若い頃、舞台音響の仕事をやっていた。
その後に、舞台照明へ転向したのだが音響の仕事も楽しかった。
転向した理由は色々あるけれど、一番の理由は食べて行けなかった事かな?
照明スタッフは人数が必要なので、音響に比べると仕事の量や種類が多かった。
だから、フリーで食べて行くには照明の方が手っ取り早かった。
それに、照明スタッフならばメジャーな仕事にも就けるので、
地道な音響スタッフから転向する事に、躊躇しなかった。
その当時、東京大学の学園祭に山口百恵を呼んだのをきっかけに
都内の大学がこぞって、学園祭でタレントを呼んでコンサートを開くようになった
。
それに目を付けた我々は、ライブハウスに出演していたミュージシャンなどの
伝手をりようして、音響・照明パックと称して、フォークやロックのバンド、
いわゆるニューミュージックの連中を出演させて金を稼いでいた。
ただ、それも9月から11月の短期決戦。一回数百万取れる大学も有れば、
予算の関係で100万以下で請け負う事もあった。
それで稼いだ金は、全て機材へつぎ込んだので、
暇な時はバイトや内職みたいな事をして食いぶちを稼いでいたのも事実。
そのひとつに、スピーカーボックス製作があった。
当時、カラオケが世の中に出回り始めたばかり。
カーステレオの8トラックカセットに数曲のカラオケが入っていて
スナックの客寄せに活躍していた時代。
ところが、スナックに有るのはせいぜいBGM用のステレオセット程度で
唄を歌って大きな音を出すような代物じゃなかった。
それで我々が、スナックのママさんに『店のサイズに合わせたスピーカー』
と称して、スピーカーボックスを製作して小遣い稼ぎをやっていた。
その時に使って居たのが、コストパフォーマンスの良いFOSTEX。
この時代、自作スピーカーが流行り、Fostex、コーラル、テクニクスといった
国産メーカーがスピーカーキットを販売していたが、
その後Fostex以外のブランドは市場から撤退。Fostexの独壇場になった事もある。
行き残った理由は単純。性能が良い割に、安価だったから。
元々、FostexはOEMで色々なメーカーに供給していたので、
自社の名前こそ出なくても、市場にはかなりの製品が出回っていたはず。
そのFostexの親会社。
フォスター電機が、僕の会社と同じ昭島に工場を持ち
そこのサッカー部が、昭島市民リーグで一緒にやっている関係で
フォスター電機の代表とは仲が良いのです。
その方と、駅でばったり遭遇して、スピーカーの話になって
昔、Fostexをよく使って居たと言う話になって盛り上がったところで
営業用に作ったスピーカーの処分に困っていると聞いて、
『貰ってくれるなら、差し上げます』と言われ、無償で譲ってくれる事になった。
それが今朝、大きな箱2個に入って送られてきた
FOSTEX GX103
メープルで出来たしっかりとしたスピーカーボックスに
スコーカーが3発、スパーツイーターがついたモデル。
試作品とは言え、市販の値段は一つ14万円もする代物。
また、オーディオを押入れから引っ張り出さないと駄目かな?
