日曜日の9時から放送していた『下町ロケット ヤタガラス』を観ていて、
主人公の阿部寛演じる佃航平率いる『佃製作所』を巡るセリフに感動して居た。
中でも別れた元妻が、父親と同じ技術者の道を歩む娘に
『パパは人一倍失敗をして来たから今が有るんだよ』
という言葉に、思わず頷きながら番組にのめり込んでいた。
僕は技術者として、数え切れないくらいの失敗をしてきた。
失敗する事でしか判らない事や、そう言った経験からしか覚えられない事象があまりに多かったから、
このドラマに共感する事が多かったのでしょう。
それで僕は、定年前にやって居た事を思い出した。定年前に僕の経験してきた事を、
技術資料にして残しておこうと思い、定年の3年ほど前から、暇を見てその資料を執筆していた。
僕の専門は電気設計。電気設計の行きつくところは『熱』と『ノイズ』との戦いだった。
特に高精度を要求される大容量の電源や、0.1ppmといった高安定度を要求される特殊な電源は、
机上検討を重ねた上の検証を如何に多くするか?が、最終的に結果に関わって来た。
0.1ppmなんて、普通の方にはピンと来ないでしょうね。
たとえば100万ボルトの直流電源を作ったとします。(実際に作りました)
この電源の揺らぎ(ノイズ)を0.1V以下にするのが0.1ppmです。実際には200KVの電源の方がきつかった。
こちらの場合はさらに1/5だから、ノイズを0.02V以下にしないとならない。
ところが0.02Vなんて言うのは、自然界に幾らでも存在する。
高精度の測定器を繋ぐだけで、そのレベルのノイズを拾ってしまったり・・・・
そんな事を何度も繰り返して、自分の測定技術が未熟だったり、
検証の仕方が甘かったりで、なかなか結果が出ない事が多かった。
そう言った経験から学んだ、いわゆる『教科書に書いていない事』を
30年間書き続けたノートのメモ等を整理して、判り易く解説した資料。
題して『設計遺書』なるものを書いていたのです。
まだ最初の10年くらいの部分で既に40ページくらいになったかな?
その資料を『弟子』や後輩に残しておこうと思っていた。
ところがその後、僕は仕事を干され、『後継者育成は不要』と組織から若手の指導も拒否された。
定年退職まで、やる事が無くなって最初は『設計遺書』の執筆に没頭していたのだけれど、
いつしか『こんなものを書いたところで、誰も見ないだろう』と思って、執筆を止めてしまった。
その文書もCDにコピーして、退職前に会社のパソコンのデーターを全て消してしまった。
つまり、その文章は自宅のパソコンにしか無いのです。
この間ふと、その事を思い出して続きを書こうかな?なんて思ったのだけれど、
考えてみれば、僕は定年退職と同時に技術者として生きるのを辞めたから、
もうこの続きを書いても仕方が無いんじゃないか・・・・なんて思って、止めておいた。
『下町ロケット』を見て思ったのは、簡単じゃないからワクワクする気持ちが湧く。
大変な苦労をしてやって来た事を、誰でも出来るような事にしてしまうのが、
本当に技術力が有るっていう事なんじゃないか?・・・・・って。
でも、やっぱり今は『設計遺書』を再び書くような刺激は無いですね。
そんな刺激を欲しいとも思わなくなっている。
それが僕の『やりきった感』なのかも知れません。