ローマ法王が日本の長崎、広島を訪れて被爆地から核廃絶を訴えるという。
日本国内からは世界に大きな影響を与えるような発信があるのではないかと大いに期待されている。しかしながら、広島、長崎の原爆被災地は最も核の悲惨さを体験した場所でもあり、この場所から何故これまでに世界に影響を与えるような発信ができなかったのだろうと思ってしまう。戦後70年を過ぎている。毎年平和記念式典が開催されているが、その発信内容に世界に響くようなものはあまりなく、恒例行事となってしまっている。
何故だろうと考えてみる。
たぶん、当事者意識が少ないんだろう。原爆による被爆を遠い昔のこととしてとらえて、その悲惨な事実を詳細に伝えることが主要な使命となっている。そして客観的な立場から世界に対して核廃絶と平和を訴える場になっている。第二次世界大戦を起こしたのは我々と同じ日本国民の先祖である。そして原爆投下で終焉を迎えた。いい悪いは別としてその事実を深刻に見据えなければならないと思う。
我々現代の日本国民にも戦争を生起させる資質を持っている。
そして、その片鱗は国内での様々な事件の中に見出すことができる。その事件に対する国民感情も第二次世界大戦を生起させた当時の風潮と似通ったところがある。はっきり言うと、冷静さと理論的な思考に欠けているのである。大多数の感情に流されてしまう国民性は今も変わっていない。このままだといつの日か再度戦争に踏み切ってしまう可能性を秘めている。
戦争反対、核廃絶などと声高に叫ぶだけでは問題は解決しない。
反対する側からだけの主張であり、賛成する側からの主張を聞こうともしないし、理解しようともしない。反対する側が説得しなければならないのは賛成する側に対してである。賛成する側には賛成するだけの主張がある。それを無視して反対側の理想を掲げるだけではどこまで行っても説得すべき相手の心には響くことはない。相手を変えていく努力をしなければならないのである。確かに戦争は悪だが、なぜ根絶できないのか考えてゆかなければならない。
そのためには戦争や核について熟知しなければならない。
熟知する努力もしなければならない。これらを自分とは関係ない世界に追いやって、自分には関係ないという姿勢で戦争反対や核廃絶を主張しても片手落ちである。他人事としてしか聞こえない。反対する側も賛成する側も同じ人間なのである。反対する側にも欠点はあり戦いに挑む資質も保持しているのである。私は聖人君主の神様ですは通用しないのである。そこの部分をしっかりと認識すべきだと思う。きれいごとだけで済まされないのが現実である。
世の中に戦争の道へ進む兆候を見つけたら警鐘を鳴らさなければならない。
みんな(全世界)で阻止しなければならないのである。少なくともその努力はしなければならない。そのための情報発信が不可欠である。そのような兆候はあちこちに転がっているが、誰も是正しようとしないし、そのまま放置されている。ローマ法王が素晴らしいことは、これらの問題点に対して正面から取り組んで警鐘を発していることである。そしてこの警鐘に賛同する人達が全世界にたくさん存在することである。
日本国の中にこのような人を見つけることはできない。
このような努力をしている人も希少である。自分とは関係ない世界だと諦めてしまっている。いや最初から無関心である。政治家さえそうではないのだろうか?国内の政治家の主張を聞いていると天下国家を語る姿勢は全く見られない。全世界レベルの視点で日本国の将来を提示できるような人も少ない。メディアも同じようである。日々生起した事件に右往左往しているだけに見える。困ったものである。
日本国内からは世界に大きな影響を与えるような発信があるのではないかと大いに期待されている。しかしながら、広島、長崎の原爆被災地は最も核の悲惨さを体験した場所でもあり、この場所から何故これまでに世界に影響を与えるような発信ができなかったのだろうと思ってしまう。戦後70年を過ぎている。毎年平和記念式典が開催されているが、その発信内容に世界に響くようなものはあまりなく、恒例行事となってしまっている。
何故だろうと考えてみる。
たぶん、当事者意識が少ないんだろう。原爆による被爆を遠い昔のこととしてとらえて、その悲惨な事実を詳細に伝えることが主要な使命となっている。そして客観的な立場から世界に対して核廃絶と平和を訴える場になっている。第二次世界大戦を起こしたのは我々と同じ日本国民の先祖である。そして原爆投下で終焉を迎えた。いい悪いは別としてその事実を深刻に見据えなければならないと思う。
我々現代の日本国民にも戦争を生起させる資質を持っている。
そして、その片鱗は国内での様々な事件の中に見出すことができる。その事件に対する国民感情も第二次世界大戦を生起させた当時の風潮と似通ったところがある。はっきり言うと、冷静さと理論的な思考に欠けているのである。大多数の感情に流されてしまう国民性は今も変わっていない。このままだといつの日か再度戦争に踏み切ってしまう可能性を秘めている。
戦争反対、核廃絶などと声高に叫ぶだけでは問題は解決しない。
反対する側からだけの主張であり、賛成する側からの主張を聞こうともしないし、理解しようともしない。反対する側が説得しなければならないのは賛成する側に対してである。賛成する側には賛成するだけの主張がある。それを無視して反対側の理想を掲げるだけではどこまで行っても説得すべき相手の心には響くことはない。相手を変えていく努力をしなければならないのである。確かに戦争は悪だが、なぜ根絶できないのか考えてゆかなければならない。
そのためには戦争や核について熟知しなければならない。
熟知する努力もしなければならない。これらを自分とは関係ない世界に追いやって、自分には関係ないという姿勢で戦争反対や核廃絶を主張しても片手落ちである。他人事としてしか聞こえない。反対する側も賛成する側も同じ人間なのである。反対する側にも欠点はあり戦いに挑む資質も保持しているのである。私は聖人君主の神様ですは通用しないのである。そこの部分をしっかりと認識すべきだと思う。きれいごとだけで済まされないのが現実である。
世の中に戦争の道へ進む兆候を見つけたら警鐘を鳴らさなければならない。
みんな(全世界)で阻止しなければならないのである。少なくともその努力はしなければならない。そのための情報発信が不可欠である。そのような兆候はあちこちに転がっているが、誰も是正しようとしないし、そのまま放置されている。ローマ法王が素晴らしいことは、これらの問題点に対して正面から取り組んで警鐘を発していることである。そしてこの警鐘に賛同する人達が全世界にたくさん存在することである。
日本国の中にこのような人を見つけることはできない。
このような努力をしている人も希少である。自分とは関係ない世界だと諦めてしまっている。いや最初から無関心である。政治家さえそうではないのだろうか?国内の政治家の主張を聞いていると天下国家を語る姿勢は全く見られない。全世界レベルの視点で日本国の将来を提示できるような人も少ない。メディアも同じようである。日々生起した事件に右往左往しているだけに見える。困ったものである。
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