ちょっとワクワクしてます。
先月のシニア大会で優勝したけれど、所詮は同世代のチームが相手。
代って今日からのリーグ戦は若いチームも居る、リーグ戦なので
市民大会の時のように、ボールを一方的に支配したり
シュートを一本も打たせないなどは、到底無理な話。
そう云う意味では勝ち負けに拘らないで、どれだけ自分たちのサッカーが
試合の中で発揮できるか?がリーグ戦の楽しみになる。
今日の相手はリーグの中で一番弱いチーム。
でも、今年は若手が4人入ったそうで、少し勝手が違いそう。
弱いと言っても、今まで先取点を奪われて逆転勝ちのパターンばかり。
そう云う意味では、若手が入って手強くなっているかも知れない。
シニアチームのメンバーが殆ど揃って、今日は16人。
交代枠が5人あるので余裕がある。
中には交代させられると物足りない人間も居たり、
半分で十分と言ってくれるメンバーも居る。
試合は先着順で先発メンバーを決めた。
タレントが揃って、誰を出してもチームに遜色が無いからだ。
一人だけ50代のMが居るので11番目に来た人間に我慢して貰って
Mがバテて、交代を申し入れるまで出て貰う事にした。
とはいえ、Mはこの中では一番実績も実力もある。キックは正確。
ボールを預ければ、簡単には奪われない。
ところが試合になると何故か最初は噛み合わない。いつもの悪い癖。
前半は予想通り、相手の若手が攻め込んで来た。
ゴールこそ奪われなかったものの、先制点を奪いそうだったのは
むしろ相手チームの方だった。
Mに点を取らせようとしたが、なかなか点を奪えず敢無くエネルギー切れ。
そのMと交代したTDが交代直後に点を挙げる。
1点差のまま前半終了。
後半は点差が無かったけれど、いつも通り僕がGKからFWにチェンジ。
快くGKをやってくれるI倉には感謝している。
後半は郁也が入って、ボールが良く回るようになった。
でも、肝心の郁也がボールコントロールが定まらない。
やっと落ち着いたところで、我がチームの本領発揮。
右からナベちゃんが裏を取って点を奪う。
そうなると郁也やKDMが僕にボールを集めて来る。
何度も良いパスが来たけれど、シュートまで行けずに時間が過ぎる。
後半の半ば過ぎ、KDMから絶妙なスルーパスが出て、右サイドから
ナベちゃんがドリブルで相手の裏をえぐる。
それを見て僕は、ゴール前のスペースに駆け上がる。
ナベちゃんから、絶好のパスが来てGOOL!
また、点を取らせてもらった。
その後は僕に遠慮して戸惑うS本君。シュートを打て!と叫ぶ僕。
一点を追加して試合は4-0で終了。
雨の後の人工芝で、泥んこにこそならなかったが蒸し暑くて、
なおかつ人工芝は足腰に負担が来て、いつも以上に疲れた。
でも、開幕戦で勝利。
皆が僕に点を取らせてやろうと頑張ってくれる。
このチームはそう云った愛を感じる良いチームです。
初めての時は、何もかもが解らないことばかり。
芝居はよく観に行っていたし、元は舞台関係の仕事をしていたから
裏方の仕事などはある程度判っていたけれど、いざ自分が実際に芝居をやってみると、
まさに「見るとやるでは大違い」でした。
幸いな事に、若い頃からバンドをやってきて、
人前で何かをやることに関しては、度胸が据わっていると言うか、
上がったりするような事も無く、特に戸惑わなかったのだけれど
そんな部分は役に立っても、ほんの一部。
そもそも、台詞を言う時と普段の喋り方が全く違う。
正確に言えば、舞台で台詞を言う時の呼吸方法が違う。
どちらかと言えば、サッカーで味方に指示を出す時に近いかな?
お腹から声を出すようにしないと声が前に飛ばない。
これは唄に関しても同じ。
バンドをやっていて、相方が『唄い方が変わった。前に飛ぶようになった』
と言うのですよ。
数年前に、市川に有る友人が経営するライブハウスに出た時に
僕がメインボーカルを取ったのを、その友人が聞いて
『お前、こんなに唄上手かったっけ?』などと言われた事もある。
考えてみれば、僕らが最近やっている音楽はライブハウスと言う
お客さんが多くて30人程度の小さな空間で、なおかつマイク付きの環境。
若い頃は、公会堂やホールでの『ライブ』ならぬ『コンサート』だったし、
その当時は3人でマイク1本とか、一人一本でギターと唄・・・なんて事が
普通だったから、当然声の出し方も違って居た。
極端な事を言えば、マイクに近づき過ぎると却って聴きづらかったりしたものだ。
