合で出演できなくなり、代わりの人を探していた。
ただでさえ少ない男性陣。
座長が、美術担当の清太郎さんに「誰かいい人居ないかなぁ?」って、相談したらしい。
そこで清太郎さんが「心当たりが有りますよ」と言って、自分を紹介したというわけ。
若い頃に芝居をやっていた事もあって、毎年お世話になっている我々の劇団の公演を見て
『出たいなぁ』と、ずっと思っていたそうだ。
そういう経歴があるから芝居心は当然持っている上に、
いわゆるプロの目から見て、芝居の流れも理解している。
自分の出番はしっかり自分のペースで演技して、その他の場面では
台詞を言っている人の邪魔をしないように、目立たないようにしたり・・・
仕事柄、忙しくて3月以降はずっと稽古に出られなかったんだけれど。
最後の2週間、通し稽古に参加して、清太郎さんの出る部分を集中的に稽古して
何とかなってしまったから、僕は
『芝居心、センスがある人は違うなぁ』って感心してしまった。
清太郎さんは、僕と同い年。
18歳の時に、北海道から上京して劇団を結成したそうだ。
70年代前半、日本はこういった人が凄く多かった。
彼は劇団じゃ食って行けないので、舞台関係のアルバイトで食い繋いでいたそうだ。
そこで、デビューしたばかりの「サザンオールスターズ」の舞台監督募集に喰いつき
それ以来、本業として舞台の仕事に携わってきたと伺った。
その頃の話は丁度、僕がライブハウスをやったり、舞台照明をやって
有名人のツアーに参加していた時期に重なっていたこともあって、
『あの頃は本当に金が無かったねぇ』、『金が無いのが当たり前の舞台関係者』とか、
逆に『仕事が続くと、信じられない金が手に入った』といった事を、
稽古の出番待ちの時間に、二人で良く話していた。
とにかくあの時代は、金が無くても済んじゃったし、それ以上に得るものが多かった気がする。
最終的に、根性の無い僕は堅気の仕事に転身し、対して根性のある清太郎さんは
いまや知る人ぞ知る、業界の有名人にまでなった。
公演後の打ち上げで一緒に飲みながら、そういう話を団員の女性に話をしてあげたら
『なんだか、二人はいい人生送っていて羨ましいなぁ』と言われた。
来年は参加できるかどうか?解らない清太郎さん。彼が上京した若い頃は
舞台に立ってスポットライトを浴びるのが『夢』だったそうだ。
こんな劇団ではあるが今回、その『夢』が叶った・・・
『止めていた麻薬に、手を出しちゃっって、中毒になりそうだね』と僕が言ったら
『全く、その通りなんですよ・・』なんて笑っていた。
僕自身、『来年は参加するかどうか?迷っている』と、正直な胸の内を話したら、
清太郎さんから『この劇団、ずっと続けましょう!』と言われた。
経済的に安定した中年以降になって、若い頃の夢を、叶えようという人が増えている今。
僕はずっと、好きな事をやりながら生きて来ている事を考えたら
恵まれた環境に居るし、それゆえに出る不満や我侭なのかな?なんて思ったり・・・