最近の芝居、特にミュージカルはヘッドセットマイクと呼ばれている
マイクを使って芝居をするのが主流になっているみたいだが、
マイクに頼っていると、声が通らないのは芝居も音楽も一緒だなぁと思う。
我劇団は予算の関係も有って、ソロで唄う人以外は基本的に肉声。
芝居の台詞も、舞台に装着してあるマイクで音声を拾うだけ。
円形劇場は狭いとは言え、やっぱり肉声を客先まで聞こえるようにするには
声をしっかり出さないとならない。
高齢者が多い劇団で、まがりなりにもそれが出来ているのは凄い事だと思う。
昨日書いたように、衣裳が『別の人格を作る』のに役立つのと同じように
声の出し方を変えることで、自分の性格が変わったような気になったりする。
そう云った事も含めて、普段の自分とは違った人間になれる芝居は楽しい。
今年は最初から芝居を楽しむことだけしか考えないでやってきた。
本番まで、不満も全て表に出さずやってきた。
楽しもうと思わなければ、楽しめないのだ・・・と実感した今年の公演でした。
今年も衣裳は自前。
今回の芝居は、パーティーシーン等のいわゆる『コスプレ』が無かったので
去年のように海賊の衣裳を揃えたりする必要も無くて、
それを楽しみにしている皆さんは、ちょっと物足りなかったかも知れません。
特に女性陣は、ドレスアップするのを毎回楽しみにしていたので
残念だったかもしれません。
ただ、難民センターで訓練して仕事探しをしているような人たちが
ドレスアップしてパーティー・・・・
なんていう事自体、現実にはあり得ないので仕方が無いですね(笑)
今回は、女性陣が東欧、北欧系の衣裳を身に着けていたのは良かったですね。
やっぱり服装がそれなりに見えると雰囲気が出るものです。
対してラテン系の難民役は苦労したようです。
そもそも、自前の服装の色遣いがダサい。
いわゆる近所の洋品店で売っているような色なので、何処かオバちゃんカラー。
そういう色を持ってくる人は、必ず決まっているのも面白いものです。
男性はと言うと、今回は皆さんスーツなので特徴なし。
僕はその中でも少し派手なスーツを着ていた方かな?
僕が使ったスーツはバブル全盛期に大枚叩いて買った遊び専用のスーツ。
その当時『CLUB』と呼ばれたディスコに女性と同伴で出かける時には
必須アイテムだった僕のお気に入りのスーツだった代物。
シルケット加工(綿に絹のような光沢を与える加工)された
キャメルカラーの生地は見ようによっては金色に光って見える。
去年、ダイエットして12kg痩せたお陰で、ウェストも一回り細くなり
大事にしまってあった30年前のスーツが再び着られるようになって、
今回は衣裳デザインの小林先生のイメージ画に近い感じだったので
迷わず使いました。嫁さんいわく、肩パッドが古いと言うのですが…
でも、着てみた姿はまるで新宿あたりのホスト。
役柄も『いい加減な男風』だったので、まぁ、的外れでは無かったようで
小林先生からもOKが出ました。
ただ、男性は難民役以外はなんだかサラリーマン風でダサかった。
まぁ、これは仕方が無いのかな?
難民役の人は、逆に衣裳を古着屋で買ってきたりして楽しんでいましたね。
芝居の楽しみは、『別の人格を作る』ことかなと思うんだけど
そう云う意味では、まず形から入るのも大事なことかも?
サムライの役を背広でやっても気合が入らないだろうと思う。
前に話した、オバちゃんカラーも同様で、なにか妙な生活感が漂ったり・・・・
衣裳によって、芝居そのものが変わる可能性は高いかも知れません。
毎年のように観劇に来て頂いて居る方で、今年から音楽の担当が
変わったのをお気づきになられた方もいらっしゃるかと思います。
去年まで音楽を担当されていた大塚彩子先生から、
バークリー音楽大学校出身の、片野真吾さんが担当になりました。
大塚先生はピアノの演奏が専門なのに対して、片野先生は弦楽器。
とりわけベーシストとしても活躍されているそうです。
大塚さんの曲は、オーケストラとかビッグバンドとかを連想する
ダイナミックな曲が比較的多かったのに対し、
片野さんの作曲される曲は、ロックなどのバンドを連想する曲が多かった。
誤解しないでほしいのは、スケールが小さいとか、そういう話では無く
我々素人でも覚えやすく、転調などが少なくシンプルで、
むしろ凄く身近なメロディーと言う感じがしました。
冒頭で現代の難民たちが社会の不満を唄うM1「それでも信じるかアメリカ」と
過去のシーンに移って希望を持って唄うM2「希望に輝くよアメリカ」は
殆どメロディーが一緒で、唄い分けが難しかった。
ここでも先生達が仰ったのは、移民や難民の気持ちを考えて唄うこと。
M1は難民たちがいざこざを起こしながらも、後戻りできないながらも
希望を抱いて、エネルギッシュに唄う曲。
男性メンバーがメロディーとは言い難い唄(笑)でしたが、
不満を爆発させる芝居としては、良い曲だった気がします。
M2は移民たちが、これから先の希望に輝く未来に向かって、
前向きに明るく唄う曲で、後半がシャッフルのリズムになり
唄っている僕達も、うきうきするような曲になっていました。
残念だったのは悪役アーサーとサリーナのペアが唄った曲「夢に見たこの屋敷」。
8ビートのロックンロールの軽快な曲で、僕が一番お気に入りの曲。
ところがアーサーは、信じられないほどのリズム音痴。
リズムが命の8ビートで、頭の音を外したうえに、音が1音以上遅れる。
特にハモる部分は、頭の音を揃えるのが最低条件なのにそれすら出来ない。
娘に「リズムもメロディーも滅茶苦茶」とビシっと言われてしまいました。
更に娘いわく、「合わないのなら、最初から合わせない方がまだ聞いていられる」
と、よほど聞き苦しかったのでしょう。
今回は来て貰った友人から「今年はデュエットの唄が酷かった」と言われたうえに、
まがりなりにもお金を頂いているのだから、最低限のクオリティは必要だと・・・。
まぁ、酷評も頂けるうちが華。
来年はそういうことも反省しないといけませんね。
でも、片野先生の曲はギターの伴奏が中心で、ギター弾きの僕としては
とても嬉しい曲が多かったですね。
特に最後の2曲『ふるさと』と『扉開いて』は
3連のアルペジオの伴奏がとても心地良くて、かつて我々のバンドが
3本のギターの演奏に凝っていた頃に拘っていた「決して同じ音で弾かない」的な
ハイポジションでのアルペジオが凄く凝っているのに感心させられました。
それで、今はひそかにそのギターワークをコピーして遊んでいます。
今日から職場復帰。
といっても、相変わらず職場では仕事らしい事が無く、
「弟子」の面倒を看る位で、暇な毎日。
それでも、自分でやりたい事をコソコソとやり始めたから
退屈では無く、むしろ誰も知らないところで動くのが楽しい。
暇・・・と言うより、慌ただしくないとい言う方が正確な表現でしょう。
さて、今回の公演は日本人には余り理解出来ないであろう難民センターが舞台。
難民の気持ちについて、どれくらい考えて芝居が出来たのか?
アメリカという国は「自由」、「平等」の国と言われているが、
本当の所はいまだに人種差別が存在し、白人以外のヒスパニック、有色人種は
差別や蔑視の中で生きている事が多い。
本当なら一番アメリカらしいのは、黒人社会の気もするが、
我々の劇団では、そういった役を演じるのは不可能に近い。
僕から見たら、東欧系の人は同じ白人の類だろうと思っていたのだが
難民として渡って来ると、やっぱり何処か切羽詰まった生活をしているらしい。
実際、4月に起きたボストンマラソンでの爆弾テロは、難民の2世たちが犯人。
いわゆる「マイノリティ」として差別的な扱いを受けて育ち、アメリカと言う国への失望感が
いつか怒りへと変わり、犯行に及んだと言うのが新聞報道。
「マイノリティ」は多くの場合、そのグループの一員であることによって
社会的な偏見や差別を受けたり、少数者の事情を考慮していない社会制度の不備から
不利益を被て居る人たちの事で、社会的少数者、少数集団、少数派として
「社会的弱者」にも近い存在でもある。
全米で5000万人ほどいるらしいが、数としては少数でなくても、
差別や構造により社会的に弱い立場におかれていると言うのが実情。
この芝居では、難民が2派に分かれ東欧系の一派は不満を言う事無く、
現状を受け入れて、社会に馴染もうとする一派。
対してヒスパニックは不満ばかり・・・・何処かで、その不満が爆発するという一派。
お互いに共通しているのは、アメリカに来て希望を抱いて生活している事。
そして、何処かで「自由」、「平等」に疑問を抱いている事。
芝居と言うのは、自分が経験していないものを表現するのは難しい。
今回の難民役は、社会に対する不満等を、芝居の演技の中で感じ取れるような事を
演出から要求されていたが、それを表現するのは難しかったように思う。
不倫の恋もしかり・・・・
そういう経験が無い人たちだから、芝居も何処か表面だけの感じがした。
今回の芝居は、そう云った何かを心の底から訴えるような台本だった。
芝居では、そう云う部分を表現しきれなかったけれど、我々の劇団員の
年齢を考慮したら、ここが限界なのかな?・・・・とも思った。
観に来るお客さんも、だんだん高齢になってきているので、
そう云ったヒステリックな部分がある芝居は好まないだろうし・・・・
そう云った意味で、その足りない部分を今回の芝居では
唄によって表現しようと台本が作られていた気もする。
明日は、その音楽について書きましょう。
今日からまた、公演までの話を書きましょう。
今年の公演は、例年の舞台とは違って芝居に重きを置きました。
お気付きになった方もいらっしゃるかと思いますが
今回の公演のパンフレットには「ミュージカル」の文字が
無くなっているかと思います。
座長が、音楽やダンスに頼らず芝居をやりたかったのです。
去年までの芝居は、オープニングに全員で唄いながら登場して
最初に派手な登場をして、お客さんにインパクトを与える。
休憩前にちょっとした芝居を入れて、お客さんへ伝えたり、
2幕の冒頭には、お約束のようにパーティーシーンがあったり
いわゆる、この劇団の定番だったことは全て捨てたのが今回の芝居。
そういう意味で、ごまかしが効かない舞台でした。
そうは言っても、役者が下手糞でぎこちない。
特に今回の「三人姉妹」役は、僕が見る限り芝居が退屈でした。
でも、その中で主役のルーシー役を演じた高野仁美さんは
二役の表情を実に上手く使い分けていて、見ていて感心しました。
現代に生きる気難しい、一風変わったルーシーは、目つきがきつく
時にはヒステリックな一面を見せる。
過去に移って演じたニコルの時は、実に優しい表情で移民達に接する。
その表情が凄く可愛くて、本当に上手になったなぁと感心しました。
唄やダンスに頼らない分、逆に歌が入ると聞いてしまうという、
難しい一面もありました。
今回は唄も、いまひとつだったかな?
リズム音痴だったり、唄になっていなかったり、聞いていて苦しかったり・・・・
冒頭の難民の歌は、それでもエネルギッシュで楽しかったけど
リズムの狂った唄や苦しそうに唄うのを聴かされるのは、辛いものです。
なんで、唄の上手くない人やリズム音痴に唄わせるのか?
これは毎年、疑問に思うことです。
実は本番でそういう人が唄うのは、お笑いのネタになるから
僕としては一向に構わないのですよ。
嫌なのは、稽古の時間を延々と使われること。
毎回、一曲に1時間近く使われて、そのくせいつまで経っても出来ない。
それなら、個人的に練習して来るか、いっそのことやらないほうがいい。
芝居はチームプレイだと言うことを忘れている気がしました。
とは言え、僕は自分の芝居に専念していたから、
そういったことは、ここに書いているほど余り気にならなかったかな?
楽しく稽古をやってきたのは間違いないですね。
昨日、一昨日の二日間で行った公演も無事終了。
連休の最終日でチケットの売り上げが伸びず心配しましたが
蓋を開けてみれば、当日券も売れて初日は9割、
二日目の昼も9割、夕方が8割の入りで公演としては
成功裏に終わったようです。
今回の芝居は、ミュージカル色が少なくなった割には
今までで一番楽しめて、舞台の公演も楽しかった。
今年は芝居を作り上げる楽しさを、最初から意識してきたのも
楽しめた理由なんじゃないかな?
楽しむ=一生懸命やる・・・・
だから、台本も今まで以上に読み込んだし、
台詞の言い回しも、唄の個人練習も、同様にやってきた。
考えてみれば、今まで何処か楽しめない部分があったのは
そういった努力が足りなかったんだな・・・・って単純に答えが出る。
ただ僕の場合、仕事でも何でも楽しめるレベルになるまでに
凄く時間がかかる気がする。
もしかして、僕だけじゃなく若い人は皆そうなのかな?
と、会社で若い人を育てる時に、楽しませる環境を作る事に
頭を切り替えてきた一年でもあった気がする。
そのお陰で、若手も少しずつ伸びてきたからね。
今年の役は、男性の中ではストーリの中心に居る役柄だった。
三人姉妹の一番下の娘が、殻に閉じこもっている性格で
それを外に引きずり出して、少しずつ自分の人生に
前向きになって、最後には確執のあった母親(歳の離れた僕の愛人)と
和解する手助けをする役柄。
格好良くやる部分も、元気にやる部分も沢山あって、
その場面ごとに、色々と台詞の言い回しを考えて来た。
でも、思ったほど変わっていないかな?
台詞だけじゃなく、所作も含めてまだまだ素でやってる気がする。
それでも、公演は楽しかった。
とにかく半年頑張ってきた成果は出た気がします。
観に来て頂いた方には、心から御礼申し上げます。
明日から、また舞台の裏話を書こうかと思います。
今日は明日の本番で使えるような小道具を探しに
新高円寺の骨董品店が並ぶエリアへ出かけて来ました。
10年ほど前から、高円寺の南口から青梅街道の方向にある
地下鉄丸の内線の新高円寺駅まで続く商店街に、
若い人が営む古着屋やリサイクルショップ、
骨董品などを売る店が集まって、今では若者が集まって賑わう
一大骨董品街みたいなエリアが出来上がって居る。
僕のお目当ては『皮製のトランク』。
実はお袋が女学生時代に使っていた、昭和初期の革トランクは
持っていて、今でも使っているのだが、
今回は芝居で使えそうなものを買ってみようかと出かけたわけ。
5年ほど前に、仙台の東北大学へ頻繁に出張していた時期に、
皮製トランクを見かけて、4~5000円で売っていた時に
買おうかと思っていたのだけれど、荷物になるのに加え
うちの嫁さんは骨董品とか古着とかに理解が無く、
『誰が遣ったか判らない』とか『汚い』などと言って、
僕がそういうものを購入すると、嫌な顔をしていたのも
買うのを躊躇った理由でもあるんだけれど、
最近は生活拠点を別にしたこともあって、僕は古着や
骨董品を購入することが多くなった。
でも、お目当てのトランクは見つからず、有ったと思えば
みんなお店のディスプレイ用で、売り物ではなかった。
やっと見つけたトランクは3万円弱。
そこまで出費して買うほどのものでもないし、芝居に使うには
ちょっと物足りない感じで、諦めて帰ってきた。
気がついたら4時間も歩いていて、夕方の6時。
骨董品だけじゃなく、古着もお洒落な物が多かったかな?
そもそも、骨董品や古着は安物では商売にならないから
例えば、オーバーオールやアロハなどは、
いわゆるビンテージと言って良いような良い品物が多い。
リサイクルから始まったのかも知れないけれど、
若い人がこういう街やエリアを作り上げるなんて
素晴らしいなぁって思いながら、街の店を巡ってきた。
また、時間が有ったら出かけてみようと思う。
今日は永代橋のダイヤビルで最後の通し稽古。
毎年この日、最後の稽古に来てくれる松尾紘子さん。
今回もわざわざロンドンから帰国して来てくれた。
おまけに、大御所の土屋さんもご一緒に・・・・。
この劇団は、本当に凄いスタッフに見守られている。
今年の稽古は、歌唱指導の石崎先生が頻繁に来てくれた。
今までは唄い方の指導が殆どだったのだけれど、
今年の稽古は、その唄を唄う前の気持ちの持って行き方
それと、お客さんへ伝えるために遠くへ届ける唄い方、
さらに唄う前に、芝居の中でどうやって気持ちを作り上げるか?
などの、今までとはちょっと違った唄い方を伝授してくれる。
5mほど離れて向かい合って、その相手に向かって唄う。
そうすると、いままで無かったくらい体が熱くなって汗が出る。
今まで、如何に自分の体の周りだけにしか届かない唄い方で、
手を抜いて唄っていたのかが、判ったりする。
今年の稽古で演出の座長、振り付けの河岡先生、そして
今日も指導してくれた石崎先生が共通して言い続けたことは
『気持ちを身体で表す』事だった。
頭で考えた演技では伝わらない、
体中で感情を表現しないと振り付けも生きてこない、
心の中から唄わないと、聞いている人間には聞こえない・・・・
表現方法は違っても、言っていることはほぼ同じ。
これを、打ち合わせもなしに当たり前のように言う先生達。
本当のプロフェッショナル、凄い先生達です。
そんな中、予定通りノンストップで通し稽古が終了。
解散後は、プチ打ち上げ。
最後まで稽古に付き合ってくれた石崎先生とご一緒に
一杯やって、本番で頑張ろうと乾杯!
石崎先生が
『まだ、パワーが出るでしょ?本番で壊れるくらい頑張って』
と励ましてくれた。
言われちゃったから、本番では壊れるくらいやらなくてはいけませんな・・・・
さて、今日で平日のお休みは終わりです。
今日は午後から昔、散々世話になった伯父のところに
顔を出してきました。
秋葉原に住む、叔父はお袋の従兄弟に当たるのだが
叔父が子供の頃から、お袋と一緒に育ったり、
高校へ通ったりと、兄弟同様の付き合いをしてきた。
一時期、子供の居ない叔父のやっていた珈琲輸入問屋を
僕が後を継ぐと言う事で、叔父の所に居候して、
喫茶店業務の修行や、営業をやっていた事もあるのだけれど
結局、仕事の面白さが判らない僕は、叔父の所を飛び出して
車のレースやりたさに、そちらの業界へ転職した。
でも、何をやっても真剣にやってはいるのだけれど、
何だか1年くらいするとやる気がなくなってしまう。
今、思えば根性が無いうえに、仕事がつまらなかったのだと
この歳になって気がついたりするのです。
そんな訳で、叔父の会社は跡取りが居ないので廃業。
株式会社の整理、清算に2年を費やして3年前に完全に廃業。
その叔父も、今年で80歳になる。
散々、不義理を働いたにも関わらず、お袋が亡くなった後でも
必ず法事に出向いてくれるし、嫌味一つ言わずに
昔と同じ付き合いをしてくれている、懐の深い叔父。
その叔父のことを、お袋が生前にしきりに気にしていた。
子供が居ないので、お前が恩を返して欲しいと・・・
そんな遺言みたいな言葉が、ずっと頭に引っかかっていたので
今日は叔父夫婦の顔を見に行ってきた。
そうしたら、偶然にも叔父の所に居た時に働いていた女性が
ひょっこり現れて、35年ぶりの再会。
『なんだぁ、ゆうちゃん着てたんだぁ・・・』
と、久しぶりなのについこの間と変わらない会話。
僕はこういう偶然が、本当に多いのも不思議なところ。
叔父が所要で居ない間、叔母と色々な話をした。
歳とともに少しずつ衰えている足腰。
会社を清算した時の金銭的な余力も、段々底をついてきたこと、
などなど・・・・
何処まで叔父や叔母を面倒見てやれるか?判らないけれど、
お袋が気にしていたのと同じくらい、僕も気になっていた。
とにかく、何かしてやりたいなと思って帰ってきた。
また、厄介ごとを一つ抱える・・・・と、嫁さんや兄弟に言われそう。
芝居の稽古も3日間オフで、その2日目。
今日は夕方から、次女と待ち合わせして、
かねてからオーバーホールに出してあった
サックスを受け取りに行ってきました。
次女は、午前中に中野まで行って映画の鑑賞会。
どうせ夕方まで、友達と繁華街で時間を潰すんだろうから
僕は、部屋の片付けと、芝居に使うシャツやズボンに
アイロンがけしたり、持って行く物をそろえたりして
時間を過ごした。
2時過ぎから小雨が振り出したところで次女から、
『五時過ぎてもいい?』と言うメール。
あと3時間はゆっくり過ごせそう。
台本にもう一度目を通して、明後日の最終稽古に備える。
思っていた以上に台詞が微妙に違っている部分があったり、
台詞の言い回しも、いまひとつ気になる部分を
色々と言い方を変えてみたり・・・・
そうやって居る自分が、意外と芝居に対して
真面目に考えていることに気がついたり・・・
平日の秘密基地は、台詞の練習には持って来いの環境。
とにかく、自宅に居る頃と違って声を出して練習が出来る。
そうしているうちにあっという間に5時が過ぎた。
次女と吉祥寺で待ち合わせて、楽器屋さんへ。
楽器屋さんの店員が、次女の顔の怪我を見て心配そうに
『サックスは頭の怪我に響くかも知れませんね』
などと、次女に話している。
次女は『それ以前に、唇が腫上がっていて吹けません』
と、何だか聞いていて恥ずかしくなる会話(笑)
自宅で子供達と一緒に食事をした後は、用無しなので
さっさと秘密基地へ『帰宅』。
自宅にたまに戻っても、余り居る意味を感じないから
秘密基地に移住したのも、悪くは無いのかな?
さて、明日は何をしようか?